第一章 四つ葉のクローバーを君に

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** 退院の許可は出たものの、それはテストを受けるためだけの数週間だけ。終わったらまた検査入院が必要と言われて、光は憮然とした。 「嘘だろ……俺、仕事あるんだけど」 「この先、ちゃんと仕事するためにも検査は受けておいた方がいい。君の心臓以外の場所が今どうなっているのか、しっかりチェックさせてもらいたいんだ。大丈夫、そこまで長くならないから」 夕食を食べている最中、病室にやってきた主治医の星野は、光の顔色を伺いながら今後の治療方針を連ねていく。 仕事があると言ってみたものの、正直な話WINGSにどんな仕事のオファーがあって、夏休みに何をするのか光は知らない。スケジュールは全て勝行とマネージャーの高倉が光の体調を見ながら組んでいる。 それでも確か、今年もライブを沢山しようねとか、今制作中のアルバムが夏に完成するから、これを引っ提げて全国ツアーしようぜとか――事務所で色々と楽し気に夢物語を話していたはずだ。光にも何か希望はないかと訊いてくれた。皆とライブができるのなら何でもいいと回答はしたものの、あの時見た笑顔が自分の不調のせいで曇ってしまうのではないだろうか。 「いつもみたいに通院しながらじゃダメなのかよ」 「だけど光くん、夜に発作が多いだろう。自宅にいても看病してくれる人がいないと聞いたし、一人暮らしは現状危ないよ」 「一人じゃなんかじゃ」 反論しかけてから、光は思わず口ごもった。一人暮らしではないが、勝行と二人きりで過ごしている最中、何度も彼に「俺じゃうまく看病できないから病院に行け」と愚痴られたことを思い出す。 これまでも自宅で発作が出るたび、部屋から飛んできて何度も看病してもらった。手に負えないと言われて何度も救急車や相羽家の送迎車で救急外来に担ぎ込まれてきた。そんな身体で自宅に戻っても、勝行にはきっと迷惑をかけるに違いない。どんなにほっとけと冷たくあしらっても、心配しながら怒って吸入器を押し付けてくるような人間だから。 (八方塞がりかよ……) 「君はそろそろ十八になるだろう。自分の身体が今どうなっていて、運動制限がどれぐらい必要で、これからどう付き合っていかなきゃいけないか。しっかり把握して、自己管理できるようにならないとね」 「……わかってる」 「そのための検査入院だ。高校卒業後の進路を考えるためにも、必要だと思うよ」 「卒業?」 「そうだよ。君のお義兄さんは大学受験するみたいだけど、光くんはどうするつもりかな」 「……どう……って……」 「まだ決めてない? じゃあこの夏の間に親御さんと一緒に考えてみたらどうだい。就職希望だと、体力や症状次第で業種も限られてくるからね。バンド活動も続けるんだろう?」 何も考えていなかった。毎日生きるだけで一杯いっぱいだったし、未来は怖くて目を逸らし続けてきた。 だがついに、考えなければいけない時がやってきたのだ。あの真っ暗で先の見えない世界に居る、未来の自分を。 高校卒業後の、自分を。 夜の七時を過ぎても、まだ外は明るい。食べきれなかった食事を下げてもらい、光は夕陽を眺めてぼんやりしていた。 今までは与えられた環境下で生き永らえることだけに必死だった。バンド活動も高校生活も、全部相羽勝行に「やろうよ」と誘われて乗っかっただけ。用意されていた道を歩くだけの人生だった。 けれどもうすぐ、勝行は自分とは違う道を歩いていく。あんなに沢山の参考書を広げていい大学に行くための勉強をしているのに、自分は何もしていないのだ。同じ場所に行けるはずがない。自分の次の居場所は、自分で探さなければいけない。 不安が募ってくると、わけもなく寂しくなる。蒸し暑いはずなのに、無性に身体が冷たい。光は両手で身を抱え込んだ。 「勝行……おっそ……」 「失礼します、光さん。今日も勝行さんは外でお食事を済ませてからこちらに来られるそうです。スタジオでプロデューサーさんと打ち合わせして、ライブハウスの方も少し寄ってから来られると。消灯時間までの到着は難しいかもしれません。明朝には必ずこちらに来られると仰っていました」 「あっそ……」 部屋に入ってきた護衛・片岡の報告を聞いてさらに落ち込んだ。早く帰ってきて欲しい時に限って、彼は何かと忙しい。そんな光の心情を知ってか知らずか、片岡は呑気に空を見上げて「まだ明るいですねえ」と間延びした声を上げた。 「今夜は夏至ですから、日が長いようで。時間もゆっくり感じてしまいますね」 「……?」 ふと聞き覚えのある言葉を聞いた気がして、光は思わず振り返った。 「夏至って。もう終わったんじゃねえの?」 「え、いえ……確か今日だったと思いますが」 「なんで。だってこないだ……一週間くらい前、夏至って、あいつが」 そう言ってから光はハッとした。夏至の夜に魔除けになる四つ葉が欲しいと必死にクローバーを探していた女の子。物悲し気な表情をしながら「信じていれば幸せを呼び寄せてくれるの」と言った母親。あの日光と一緒に探して、見つかったから幸せになれたのだと。夏至の四つ葉については、何一つ語っていなかった。 (あの母親、娘に嘘ついてたのか……?) たとえそれが嘘であったとしても、あの日しか探すことができなかったのだとしたら? あの日が夏至だと信じていれば、見つけたクローバーは彼女にとっての「魔除け」だ。嘘でも何でもない、あの子だけの幸運アイテム。 「まだ明るい……なあ、あと一時間だけでいいから、中庭行っていいか」 「え、今からまた探し物ですか? それはさすがに」 「ちょっとだけでいいから! あとで強制送還してもいいから! 頼む、今じゃないとだめなんだ、夏至の夜じゃないと……っ」 「光さん……? ですが私はこのあと勝行さんを迎えに」 「勝行が来るまでには絶対戻るから!」 片岡の返事を聞く余裕はもうなかった。光は寝巻一枚で部屋を飛び出した。
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