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酒を注ぐ。
度数の強い日本酒なんかを目いっぱい注いで、それで大量の睡眠薬を流し込む。
いくつもの死体を見たからか、もう死ぬこと自体への恐怖は収まっていた。
喉の奥が焼けるように痛む。眼底から熱いものが溢れてくる。それが涙だとわかった時には、意識は徐々に薄らぎ始めていた。
「すまない、お嬢さん……」
意識が途切れる寸前、生きたがりの少女のことを思い出していた。
今度は間違いじゃない。徐々に色彩を欠き始めた世界の中で、記憶の中の彼女だけが鮮やかに笑っている。
けれどそのどれもにおいて、少女は僕と何ら変わらなかった。
気付いた瞬間、疑念が閃光のように脳裏を焼いた。
『……女の子には、お化粧する時間が必要なの』
いつも昼間に出掛けているのなら、わざわざ化粧を直す必要があるのだろうか?
相手はへそ曲がりの僕だ。そもそも昼間に町をうろつくなら、僕と会っても問題はないはずなのに。僕らが会うのは真夜中の一瞬だけ。
それも最近はどこか暗い表情が増えた。死についての話題が増える代わりに、世界の終わりについての否定がなくなった。それは傾ききったシーソーと似ている。出来の悪い鏡を見ている気分だ。
「つまり」と僕の脳が結論に辿り着く。
同時に、ほとんど見えなくなった視界が急激に晴れていった。
ジェットコースターの急上昇みたいな不快感。吐き気を自覚するより前に、食道が胃を引っ張り上げる。
涙で沈んだ視界を擦ると、眼下は吐瀉物に塗れていた。
「ハッ、ハァ……ッ!」
呼吸が荒い。胃はまだ少し高い位置に佇んでいる。
確認したスマホは未来予報の日を指していた。
僕は流しに飛びついて、縋りつくように蛇口の水を貪った。首筋を流れる水の冷たさが、強烈な生の実感を連れてくる。
いつまでもそうしていたかったけれど、今の僕にはやることがある。蛇口を締めて服を着替え、まじない程度のきつけにフリスクを噛み締めた。
もう何もいらない。この家にも、もう帰ってくることはないだろう。
僕は扉を開けて外に飛び出す。
夏が嘘みたいに冷えた夜だった。半袖から露出した肌が粟立つ。
空を見ると、雪が降っている。
「ああ、やっぱりな」
絶望はしなかった。
ただその分、少女を想う気持ちが、胸の底で鼓動を生んでいた。
僕は走る。僕の生きがいが待つ、あの公園へ。
冷たい空気が頬を撫でる。
あの公園が、近づいてくる。
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