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プロローグ
絵筆をとり、夢物語の世界に思いを馳せる。
時の皇帝陛下を、このような姿で描くなど不敬にも程があると分かってはいるけれど、でも叶わないからこそ夢はふくらみ切なさがあふれて、絵図を進めねば悲しみに胸が張り裂けそうになる。
この絵図が完成させられたとして、陛下はご覧下さるであろうか?
ご覧下さったとして、わたくしを想って下さるであろうか?
分かっている。陛下のお心には、あのお方がいる。わたくしは添え物にすぎない。
添え物としてでもお選び下さった情けにすがり、その情けを信じて生きてきたけれど、その絆しも断ち切られた。
今のわたくしには、もう何もない。
「……っ」
不意に咳き込み、絵図を汚さぬように絵筆を離す。左手で口許を覆い、こみ上げる咳はしばらく続いた。せり上がる何かが左手を濡らす。それは見なくとも何かが分かる。
手のひらは真っ赤な鮮血で染まっていた。
呼吸が整わない。この病苦はいつまで続くのか。わたくしが亡きものとなり、病苦から解放されるのは、いつになるのであろうか。
──いや、それは待つまい。
この絵図を仕上げられれば、それだけでいいのだ。絵図を描ききり、そしてわたくしは──。
黴と埃の匂いがする宮にも慣れた。換気すら許されぬ一室で、侍女さえ遠ざけて絵図と向かい合う日々はおそらく残り少ないだろう。
神仏がいるのなら、輪廻転生が叶うのなら、どうかこの願いを叶えてほしい。絵図に籠めた、ささやかで不遜な願いを。
愛していた。愛している。愛してしまったことが、わたくしを地獄に落とした。それでも、わたくしは陛下を今なおお慕い申し上げている。
なんと愚かな。
けれど、愚かな己を憎みはしない。いや、陛下のお心を今も占めているお方でさえ、──今となっては、もう誰も憎まない。
凪いだ心で、かなしみを絵図にあらわす。
冷宮に軟禁されて位を廃されたわたくしが、それでも生きている意味は──最期の願いによるのみだ。
……あれは、どれほど昔のことであっただろうか?
陛下に初めて拝謁したのは、陛下がまだ皇太子でいらした頃だった。陛下は力強く眩しい存在で、わたくしは直視することも憚られた。美しくて恐ろしかった。
その陛下がわたくしを副福晋にお選び下さった。
叔母は嫡福晋になれなかったことを悔しがったが、わたくしは幸福だったのだ。
──陛下は、わたくしの人生の全てだった。
願いも希望も絵図にしたためて終わろう。
愛しさだけを残して死ねるのならば。
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