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2話「目が奪われるほどに美しい蒼」
授業も終わり、友達はバイトがあるので俺は大人しく帰ることにした。
(本当なら、部活のひとつでもやるべきなんだろうな)
昔はサッカー、野球、空手と様々なスポーツに手を出していたが、今はどれもやる気になれない。いわゆるスランプってやつだろう。意味知らんけど。
あっという間に家の最寄り駅へと着いた俺は、大きなあくびを漏らす。今は5月、日差しが未だに暖かい時季。夜ふかしも祟って、眠気が襲いかかってきた。
(んー……少しそこら辺でもブラブラするかぁ)
家に帰ったところでやることもないし、当てもなくぶらつき始める。春の陽気を感じられるこんな日こそ、散歩はうってつけだろう。鈍り始めていた体にも丁度いい。
(とは言っても)
最寄り駅周辺は住宅街となっており、どこを見ても同じような家宅が並ぶだけ。たまに強烈なデザインの家があったりするが、それも見慣れれば関係ない。
特に行き先もなくぶらついていた俺の耳に、どこからか喧騒が届く。
「囲め囲めー! ボールをとれー!」
「よっ、ほっ……あぁ! とられた!」
「取り返せー!」
わーわーとはしゃいでいたのは、公園で遊んでいる6人ほどの小学生たち。
(元気だなぁ)
何となくその様子を見ていると、ボールを持っていた男の子が、苦し紛れに思い切りボールを蹴り上げた。見当違いな方向に浮かんだボールは、公園を飛び越え俺のもとに。
「っとと」
少し驚きつつ、飛んできたボールを優しくトラップする。小学生たちの方へ視線を飛ばすと、困ったような表情でお互いを見つめていた。
(まぁ知らない年上の男がボールを取っちゃったら、どうしようってなるわ)
心の中で俺は苦笑すると、足元にあるボールを上に軽く蹴り上げる。そのまま頭上に上がったボールを、額で受け止めると、少し浮かせて再び足元へ戻す。少し勢いのついたボールを、足で受け止めて勢いを殺し、背後に飛ばして踵、足の甲と連続でリフティング。
何回かトリッキーなリフティングを繰り返した俺は、地面にボールを押さえつけて、呆然としている小学生たちにニカッと笑いかけた。小学生たちの目がキラキラと輝いていく。
「お、おー! すげー! 兄ちゃんすげーな!」
「サッカーやってるの!?」
「昔、ちょっとな」
興味津々とこちらに走り寄ってくる小学生たち。すげーだの、うまーだの心から言う子どもたちに、俺は思わず柔らかな笑みを浮かべる。
「やり方、教えてやろうか?」
「おしえて!」
「おねがいします!」
いい暇つぶしになるな、と心の中で考えながら、俺は小学生たちとサッカーをし始める。リフティングのやり方を教えたり、俺ひとりと小学生たちが対決して、ボールの取り合いをしたり。
最後らへんでは俺の体力が切れかかって、結果的にいい運動になった。
「またな、兄ちゃん!」
「またやり方おしえてよ!」
「おー、元気でなー」
日が半分ほど暮れる時間まで、一緒にサッカーをしていた俺たち。ママ集団が子供たちを迎えに現れて、俺は小学生たちと手を振って分かれる。楽しげに今日の出来事を話す子どもたちを微笑ましく眺めると、大きく伸びをして空を見上げた。
「さて、と……」
太陽が沈みかけている。夕暮れ時だ、大人しく帰ろう。
少しだけ倦怠感が残る体に鞭を打ち、俺はゆっくりと帰り始める。
「…………」
もう誰も出迎えてくれることのない、自宅へと。
「……腹減った」
真夜中、時刻にして午前0時過ぎ。そろそろ寝ようと準備をしていた俺は、唐突に思った。お腹が空いた、と。
夕飯は基本的に自炊しているが、今日は面倒だからとうどんにしたのが間違いだったらしい。仕方なく食べれそうなモノを探すが、冷蔵庫には何もなかった。
「あー、無理。コンビニ行こ」
お菓子ならあるが、今のお腹の状況は小腹が空いたどころではなかった。ついでに言うならカップ麺を食べたい。軽く着替えて、最低限の準備をささっと済ませる。
住宅街であるここは最寄りのコンビニでも少し遠く、歩いて10分はかかるため、小走りで行くことに決めた。走りやすいように運動靴を履くと、扉のドアノブに手をかけ……ふと、ある言葉を思い出す。
『夜を舐めては駄目よ、陽斗。夜遅くまで起きてると、鬼に食べられるんだから』
それはかつて、夜更かししようとした俺に対して母親が言っていた言葉。
(なんで今さらこんなこと思い出すのやら)
ため息を溢した俺は、頭を振って浮かんだ言葉を脳裏へと沈めた。
「――行ってきます」
一言、靴箱の上にある家族写真にそう告げてドアを開ける。
道路に出てすぐ、小走りでコンビニまで向かう。周りは街灯のみが光り、行く先を照らしていた。
しばらく走ると、月や街灯が届かない路地が横目に見える。特に気にせず、俺は走り去ろうとして――
――赤。
「ん?」
一瞬見えたその色は、あまりに恐ろしくて。俺は思わず、外しかけていた視線を路地へと戻す。
先ほど見えたはずの”赤”は確認できず、首を傾げ……俺は違和感を覚える。
(なんかあの路地裏、暗すぎないか?)
路地のひとつが、街灯や月の光が入り込まないにしても、非常識なほど暗いように見えた。
『夜を舐めては駄目よ、陽斗』
ふと家に出る際に思い出した、母さんの言葉を再び思い出す。一寸先も見えない路地に恐怖を覚えた俺は、慌ててその場所から走り去る。
次に視界に入ってきたのは、放課後に小学生たちと遊んだあの公園。先ほどの路地を見た影響か、街灯もなく暗い公園に背筋が寒くなる。思わず視線を公園から外そうとして――
――蒼。
「……え?」
一瞬見えたその色は、あまりに美しくて。俺は思わず、外しかけていた視線を公園へと戻す。今度は見える……見えて、しまう。
俺の目に映ったのは、蒼き幻想だった。
「――――」
呼吸を忘れてしまうほど美しい、絹のような長い銀の髪。心さえ見抜いてしまいそうな、切れ長の蒼い瞳。何より彼女を幻想たらしめているのは、頭と背中に見える銀に輝く、狐の耳と尻尾だろう。
まるで崇高な職人が手塩を掛けて作り上げた、ひとつの芸術とまで思えてしまうような、美しい女性。俺は抱えていた恐怖心すら忘れて、ただ食い入るように彼女を見つめていた。
これが俺と彼女の出会いであり、人生における重大なターニングポイント。彼女との出会いが行き着く先は、どこに繋がっているのか――
――それはまだ、誰にもわからない。
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