第一章 四つ葉のクローバーを君に

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同じ夕焼けを高校の窓から眺めていた勝行は、手元にある分厚い参考書を閉じて首を回した。少し根を詰めすぎたせいで、首筋がすっかり凝り固まっていた。 「最近お前一人なんだな」 クラスメイトから話しかけられ、苦笑する。光と常時一緒に行動していたせいか、単独で動いていると違和感があるらしい。 これまでにも何度となく、光が学校を休むことはあったというのに。理由は入院、通院、仕事、誘拐事件など。実に様々ながら、まともに登校しても保健室などの別室にいることが多い。それでもクラスのみんなが「光と一緒にいない」ことをわざわざ突っ込んでくるぐらい、長期間彼は教室に来ていなかった。 放課後の三年A組教室。どかどかと教室に戻るなりおもむろに話しかけてきたメンツには、普段口も利かないような連中も混じっていた。 「今西が休みがちなのは知ってるけど。昼休みとか放課後は二人でいるとこばっかり見かけるっていうか」 「放課後すぐ帰るもんな、相羽」 「居残って勉強してるとか、珍しいじゃん」 「そう……だね。ちょっと……家に戻っても落ち着かないし、塾も行ってないから、勉強するなら学校にいるうちにと思って」 「優等生はやっぱ違うなー、言ってることがすでにレベチ」 「あの成績で塾行ってないのか……」 それは嫌味と受け取ってもいいのだろうか。確かに、ひとりぼっちで放課後の教室にいたことなんて、今までなかったかもしれない。 (いつもならこの時間はここで……光と一緒に作った曲の歌詞、考えてたから。周りなんて見てなかったな) 逆に他人の方がよく見ているものだ。いつものパートナーが向かい合って座る席には、代わりに色黒の短髪青年が座りこんできた。 ひと汗かいた後の男の匂いが一気に充満する。水分をとりながら帰り支度をする者や、運動用の私服を脱いで人目も憚らず着替え始める者もいた。 「みんなは部活あがり?」 「おう、三年はもう試合も終わったし、引退したんだけどな」 「このままスポーツ推薦で上がる奴も多いから、自主練してた」 「なるほど。お疲れ様」 「あ、部室使えねえから、ここで着替えるけど。カツユキ姫、目のやり場に困る?」 「俺、筋肉フェチだから。むしろ完成度チェックがてらにガン見してあげるよ」 「キャーまじか!」 「意外な性癖が」 「そういえば相羽もさ、けっこう腹筋割れてるよな。体育の時にちらっと見た」 「マジか。勉強ばっかしてるくせに? 見せろ見せろ!」 「ちょ、やめろって」 貞操の危険を感じてガードを固めると、わき腹のくすぐり攻撃にチェンジされて椅子ごとひっくり返りそうになる。 男子同士のくだらないじゃれ合いで、勝行は久しぶりに声を上げて笑った。ここ最近、考えることが多すぎて誰かと話をすることもあまりなかったし、クラスメイトと遊ぶこともなかったせいか、妙な新鮮味を感じる。 ばさばさと机から落ちた参考書数冊を拾い上げた友人の一人が、「うわ難しそう」と露骨に嫌そうな顔を見せた。 「法律の本とか、何が面白いんだか」 「刑法総論……こんなん、大学入ってから使う参考書じゃん」 「相羽って法学部希望なん?」 「そういえば、T大受けるって噂で聞いたけど」 その言葉には一瞬どきりとする。だが勝行の動揺など知る由もない同級生たちは、もう参考書を机上に戻して受験ネタで盛り上がりだした。 「どうせなら俺と一緒のW大受けようぜ。姫なら芸能人になりそう」 「何言ってんのお前。相羽はもう芸能人だぞ。歌ってんじゃん」 「あ、そうだっけ? 教室にいると普通だから忘れてた」 「それはお前、姫が傷つくぞ」 「別にそんなことで傷ついたりしないよ。そこまで売れてないし。メインは光だから。あいつがいないと活動もままならない」 「あーわかる。今西は顔のクオリティ高すぎだろ。隣に立ちたくない」 会話にちらほらと混じりながら、勝行はこれが当たり前の反応だよなと改めて思った。 (そうだよ……俺なんか、凡才で何の魅力もない平凡な男だ。俺に興味を持たない連中の印象は、あながち間違ってなんかいない) WINGSの魅力は今西光という男の持つ、強烈な「異世界感」だと思っている。勝行の心を一瞬で虜にした、あの不思議な音楽空間。視覚からくる人ならざる者のようなビジュアル情報が相まって、その透明度はぐんと純度を増していく。自分はただ、あの音楽に色を付けて、他人に聴こえるようにしただけだ。それがたまたま、ボーカリストというポジションだっただけのこと。芸能人という代名詞は、今西光にこそ相応しい。 だが同級生たちは勝行の肩を労うように叩き、お互いそんなことないだろと当たり障りのない言葉で慰めあう。彼らも競技世界で、どうしたって埋まることのない凡才と天才の間に隔てられた不公平な壁に苦しんでいるのだろうか。――なぜか、そんな気がした。 「なあ相羽、一人なんだったらたまには放課後付き合えよ」 「お前の話聞きたいしさ」 「塾、行ってないんだろ?」 「オレ、ファミレスで肉食ってから帰りてー!」 時計をちらりと見つめ、スマホの着信履歴を確認する。片岡からの業務連絡には「光さんは睡眠中」と記載されていた。しばし考えてから、勝行はいつもの営業スマイルを浮かべた。 「……いいよ」
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