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3話「<悪鬼>蔓延る逢魔ヶ刻」
真夜中の午前0時過ぎ。蒼き幻想と出会った俺は、ほぼ無意識で言葉を溢した。
「キレイ、だ……」
「――!」
微かに漏れた言葉が聞こえてしまったらしい。公園の中心で座り込む彼女が、勢いよくこちらに視線を向ける。彼女の表情に驚愕が浮かび……次の瞬間には、後悔へと変貌した。
「見て、しまったのね」
「え?」
苦虫を噛み潰したかのように顔を歪めた女性は、視線を地面へと落とす。俺はと言えば、すっかり彼女の雰囲気に呑まれて、思考が停止してしまっていた。
やがて、女性は覚悟を宿した瞳で顔を上げ、鋭い視線で俺を射抜く。
「ひとつ、問うわ」
「は、はい」
「貴方は<月光師>?」
「げっこうし……?」
上手く漢字変換が出来ず、俺は頭を捻る。その行動で俺が”ゲッコウシ”ではないと理解できたのか、彼女は小さく「そう」と呟いて、再び顔を伏せた。
「ならすぐに立ち去りなさい。私のことも忘れて。そうすれば、貴方は明日からまたいつも通りの日常に戻れるわ」
「え、何の話――。……ッ!?」
瞬間、雲で遮られていた月明かりが差し、彼女を照らした。美しい顔にばかり気を取られていた俺は、初めて彼女の全容を理解し……初めて気づく。
――座り込む彼女の胸に、大きな傷があることを。
「キミ、傷が……! す、すぐに救急車をッ!」
慌てて女性へと近づき、胸を抑えている彼女の手を引き剥がす。
厚手の白い着物が、血で赤く染みついていた。ひと目で分かる……これはもう、助からない。それでもと、俺は救急車を呼ぶ為にスマホを取り出した。
「ま、待って! 私は大丈夫だから、救急車は呼ばないで頂戴」
「呼ばないでって……」
彼女は本当に慌てた様子で、スマホを持った俺を静止する。言われた意味が理解できず、困惑する俺に対して、彼女は強めの口調で喋った。
「今すぐ離れなさい、良いわね? これは警告よ。もうすぐアレが来る。そうすれば貴方まで死んでしまうのよ」
「し、ぬ?」
「そう、死ぬの。だから私のことは構わないで、早く行きなさい」
ここに留まれば死ぬ。そう言った彼女の表情は、まさに真剣そのもので。何となく、彼女が言ったことは真実なのだと理解する。
だからこそ、俺はある言葉を聞き逃さなかった。
「でも、キミは?」
「――――」
痛いところを突かれたと言わんばかりに、顔をしかめる彼女。
『貴方”まで”死んでしまうのよ』
先ほど、彼女はそう言ったのだ。きっとココからすぐに逃げれば、俺は助かるのだろう。だが彼女は?
パッと見で致命傷だとわかるほどの傷を負っている彼女はどうなる? もうすぐ来るという”アレ”が何なのか分からないが、ここに彼女を置いておけばどうなるのかなんて、火を見るより明らかだ。
死ぬに決まっている。
「ふざけんなよ。庇われるのは、もう懲り懲りだっ……!」
父さん、母さん、妹……何より大切な家族の犠牲によって、一度俺は生き残った。なのに今、俺の命はまた他人に庇われ生き残ろうとしている。
勘弁してくれよ。他人の命を背負うのは、もう家族だけで精一杯だというのに。もうひとつ、重荷を俺に背負わせるつもりなのか。
「俺はひとりじゃ逃げない。逃げるなら、キミも一緒にだ」
真剣そのものな俺の表情に、彼女は少しだけ驚いた素振りを見せる。だがすぐに呆れ果てたような顔になって。
「……貴方、馬鹿なの?」
「何と言われようが、俺はキミを連れて逃げる」
ひとつ、大きなため息を吐く。頑固な俺に、どうやら彼女は折れてくれたらしい。少しだけ頬を緩めた彼女は、ゆっくり立ち上がろうとする。
「くっ……!」
やはり力が入らないのだろう。グラついた彼女の体を、俺は咄嗟に受け止めた。人形のように美しい顔が近くに迫り、思わず息を呑む。
ドギマギする俺の耳元で、彼女は決意を秘めた声で囁いた。
「逃げるのは無理よ、追いつかれて殺されるだけ。……けど、ふたりとも生き残れる方法がひとつだけあるわ」
蒼い瞳が、俺を見つめ覚悟を問う。
「そちらを選択してしまえば、もう貴方は日常に戻れない。その覚悟が、ある?」
日常へと戻れない。その言葉は何よりも重く、俺にのしかかる。
両親へと孝行できず、妹を守れなかった俺にとって、日常は贖罪だ。子供を残した両親への。高校に入れなかった妹への。
彼女と生き残る道を選べば、俺の日常は破壊される。
ひとりで逃げれば、俺の背は新たな命を背負うことになる。
二者択一。俺の運命は、このとき決まった。
「…………ある」
長い、長い時間をかけて俺は頷く。
日常を送れなくなることよりも、目の前の彼女を救いたいと、そう思った。
一瞬だけ、俺の返答に目を見開いた彼女。だがすぐに真剣な表情へと戻った彼女は、俺に抱きついたまま、鈴のような美声を響かせた。
「御汝に問う。御汝は己の光ならむとする者なりや?」
「――――あぁ」
「御汝は闇怒り光願ふ者なりや?」
「――あぁ」
「御汝は己を欲する者なりや?」
「…………あぁ」
何かを問われる。問いの意味をカケラも理解できなかった俺は、雰囲気に流され頷くことしか出来ない。けれどそれで良かったのか、俺たちの間に淡い水色の光が立ち上り始める。
「ならば、己は御汝の盾とならむ」
「――――」
「己は御汝の矛とならむ」
「――――」
俺と彼女の間に、線のようなものが繋がるのを感じた。
「己は御汝に服従せむ」
言ノ葉が続き……俺は思考が止まる。
服従? キミが、俺に?
「――駄目だよ」
「……え?」
気付けば、言ノ葉を否定していた。キョトンとした表情で見つめてくる彼女に、俺は慌てて弁明する。
「い、いや、あの、服従とか、駄目じゃないかって。倫理的にっていうか、キミが俺に服従って……駄目だと思ったから」
「はぁ……。これは儀式よ? 私達が生き残るための、大切な儀式。私を貴方に捧げようだなんて、これっぽっちも思っちゃいないわ」
呆れたと言わんばかりにジト目で俺を睨んできて、冷や汗が流れた。だが次の瞬間には、ふっと頬を緩めて――
「本当、大馬鹿野郎ね」
――笑う。
「――――」
思わずと言わんばかりの笑みを見て、脳天に強い衝撃が走った。儀式の最中だというのに、死ぬかもしれないのに。俺は、彼女の笑みに心を穿たれたのだ。
彼女が現実離れした美貌を持っているのもある。彼女と触れ合っているのも、大いにあるだろう。だが最も強い理由は、笑う彼女がとても尊いもののように見えたから。
キミの笑顔を守りたいと、心から思う。
「必ず一緒に、生き残ろう」
「えぇ。……ここに契約、成せり」
神聖さがとっくに消えた儀式を終えて、彼女はゆっくりと立ち上がる。その足取りは軽やかで、視線を胸へと移すと、致命傷だったはずの傷口は消えていた。
俺から数歩離れた彼女は、深呼吸をひとつ。両手を体の前で重ね、月光を背に俺へと視線を飛ばす。
「己が真名、蒼炎華。御汝が名は?」
「陽斗、坂三陽斗だ」
「では陽斗。ようこそ――」
蒼炎華。そう名乗った彼女は、横へと視線を移す。俺の視線も、彼女が向いた方へ移り……そこには”深淵”がいた。ギョロリ、と血をぶち撒けたような真紅の瞳が、俺たちを見つける。
特に時間も必要なく、直感で”アレ”が俺たちを殺しに来た存在だと理解した。
「――<悪鬼>蔓延る、逢魔ヶ刻へ」
これが始まり。これより一般人だった俺は、逢魔ヶ刻という闇の世界に巻き込まれていく。
――そう、この日。俺は運命に出逢った。
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