第一章 四つ葉のクローバーを君に

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** どんなに勝算が低くても、確率が僅かであったとしても。諦めなければそれはゼロにはならない。途中でやめてしまえば、費やした時間はマイナスになる。 湿気た土が膝についても顔についても構わず、光は必死になって四つ葉のクローバーを探し続けた。前回倒れてしまい、怒られた建物裏にも立ち入った。雑草だらけでクローバーそのものを探す方が困難なエリアだ。それでも、万が一の可能性にかけたいと思った。 光が手をかざすたび、雑草たちがざわざわと音を立てる。摘み取られる恐怖に怯えているのか、光の眉間にしわ寄った顔面が相当怖いのか――わからないが、不穏な不協和音があちこちで鳴り響いていた。 対照的に、時間は無情に、静かに過ぎ去っていく。 一度落ちかけると太陽の降下スピードはジェットコースター並みに早い。徐々に闇色へと染まっていく中目を凝らしていたが、やがて葉の形が区別できなくなってきた。 頭から垂れ落ちる汗が鬱陶しい。光は何度も首を左右に振った。 「光さん、そろそろ……」 片岡が遠慮がちに声をかける。 「お約束の時間は過ぎました」 「……っ」 聴こえてきたのははっきりとしたゲームオーバーの合図だった。 ここで諦めたらもう幸せは掴めない気がして、わざと一度は無視した。 (勝行の傍にいてもいいって……神さまがそう言ってくれるなら、きっと) 二度目の忠告では、はっきりと身体を抑えつけられた。這うように茂みを掻き分けていた光の肩が、不自然に持ち上がる。 「光さん……もう暗くなりました、今夜は諦めましょう」 脱力した光はぺたりと座り込み、ゆっくりと顔を上げた。うっかりすると涙が零れそうなので、土まみれの手で頬を拭った。 幸せの象徴、魔除けの御守り。今日この時間にこそ欲しかった。けれどもうダメか――。 その時、目に映った深緑の葉に違和感を感じて光は思わず手元を二度見した。太陽の代わりに上がってきた月の灯りが、そこだけをうっすら照らしている。 「あ……」 一、二、三、四。 それはたしかに、四枚の葉に分かれた状態で。光の親指のすぐそばで、重い頭をもたげていた。 「あった……あった!」 片岡の腕を振り切ると、光は手元の葉を慎重に摘み取り、それを空に掲げて何度も眺めた。小さなハートの形が幾重にも重なった四つ葉は、愛されている子どもの生命のようにも見える。 隣で片岡が驚いたように手の中を覗き見た。 「四つ葉を探してらっしゃったのですか?」 「ああ、勝行にあげるんだ! これで……これがあれば、あいつだってきっと」 安堵した光は、両手で葉をそっと包み込んだあと、勢いよく立ち上がろうとして――。そのまま、ぐらりと意識が飛んだ。とっさに片岡が手を伸ばし、落ちる頭を寸でのところで支える。 「大丈夫ですか、光さん」 「うっ……」 無理をしたつもりはなかったのだが、思った以上に身体は悲鳴を上げていたようだ。勢いよく立ったせいだろうか、酷い立ち眩みに意識が吹っ飛びそうだ。それでも収穫を落とすまいと必死に両手を握り締めていた。 (頭……いってえ……なんだこれ、ガンガンする) 「片岡さん、光」 聞き覚えのある――だが少し強張った声色が、二人を呼んだ。中庭の芝生から、制服姿の勝行が早足で向かってくる。 「どうしてまたこんな時間に、ここで……! 片岡さんどういう状況ですか」 「申し訳ありません。光さんが突然お倒れになったので、間一髪支えることには成功したのですが」 「そうじゃない。どうしてまたここにいるんだって聞いている」 「お探し物があったそうです」 「はあ? こんな時間に、それを止めなかったんですか」 「はい、申し訳ありません」 「明日退院するって聞いたから、もう大丈夫だと思って皆とライブのスケジュール調整してきたのに……なんでまた外にいるんだ光! 先日と同じことを繰り返す気か」 「これについては私にすべての責任がございます。申し訳ありません」 勝行の声は明らかに怒っている。当然だ。大人しくしてろと言われたことも守らず、またしても夜にほっつき歩いた代償なのだから。だが片岡は関係ない。こいつを責めるな――と言いたかったのだが、口がうまく動かせない。 片岡は、何の言い訳もしなければ、光が四つ葉のクローバーを探し続けていたことも言わなかった。 勝行は片岡に幾ばくかの説教を飛ばした後、変われと命じて光を姫抱っこの形で抱き上げた。 「俺が連れていく。片岡さんはナースステーションに寄って先生を呼んで」 「承知しました」 勝行の腕の中にいる。いつの間にか、子どものように扱われて――あっさり抱きかかえられて。不本意だが、勝行の腕に抱かれた時の安心感はとてつもなく大きかった。激しい頭痛も移動中の恥ずかしさも二の次にできる、温かい居場所。 「ごめん勝行……また迷惑、かけた……」 「……」 「でも……でも、俺……」 「もういい。わかったよ」 汗だくの額に、青白い頬。浅い呼吸の中、うわごとのように謝る光を制するように、勝行は自分の唇を重ねて塞いだ。 やがてゆっくりと力が抜けていく。意識を失った光を見つめながら、勝行はひとりで光を連れて上がった。ゆっくり丁寧に病室ベッドへと降ろし、額の汗を拭ってやると、もう一度きつく抱きしめる。 「ちょっと目を離したら、すぐどっか行って消えてしまう……やっぱり無理だよ。俺には耐えられない。お前を失うのは……本当に、怖いんだ」 勝行の泣き言はもう光には聴こえていない。意識を手放した彼の両手は、固く閉ざされたままだった。
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