第七章 俺が欲しいのはお前だ

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「ん……っ」 ちゅ、ちゅ。くちゅっと卑猥な音を立てながら舌を絡め、執拗に熱を重ね合っていると、ここまで抵抗しなかった勝行が急に光の額を押して一度離れようとする。 「っ待って……激し……」 「……っ……ダメ?」 「もしかしてお前、キスしながら年越しするつもり?」 「……あ。それいいな、しようぜ」 「今決めたのかよ。全くもう……言うんじゃなかったな」 恥ずかしそうに顔を背ける勝行を見て、光はハッと我に返った。幸せが続き過ぎたせいか、調子に乗ってしまった気がする。 「……嫌なら無理しなくていい」 「あ、いやその、嫌ってわけじゃ」 あっさり引き下がったから、怒ったとでも思っているのだろうか。勝行は慌てて否定する。けれど本当に、無理強いしてまでキスしようとは思わなくなった。 「俺相手につまんねえ気遣いすんなよ。今更そんな仲じゃねえだろ」 少し拗ねたように告げると、勝行の返答が詰まった。図星だったようだ。 もう昔のように、甘えたわがままで彼を振り回したくない。一方的に幸せだと思っていても、勝行の気持ちが伴わないキスなんて虚しいだけだ。 光は毛布を被り直すと、ソファで呆然としたままの勝行の隣にドカッと座った。 「ほんとはいつものピアノ弾きながら年越ししたいなって思ってたけど、そういや無理だったと思ってな」 手持無沙汰の指を空中に浮かべ、ゆらゆらと動かしながら光はソファの背もたれに凭れる。光が自宅で愛用していた電子キーボードは、物理的な衝撃でボコボコになって電源が入らなくなった。隣でその様子を見ていた勝行は、少し申し訳なさそうな顔をしている。 「大事な思い出の詰まったキーボードだったのに、ドアぶっ壊すために使ったりするから……。楽器を武器にする奴なんて、初めて見たよ」 「うるせえ。お前を助けなきゃって思った時に、手ごろなアイテムがアレしかなかったんだよ。片岡のオッサンの車で向かったから、ライブの荷物乗せっぱなしだったんだ」 「どうせなら俺のギター使えばよかったのに。もうあのキーボードは廃盤になってるから、同じのは買えないんだよ」 「いいんだ。あれで」 父への感情を清算しに行って、何一つうまくできなかったあの日。 か細く聞こえた勝行の歌声を頼りに居場所を突き止め、小屋に閉じ込められていると分かるや否や、そこからどうにかして助け出すことだけに必死だった。あのキーボードは、父にもらったものだ。幼い頃、一番最初にピアノや音楽を教えてくれた父からの愛情。父と二人で過ごした幸せな日々の思い出の品。 光の手元に唯一残された、未練の塊だった。 あの日、頭から血を流して倒れていた勝行の姿を思い出しただけでもゾッとする。彼の命と引き換えに父との繋がりが壊れたのならば、いっそ諦めもつく。 (きっと父さんは、勝行を選んだんなら会いに来るなって言ってたんだ) 勝行には何度も「ありがとう」と謝辞を述べられたし、義父・修行からも褒められた。役に立てたことが未だに嬉しくて、ピアノのことなんて忘れていたぐらいだ。 「多分プラグの部分が変形した程度だから、修理すれば使えると思う。ただ、元通りの音が出るかどうかはわからないって業者さんが言ってた」 「ん? 修理に出したのかよ」 「勝手にごめん。あれが使えなくなって、光も落ち込んでるような気がしたから」 「別にいいのに……でもサンキューな。直ったらまた勉強のお供に弾いてやる」 「うん、ありがとう」 するとラジオの雑談に混じって、遠くから「ゴォオオン」と響く音が聴こえてきた。本物の除夜の鐘だ。光はすぐに気が付き「おお」と思わず身を乗り出す。 「外。鐘、鳴ってる!」 「え……? ラジオじゃなくて?」 「今あっちの方で鳴ったぞ。……あ、ほら、もっかい」 何度説明しても、勝行は首を傾げるばかりだ。光は立ち上がり、鐘の鳴る方角を真剣に確認する。 「あっちの窓際に行けば聴こえるかもしれないぜ」 すると今度は勝行から突然腕を引かれ、抱きしめられた。そのまま耳に口を近づけ、熱い吐息を吹きかけてくる。 「浮気者。俺の声だけ聴いててよ」 「……なに……それ……」 不意打ち過ぎて反応に困る。 どうしてそんな風に、期待させるような甘い言葉ばかり吐いては突き放すのか。 逃げられない強さでぎゅっと勝行の中に閉じ込められて、思わず本音が漏れる。 「……捕まえたり、突き放したり。ややこしい奴だな。どっちがホントのお前なんだ」 「捕まえたところで、光はすぐどこかに飛んで行くじゃないか。ずっとここにいると思ったら、急にすり抜けて居なくなる」 「……う」 「光は本当にみんなに愛されてて……いつの間にか俺だけの光じゃなくなってることに気づいた時から、ずっと怖かった。俺のことなんて、そのうち飽きて忘れられるんじゃないかなって」 顔を埋め、耳元でぼやく愚痴の声がじわじわ低くなっていく。けれど性格が一瞬にして変わったあの時のような不穏な感じはしない。 「クリスマスにつけたキスマーク、消えたね……」 「え……?」 言うや否や、後ろから首筋をじゅうっと吸われて、ぞわっと背中に衝撃が走る。光は思わず「ふあんっ」と女みたいな声をあげてしまい、恥ずかしくて耳まで真っ赤になった。 「いきなりなにす……」 「ねえ光。好きだよ」 今度は背後からそんな言葉を投げかけられ、思わず目を瞠る。 「除夜の鐘みたいに百八回、言っても足りないぐらい。好き」 嬉しいような、嬉しくないような。何とも言えないもやもやが胸の上につっかえて、じわじわと光の心臓を圧し潰してくる。息が苦しい。涙が零れそうだ。 「ずっとこうしていたい……どこにも行きたくない」 「……」 「光も。どこにも行かないで」 実家でどんな仕打ちを受けていても滅多に弱音を吐かなかった勝行が、光を抱きしめたまま消え入りそうな声で呟いた。 「知ってる? 去年もこうやって、寝てる光を抱いたまま年越ししたんだ」 「……そ、そう、なのか……」 「クリスマスも……お盆も、正月も。毎晩だっていい。本当は……そんなの関係なしに、ずっとこの腕の中に居て欲しい。空の下になんか、放したくない」 「……」 「でもそうしたら、俺の望みは叶わなくなる。いつもそうなんだ。俺の中で、二律背反みたいに……真逆の欲望がぶつかり合って、制御できない」 まどろっこしい言い訳がつらつらと並べられていく。光は振り返らないまま、胸元に回った勝行の袖をぎゅっと掴んだ。 光にも言いたいことがある。好きだけど、好きと言えない気持ちがくすぶったままだ。 「人生って素直にうまくいかねーよな」 「……そうだね」 「俺は……ずっと勝行と一緒に居られるなら、弟とか家政夫でもいいって思ってるけど。でも本当は……ほんとは、それだけなのは……嫌だ……」 「……うん」 すごく勇気を振り絞って告白したつもりだったのに、あっさり頷かれて光は驚いた。 「出会った頃はさ。お前をこうやって俺の腕の中に閉じ込めるために、相羽家の力を使った。これが最善の策だと思ってたんだ。……でも本気で好きになった時、後悔した」 「……後悔?」 「兄弟は恋人にはなれないだろ。キスはまあ……百歩譲っていいとしても、それ以上は……な。お前は失くした家族を欲しがっていたから。兄としての【相羽勝行】を慕ってくれてると思って、我慢してきた」 ――こんな時にそれを言うなんてズルい。 にわかには信じられなくて、光は勝行の顔を何度も見ようとした。けれど怖くて振り返られない。 「嘘だ……だってお前、ノンケだろ」 「ノンケって、なに?」 「ゲイじゃないってこと。お前、俺のこと、抱きたくないって言った……男より女の方がいいんじゃんよ……」 「俺が? そんなこと、いつ言ったの」 「え……っと……お……お前が、何も覚えてない時」 ケイのことをどこまで話していいかわからず、途中で言葉に詰まる。「ごめんね」と勝行は頭を垂れた。 「でも俺の中にいた、もうひとりの奴とは……寝たんだろ」 「し……知ってんの?」 「アイツから聞き出した」 そういえば、ケイは勝行に存在が気づかれたと言って消えていった。 光も未だわからない。ケイと勝行が一体どんな関係で、どうやって交流をして、なぜ同じ身体を分かち合っていたのか。 「俺はちゃんと恋人としてお前を愛したかったんだ。ヤりたいって思う劣情だけで無理やり犯すような……そんなのはしたくなかった。でもアイツは……そういうの無視して、お前を勝手に……。本当にごめん。止められなくて」 「ち、違……」 無理やり犯したのはこっちの方だ。そう言いたかったけれど、勝行が落としてくる耳元や首への優しいキスに意識が飛んでしまい、うまく声にならない。ちゅ、ちゅと甘く鳴るキス音が、鐘の音に混じってリビングに響き渡る。 「誰にも盗られたくない。それがたとえ俺の中にいる奴でも、嫌だ。でもそんなこと、言える資格はどこにもない。兄弟だったら……無理なんだ」 「……」 「ごめんね。今更かもしれないけど。俺は……お前の兄貴になるのはもうやめるよ。今年でおしまい」 「……じゃあ……来年から、は……?」 「今西光に恋をしたルームメイト。かな」 勝行はそう言うと、一度時計の針を見やった。それから抱きしめる腕を緩め、袖を掴んだままの光の手を取った。冷えきった指先が不健康なほどに白くなっていた。 それを握り、やわやわと撫でさすって温めながら、まるで歌うように勝行は告白する。 「新年あけましておめでとう。俺の今年の抱負を聞いてくれる?」 「……うん?」 「光と、恋人になりたい」 クリスマスに叶ったあの幸せな時間は、一体いつまで続いてくれるのだろう。 光は震える唇を何度も食いしばりながら、声を押し殺して呟いた。 「……それ。いつなれんの?」 「光が許してくれたら、かな」 「今いいよって言ったら?」 「……ちょっとは悩んでくれてもいいのに」 「どうして」 「今まで以上に束縛するし、邪魔者は完全に排除するから。お前の自由、減るよ」 「はは……なにそれ。ばっかじゃね……今更すぎて……ほんと、笑えるわ……っ」 「泣いてるくせに、笑うんだ?」 勝行は何度も光の髪を撫で、頬に伝う涙を舐めた。それからゆっくりと、俯いたままの光の顔を覗き込んでくる。恥ずかしくて光は顔を背けた。 「なんで……なんでそんな風に……いつもお前がかっこいいとこ全部持っていくんだよ……ズルだろ」 「そんなことないさ。ドアを物理で突き破って助けに来てくれるヒーローなんて、今どきいないよ」 「う、うっせえ」 「……ねえ、光。こっち向いて。新年最初のキスをしようよ」 恋人になるということは、こんな甘ったるくてむず痒くなるようなシチュエーションばかり要求されるのだろうか。 光はじろりと横目で勝行を睨み、それから「まだ俺、あけましておめでとうって言ってない」と唇を尖らせた。勝行はそれを笑って聞き流しながら、半ば強引に唇を押し当ててきた。 それは本当に甘くて、ほんのりしょっぱい涙の味がするキスだった。
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