……未来予想図

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** ミンミンゼミが忙しなく音を奏でて自己主張している。個の存在を伝えようと、必死に。 世間は盆休み。一時帰宅を許された光は、相羽家の母屋にある庭園で一人ぼうっと座り込んでいた。目の前では使用人の男性が、何も植えられてない畑に生える雑草を抜いている。 「暑くありませんか、光さん」 「んー」 本日何度目かわからない、同じ質問に適当な返事を打つ。何も言わなくても、誰かが分刻みで近づいてきて、水分をどうぞ、アイスいかがですかなどと気遣ってきた。頭上には日傘代わりのパラソルが立てられている。至れり尽くせりな環境の中で光はずっとベンチに座り、膝を立てて蝉の主張を聴いていた。足元には脱ぎ捨てた靴が転がっている。 「ただいま、光」 「……」 「ひかる?」 ふっと目の前が暗くなる。見慣れた顔が、自分を覗き込んでいた。 「——あ、勝行。おかえり」 「うん、ただいま」 白半袖のワイシャツの襟をきちっと止めたネクタイ姿の勝行は、軽く頬にチュッと音を立てて口づけると隣に座り込んだ。 「用事、終わった?」 「まだなんだけど、もうかったるくて抜けてきた。どうせ大人ばかりがくだらない過去の栄光語って酒盛りしてるだけだから」 勝行はふうとため息をつき、ネクタイの結び目を緩める。相羽家は盆と正月には親族一同が集う。そこでは色んな人付き合いがあるらしく、勝行は絶対参加しなくてはならないらしい。毎年こうして三鷹の本家に戻るものの、ただ面倒をみてもらっているだけの光には関係がない。会合の時間中は、いつも使用人たちと母屋で過ごして勝行の帰りを待つ。 「何かにものすごく集中してたみたいだけど、何を考えていたの?」 「……蝉の主張」 「え?」 「散々自分のこと、泣いて叫んで仲間に伝えてんのに、誰にも見つけてもらえないまま死んでいく奴もいるのかなとか」 「……」 「だから俺が、代わりに聴いてた」 誰へ届けるでもなく、ただ見つけてもらいたくて——聴いてもらいたくて懸命に羽を揺らし演奏する姿は、ピアノの前に座る自分と似ている気がした。ぼんやりと空の向こうを見つめ、光は膝を抱えて呟いた。勝行は「不思議なこと言うのにはもう慣れたけど、お前ってほんと謎だな」と苦笑していた。 「……それも、聴覚を鍛えるためだったり?」 「ああ……そうだな……それもある」 「でも光のは多分、聴覚過敏の障害だって先生が言ってた。生まれつきのものだって。だから本当に辛い時は、無理して鍛えなくてもいいんだよ。不快な音は好きな音楽で蓋をしてしまえばいい」 「……そっか」 俺もそういうの、全然気づかずに連れ回してごめん。 心地よいボリュームの声で謝りながら勝行は光のさらさらの髪を梳き、耳にそっと手を当てて蓋をする。それは暑いけれど気持ちいい。光は目を閉じ、勝行の肩にすとんと頭を垂れた。 「大丈夫……俺はちゃんと見つけてもらえたから」 いつもこうやって、名前を呼んで。自分をあるべき世界に戻してくれる。 どんな場面にいても、殺されそうになっていても、助けを乞わなくても。その身体を投げ捨てて迎えにくる。そんな相方に見つけてもらえた自分は、ものすごく幸福だと思う。姿勢を変えないまま、光はぼそぼそと呟いた。 「俺は勝行の声が好きだから……その声でいつも、蓋してる」 「そうなんだ。光栄だな」 「なんでかなあ……お前の声を初めて聞いた時からずっと、落ち着くっていうか。心地いいチャンネルなんだ。ピアノも歌も好きだけど、俺の名前呼んでくれる時の声……一番気持ちいい」 素直にそう告げたら、耳を塞いでいた手が外れた。どうしてだろうと思って顔を上げると、勝行の頬は真っ赤に染まっていた。はあ、と盛大なため息までつかれる。 「光、人のこと散々『たらし』とかって言うくせに。そんなセリフ、ずるい」 「なんで」 「ほんと、お前には敵わないよなあ……」 離した手で光の手を取り、膝の上に乗せたまま、勝行は甲にキスをひとつ落とした。 「光は俺にとっての大事な人だから、何度でも呼んであげるし、いなくなったらすぐ探しに行くよ。お前がドン引きして逃げても、しつこく追いかけ回すからね」 「うん……知ってる」 「たまに保さんとか片岡さんに、過保護すぎって言われるんだけど」 「それも知ってる」 ケラケラと笑いながら、光は勝行の手を握り返した。 どうしてそんなに、自分を好きでいてくれるのだろう。不思議でしょうがない。訊いてみてもいいだろうか……とぼんやり考えていたら、声に出してしまったようだ。勝行は周囲を一度見渡して誰もいないことを確認すると、小さな声で「大事な夢があるんだ」と囁いた。 それは本当に、うんと大切で、秘密の話のような気がする。光は思わず身を乗り出し、片耳を差し出した。 「この中だけなら、大丈夫」 勝行の声ならなんでもいい。 自分だけが知っているその声、その言葉、その夢を聴かせてほしい。 すると勝行は耳をふにっと優しく摘まみ、ペロンと舐めて意地悪く「気持ちいい?」と囁く。思わず全身がブルッと震えるほど、それは官能的だった。 「っ……なにすんだ!」 「ごめんごめん。俺の声が気持ちいいって言ってたから、つい」 わざとらしく耳元で囁きながら、勝行は内緒話のように手を口に当てて呟いた。 「俺、お前のプロデュースがしたいんだ」 「……?」 「今西光という名の、この世の最高の宝物。最初にこの原石を見つけたのは俺だ、保さんにも譲れない。いつか絶対、あの人を超えて……俺はお前を、世界中が注目する天才音楽アーティストに育てあげたい。それが俺の、夢」 思ってもみない言葉がかえってきて、光は何度も目をパチクリさせた。
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