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5話「現状説明」
浅い水底から顔を上げるような気軽さで、俺は目が覚めた。何か大切な夢を見ていたような気がして、若干の虚しさを覚えながら俺は起き上がり――気付く。
「すぅ……すぅ……」
「蒼炎華……なのか?」
視線を横に向ければ、床で静かに眠る、蒼炎華と思わしき女性の姿。”思わしき”、と付けたのは、彼女の姿が違っていたからだ。
銀に煌めいた髪が、今は艷やかな黒色へと変わっており、狐の耳や尻尾も消えている。
蒼炎華から視線を外して、次に自分がいる場所を把握しようと周りを見渡す。畳にちゃぶ台、奥に台所。見下ろせば、敷布団が俺の下に敷いてあった。
「俺んち……じゃないな。ここ、どこだ?」
この部屋はどうやらアパートの一室らしいが、俺の部屋に畳はない。なら次に思い浮かぶのは……。
俺は畳の上で眠り続けている蒼炎華を見る。
(彼女の家っぽい、かな)
そう思えば理由はすぐに思い当たる。彼女は俺の家を知らないので、気絶した俺を自分の家まで運んでくれたのだろう。
「んぅ……」
「っと」
寝苦しそうに寝相を変えた彼女を見て、俺は一旦考えることを中止した。寝ているのを起こすのは気が引けるが、今はそうもいかない。
少しビビりながら蒼炎華の肩に触れて、左右に優しく揺する。
「蒼炎華、蒼炎華。起きてくれ」
「ん、ぅう。あなた……は」
寝起きだからだろうか、蒼炎華は蕩けた漆黒の瞳で俺を見つめる。あまりに色っぽい彼女に、思わず俺は顔が熱くなった。
思考が硬直し声を出せない俺を、知ってか知らずか蒼炎華は微笑む。
「良かった。体調は良さそうね」
「え、あ……はい。ダイジョブ、です」
言動が少しおかしくなっているのを自覚しながら、俺は何度も頷いた。テレビでも見ないような、天上の美貌を持つ女性に微笑まれているのだ。これぐらいのキョドりは許して欲しい。
ゆっくりと体を起こした蒼炎華は、俺の体を一通り眺めて安堵の息をこぼした。
「私が目を覚ましたとき、貴方は光力不足で気を失っていたのよ? 幸い命に別状は無さそうだったから、私が住んでいる部屋に運んだけれど……」
「コウリョク不足……?」
聞き慣れない単語に俺は首をかしげる。
「あぁ、そうね。私たちの世界に巻き込んでしまったもの。ある程度の説明は必要よね。どこから説明したものかしら……」
蒼炎華は唇に手を当てて、「うーん」と唸り始めた。何だか迷っているようなので、ひとまず俺の聞きたいことを優先させてもらおう。
「俺は、ひとまずキミのことが知りたいな」
「私……? えぇ、分かったわ」
俺の言葉に彼女は少しだけ驚いたような表情を見せたが、すぐに頷くと、自らの胸に手を当てて話し始める。
「私の真名は蒼炎華。<月影>と、呼ばれるモノよ。人に似た姿かたちをしているけど、人ではないわ」
「人じゃ、ない?」
思わず彼女をじっくりと見つめる俺。だがどこをどう見ても、凄まじい美貌を持つ女性にしか見えない。
「私たちは<悪鬼>……赤い瞳の鬼を祓うために生まれた道具よ。わかりやすく伝えるなら、陰陽師の式神に近いわね」
「式神」
陰陽師と言われると、安倍晴明を思い出される。確か彼が使役していたのが、式神だったはずだ。
「ということは、キミを……<月影>を使役する人がいるってこと?」
「えぇ」
彼女は肯定しながらそっと手を伸ばし、俺の手を取った。いきなりの行動に、少しだけ動揺する。
「<月影>を使役する人間を、<月光師>と呼ぶの。そして今、私を使役しているのが……貴方よ、陽斗」
「俺が……蒼炎華を?」
思わず眉をひそめた俺に、蒼炎華は迷わず頷いて自身の胸、あの夜で深手を負っていた部分を示した。
「私たち<月影>の傷は、普通の治療では治らない。人間が宿す、光力と呼ばれる力が必要になるわ」
ここでさっきの光力不足に繋がるのか。
「光力は人間の持つ生命力そのもの。それを分けてもらうことで、私たちは自らの傷を癒やすことが出来るのよ」
「要約すると、光力不足っていうのは――過労?」
「正解」
ようやく理解した。俺は蒼炎華を治すために、自分の生命力をガリガリ削っていたのだ。結果として、蒼炎華を癒やすことは出来たが過労になって気絶した……と。
冷や汗が流れる。つまるところ、下手すれば死んでいたということ。せっかくふたり生き残ったというのに、過労死で終わるのは流石に嫌すぎる。
「あと、光力は<月影>が生きるのに必要なモノでもあるわ。貴方たちで例えると、ご飯に近いかしら。だから私たちは<月光師>と契約をするの」
「光力を貰っている代わりに、<悪鬼>と戦っている……ということ?」
「その通りよ」
非力な人の代わりに戦うのが<月影>であり、力の源を渡すのが<月光師>。その関係は、確かに陰陽師と式神によく似ていた。というか、殆ど一緒だ。
「あの時、一度は傷が治ったように見えたのは、契約したからなのか」
「えぇ。けど蒼炎を出すのに光力を使ってしまって、癒している傷が開いたようね」
傷が開いたとはいえ、<悪鬼>を倒さなければ危険に変わりはない。だから蒼炎華は一撃で倒す決断をしたのだろう。そうして傷で倒れた蒼炎華に、俺は持ちうる限りの光力を流し込み、果てに過労でぶっ倒れたと。
「ギリギリだったんだな……」
「もし貴方が私と契約しなければ、私は<悪鬼>に食い殺されていたわね」
そう言った蒼炎華の表情は暗い。
彼女と出会って殆ど経っていないが、それでも確実に言えることがある。蒼炎華という女性は非常に、ひじょーーーっにお人好しだ。
「俺は、満足してるよ」
「……っ!」
笑ってそう言った俺に、蒼炎華は不意を突かれたようにコチラを見る。
何も知らない俺が言っても、心に響かないかもしれない。無知が何を言っている、なんて思われるかもしれない。
『――――せない』
だがどうしても、俺は彼女に暗い表情をさせたくなかった。
「確かに<悪鬼>だっけ、ソレと戦うのは怖いし嫌だよ。それでも俺はキミを……蒼炎華を助けて良かったって、心から思ってる」
「…………馬鹿ね、貴方」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
馬鹿、と酷い言われように俺は苦笑する。それでも、彼女の表情は幾分かマシに見えた。
気分が良くなった俺は、立ち上がって大きな伸びをひとつ。
「さて、と。そう言えば、ここってどこ?」
「ここは私たち……<月影>と<月光師>が任務の際、一時的に住む地方拠点よ。貴方と出会った公園の、すぐ近くにあるアパートの一室ね」
「そうなのか。じゃあ俺の家からも結構近いな」
ようやく場所の把握が出来た俺は、壁に掛けてあるカレンダーを見て――気づく。
「そういえば時間! 今何時!? 俺、今日も学校あるんだったっ!」
「今は……7時程ね」
「あー、じゃあギリ間に合うか」
それならシャワーを浴びて、ついでに朝飯を食べる時間ぐらいはあるだろう。
軽く時間の計算をして、間に合いそうだと頷いた俺は、再び蒼炎華へと顔を向けた。
「えっと、じゃあ俺は学校があるから一旦家に戻るよ。詳しいことはまた夕方ってことで、大丈夫?」
「えぇ。ある程度は急ぎたい事だけど、今すぐにって訳でもないわ。6時頃、この家で待ってる。――あと、他言無用よ。絶対にね」
「わかった。それじゃあ後で!」
急いで乱れた服を整えカバンを持ち、しっかりとこの部屋の番号を覚えてから、部屋を飛び出す。
今はただ、少しだけ遠くなってしまった日常の匂いを、学校に求めていた。
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