6話「1cm離れた距離で」

1/1
前へ
/25ページ
次へ

6話「1cm離れた距離で」

「ギリギリセーフ!」  時刻にして8時49分。HR手前で何とか教室に滑り込んだ俺は、荒い息を吐きながら席に着いた。 「どうした陽斗? こんなギリギリとか珍しいな」 「電車ひとつ乗り過ごしてさ」 「そりゃご愁傷さま」  隣の席である彰は、遅刻しかけた訳を聞き意地の悪い笑みを浮かべる。 「夜ふかしでもしたのか?」 「あー……まぁ、そんなもん」  当然、昨日の事を言える訳もなく、俺は言葉を濁しながら答えた。答える俺のぎこちなさを感じたからか、彰は一瞬怪訝(けげん)そうな表情を浮かべる……が。 「はいはいー席につけー。HRの時間だぞ」  予鈴が鳴り響き、先生が入ってきたので話がそこで途切れる。  始まった先生の言葉を聞き流しながら、目の前の光景にまぶたを細めた。少し、ほんの1cmだけ、ありふれた日常が遠くなったような気がしたから。 『そちらを選択してしまえば、もう貴方は日常に戻れない。その覚悟が、ある?』  彼女は俺に覚悟を問いた。日常を捨てる覚悟を。今は学校に行けているものの、いつかは行けなくなるのだろうか。  そう思うと、目の前の光景がとても尊いもののように、俺は感じた。  放課後、俺は友人たちに別れを告げてひとり電車に乗る。目指すのは自宅……ではなく、蒼炎華が居るアパートの一室。  逢魔ヶ刻(おうまがとき)と呼ばれる世界に首を突っ込んだ責任として、俺はこれからどうするべきなのか。それを知りに行く。  彼女が拠点としていたアパートの一室、203号室。空白の表札の下にあるインターホンを押した。 『……鍵は開いてるわ、入って』 「わかった」  インターホン越しから聞こえる蒼炎華の声に頷き、俺はドアノブに手をかける。扉を開くと、佇む彼女の姿が見えた。 「いらっしゃい、陽斗」  日本人形のように艶やかな黒髪に、黒曜石の瞳を持つ<月影>が俺を見据える。彼女自身が非日常の証そのもの。彼女を見た瞬間に、俺はもう日常とは離れてしまったのだと、否応なく気付かされる。 「長くなるから、中で話をしましょう」 「あぁ」  蒼炎華に中へと案内され、渡された座布団に腰を下ろす。ちゃぶ台を介して反対側に、彼女は正座で座り込んだ。座っているだけなのに、その姿は気品があって、目を奪われそうになる。 「まずは改めて自己紹介をしましょう。ゆっくりと話す時間もなかったものね」  コクリと頷く俺を見て、蒼炎華は自らの胸に手を当てた。 「私の真名(まな)蒼炎華(ソウエンカ)、蒼炎を操る<月影(げつえい)>よ。表向きには蒼華(アオハ)と名乗っているわ。貴方もこれからは私をそう呼んで頂戴」 「わかった、蒼華」  蒼炎華……いや、蒼華は俺の言葉に柔らかく笑む。想像を絶する美しさに、思わず言葉を見失いかけて、慌てて言葉を紡いだ。 「え、と、俺は坂三陽斗(サカミアキト)稲花(イガ)高校の1年生だ。その、改めて、よろしく」 「えぇ、こちらこそ。陽斗」  互いの自己紹介を終えて、蒼華の柔らかな雰囲気が鳴りを潜める。 「……これから話すのは、貴方たちが生きる世界の裏側。極々限られた人のみが知りうる、真実よ。朝に言ったけど、他言無用は絶対。赤の他人に話せば、貴方も、話した相手も、マトモな人生すら送れなくなるわ」 「ッ!」  無意識のうちに肩へ力が入る。日常を捨てる覚悟を持てずにいたのに対して、改めて釘を打たれた気分だ。 「逆に言えば、誰にも言わなければ貴方は最低限の日常は守られるはずよ。学校にも普通に行けるでしょう」 「……分かった。誰にも話さないと、確約する」 「お願いするわ」  確約、という強い言葉を使った俺に蒼華は安心したように頷く。  俺としても、誰かに話すことはデメリットしか無い。せっかく、仮初でも日常を送らせてくれると言ってくれたのだ。  コホンと蒼華はひとつ咳払いをして、俺をしっかりと見据える。どうやらココからが本命の説明らしい。 「ことの始まりは1000年以上の昔。日本に突如として<悪鬼>が現れたわ」 「せん……!? っていうと、平安時代ぐらいにってこと?」  俺の問いに頷く蒼華は、そのまま言葉を続ける。 「現れた原因は未だに不明。けれど光力を持つ生命……つまり人間だけを喰らうのは確かよ。当時の人々は為す術なく虐殺されたらしいわ」 「虐殺なんてされたら、普通は何かしらの文書とかに残ってるはずじゃ?」  蒼華の口ぶりだと、昔<悪鬼>に殺された人はかなりの数だったのだろう。そうなると何かしらの文書に存在が書かれ、後世の人に伝わって、今ごろは一般人すら<悪鬼>の存在を知っていなければおかしいのだ。  だが、実際は誰も<悪鬼>の存在を知らない。どういう理屈なのだろう。 「えぇ、だから残っているわよ。”妖怪の一種”としてね」 「……?」  妖怪というと、猫またとか、犬神とか、座敷わらしを総称するアレだろうか。でもなぜ今、妖怪という単語が出るんだ? 「<悪鬼>は物体を持たない精神体。だから、当時の人間は対処できなかったわ。自分たちでは倒せず、襲いかかってくる謎の敵……当然、人間が恐怖する対象として広まりつつあったの」  実在する恐怖の対象として、世間に広まりつつあった<悪鬼>。だが、残っているのは妖怪としてだ。それが意味するのは。 「誰かが、<悪鬼>を妖怪として広めた……?」 「あら、正解よ。普通の人では対処できない<悪鬼>を調伏し、妖怪の一種……<鬼火>として広めた人物がいたわ。彼の名は――」  平安時代。妖怪。精神体である<悪鬼>の調伏。  これらが繋げれば、出てくる人物の名はただひとり。 「――安倍晴明(あべのせいめい)」 「なるほど。人に害なす妖怪と、それを退治する陰陽師。その根源は<悪鬼>と<月光師>だったのか。……でも、なんでわざわざ妖怪の一種として広めたんだ?」  普通の人では対処できないのなら、たしかに伏せておくのもひとつの手だろう。とはいえ、隠す理由がそれだけとは思えない。 「普通は大勢に知ってもらうのが一番じゃないか? 皆が知っていれば情報伝達も楽だろうし、対処もしやすいと思うんだけど」 「”普通”はね。<悪鬼>に関しては、誰も知らないほうが都合が良かったの」  頭を傾げる俺を見て、蒼華はふっと頬を緩めた。 「<悪鬼>は人間の持つ光力を糧とするけれど、好みがあるわ。……”負の感情”よ」 「負の感情って、怒りとか、悲しみとか、恐怖とか?」 「えぇ。アレは人間全てを襲うけれど、負の感情が強い人間を優先的に喰らう習性があるわ。同じラーメンがあったら、より美味しそうな方を選ぶでしょう? 同じ理屈よ」 「……あぁ、なるほど」  ようやく合点がいく。  <悪鬼>という存在が公に知れ渡れば、多くの人がアレに対して恐怖を抱くだろう。なにせ肉体を持たず、闇に溶け込んでいるのに、ただ血色の瞳が爛々と蠢くグロテスクな存在である。  パッとしか見ていないが、それでも<悪鬼>の姿は鮮明に覚えているほどだ。しかも人間では倒せないのが、更に恐怖を助長させる。 「妖怪を隠れ蓑にしたのか」 「えぇ。そして陰陽師を”妖怪を退治する者”として周知させて、大衆の恐怖を煽らないようにしたのよ」 「よく考えてるなぁ……」  確かに陰陽師が一気に有名になったのは、安倍晴明以降だ。彼は幾つもの式神を使役し、多くの逸話を残したという。 「その陰陽師の式神が、蒼華たち<月影>なんだ」  式神は陰陽師を補助する役目だったはずだが、実際のところは誰よりも前線に立って、<悪鬼>と戦ってくれている。……まぁ、そこはご愛嬌ということで。  恐らく、人間である<月光師>を陰陽師として目立たせたほうが、色々と楽だったのだろう。  そこまで考えたところで、ふと疑問を思いつき蒼華へと問いかけた。 「そういえば、<悪鬼>は突然現れたらしいけど、<月影>はどうなんだ?」 「私たちも突然現れた……らしいわ」 「らしい?」  言い淀む蒼華に、俺は首をかしげる。だが蒼華は首を横に振って「ごめんなさい」と表情を曇らせた。 「詳しいことは私もわからないの。私自身、気がついたら存在していた。……ただ、<悪鬼>を倒すっていう、明確な目的は最初から持っていたわね」  どうやら本当にわからないらしい蒼華は、これ以上の話を妨げるように一つ喉を鳴らした。 「とにかく、これで私達の関係は理解できたかしら?」 「あ、うん。大体は。事実は小説より奇なり……なんて言うけど、本当だなって確信したよ」 「確かに、陽斗にとってはそうかもしれないわね」  彼女は喉を潤す為か一口お茶を飲むと、こちらを見る。どうやら完全に話題が切り替わるらしい。 「それじゃあ、今日ふたつ目の本題。陽斗、貴方には――」  真剣な瞳が、俺を射抜く。 「――【月光術】を扱えるようになってもらうわ」 「げっこう、じゅつ?」
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加