第四章 カミングアウト

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** リンとの通話履歴はいつの間にか消えていて、結局彼女にかけ直すこともできず、言いたいことも言えなかった。それどころか、隣にいたであろう弟とも会話していないことに気づく。 元気なら同じ十八歳になっていて――リンやたくさんの友に祝われて楽しく過ごしているに違いない。愛想の悪い自分と違って、色んな人を笑顔にできる自慢の弟だ。 (――まあいっか) 光はスマホをかばんに放り投げてスタジオに閉じこもった。 夏休みの間に保が買ってくれた多機能ワークステーション・シンセサイザーの演奏が面白くてすっかりハマっている。放課後の練習が楽しみで、学校でも体調を崩さないよう気を付けているところだ。光が持っている古い電子キーボード以上に多彩な音色があり、これだけでバンドに必要な楽器音をいくらでも生み出せる。触っているとつい時間を忘れて没頭してしまうのは困り物だが。 「今日もがっつり練習していいわよ。今のところあんた以外使う人間いないから」 保にそう言われて、遠慮する気はない。なにせ、勝行が普段やっているような編曲を自分でもできるのだ。使い方を保に一通り教えてもらった後はアレンジのいろはもろくに知らないまま、一人で楽曲を作る作業に夢中になった。まるで入院中のブランクを取り返すような勢いだ。 その間、勝行は奥のコントロールルームで保に勉強をみてもらっていた。「お前が家庭教師?」と鼻で笑ったら「馬鹿にすんじゃないよ」と後頭部をぶたれたけれど、保の成績など知りもしない光にはピンとこなかった。それよりも天才プロデューサーと謳われる彼のマルチタスクぶりに舌を巻く。 「保ってマジで何者なんか、わからねえ」 「最高にかっこいいだろ? 僕がいくらでも彼の魅力と才能を教えてあげるよ」 「……」 独り言を呟いたはずが、しっかり村上晴樹に拾われてがっくり項垂れる。 何時間そこで演奏していたかは覚えてない。水分を取れと注意され、晴樹に抱きかかえられて無理やりスタジオから追い出された光は、休憩室のソファで寛ぐ勝行と保に合流した。勝行の勉強は捗ったらしく、「解説わかりやすかったです、特に英文法」と保を褒めちぎっている。 話題の本人は周囲の会話もまるっと無視して沢山の書類と睨めっこしていた。事務所代表として、対外的に戦わねばならないことが山積みらしい。それも殆どがWINGS関連の案件ばかりだ。 「光、ワークステーションの使い心地はどう」 「んー問題なし。試しに一曲作って録音してみた。あとで聴く?」 「あ、それは俺も聴きたい」 「勝行ならそう言うと思ってな」 「ありがとう、さすが光」 覚えたてのスキルを使って勝行の役に立てたなら本望だ。ふふんとドヤ顔を見せると、参考書やノートを片付けながら勝行も嬉しそうに笑った。これはいつもの音楽バカの笑顔だ。 その光景を微笑まし気に見つめていた晴樹は、保に奢ってもらったコーヒーを飲みながら「仲いいねえ」と話しかけてくる。 「ところでなぜ村上先生がここにいらっしゃるんですか」 「え、日本の運転免許もないし金ないし。一人で家に帰れないから保の仕事が終わるの待ってる」 「……そんな理由で、職場に……?」 「ちゃんと働いてるよー、ほら。外国人来た時の対応担当。あと光くんが言うこと聞かない時の実力行使担当」 「めちゃくちゃ限定的で使えねえスキルだな」 「ひどいな光くん。こう見えてもお兄さんもまあまあ賢いよ? 学校の先生として君たちを監視できるくらいには」 途端、勝行は胡散臭そうに晴樹を睨みつける。 「今日の現代文、板書が誤字だらけでしたよ。外国暮らしが長すぎてお忘れになったんじゃないですか。村上先生」 「授業中、好きな子に現を抜かして黒板なんて見てないと思ってたんだけど、ちゃんと授業受けてんだねえ相羽クン。さすが受験生、偉いえらい。放課後、補講してあげよっか?」 「けっこうです」 この男は保にベタ惚れだし、自分たちに危害を加えるような危険性は感じないのだが――。勝行の態度は常にそっけない。あからさまに敵意を見せるその理由に光は心当たりがあった。晴樹の方も、わかっていてわざと挑発しているようにしか見えない。もともと遠慮のない、空気読まない系のおちゃらけた男だ。勝行が苦手とするタイプには違いない。しかし。 (まずったな……) 蛇とマングース。はたまた猿と犬か。 晴樹が突然教室にやってきて、急病の教師代理だと自己紹介してきた日から、光はこの二人の間に飛び交う見えない火花にビクビクしていた。 何も言わず静観している保に助けを求めたいが、あれは絶対わかっていて放置しているに違いない。 「おい保。なんとかしろよ……お前の彼氏なんだろ」 「モテモテで困ったわね、美少年」 「そうじゃねえだろうが」 こうなった原因は半分保にもあるというのに、完全無視を決め込むつもりらしい。光は盛大なため息をついて保の向かいに座り込んだ。すると「あんた今話せる?」とシリアストーンで話しかけられる。 「……なに」 「仕事の話。この前、INFINITYで限定ライブしたでしょ」 「ああ」 「事件絡みでバズった影響もあるとは思うんだけど。知り合い数人から、ライブ演奏を頼みたいとか、特集組みたいって話がちらほら上がってきてる」 「……へえ。今度は悪い奴じゃない?」 「信用できる知り合いだけをピックアップしているところよ。あんた、受験しないんでしょ。勝行抜きで活動させるから体調しっかり管理しておきな」 「……えっ……勝行抜きって……何で」 「あんたも病欠で仕事出られなかったことあるでしょ。勝行は今まで何度も一人でWINGSの看板背負ってがんばってきたんだ。WINGSは表向き、まだ活動休止の札を下げてる。でも別に、片割れが活動する分には制限かけてないからね」 「……そ……そう、か……」 急に責任重大な立場が増えた気がして、光は思わず姿勢を正した。つい先日、INFINITYで「十八になったから正式にスタッフとして採用する」と言われたばかりだ。その仕事と並行して、学校も行って――両立できるだろうか? 「あんたは音楽以外の仕事は嫌かもしれないけど、あの高名プロデューサーに喧嘩売ったアイドル高校生とは一体どんな人物なのか。実際に学校で勉強しながら夜はバンドしてるというのは本当か……っていうネタがね、タイムリーでいい宣材なの。そろそろ三年生は重要な授業もなくなってきた頃だろうし、学校に掛け合って『ドキュメンタリー』の撮影許可をもらおうと思っててね。撮った動画は次の新曲のプロモーションビデオにしたり、特集を狙う企画に持ち込む」 「次……次って、今から作るのか?」 「未来予想図。あれいい曲だったわよ。あんたたちが卒業する頃、この曲に載せて高校生活のドキュメンタリーを流せば卒業ソングの演出もできるし、ランキングも狙える。今のところファンにはお前たち推しの育つ姿を見たいっていう富裕層の支援が多いから、そこを狙う作戦よ」 「卒業ソング……あの曲が?」 「そしてWINGSは卒業と同時に新天地への出発をテーマにして、来春本格的に復活する。そのために今できる話題作りがお前の仕事ってところね。勝行には受験を優先しつつ、できる範囲でのサポートを頼む」 保にはもう来年以降の自分たちのプランが出来上がっているらしい。二人で未来の話をしながら作ったあの曲が、本当に未来のシングルカットになるとは。光は驚いて思わず隣に座る勝行を振り返った。勝行も保の計画は初耳だったらしく、驚いた顔でこちらを見ていた。 「撮影っても特に何もしなくていい。普通に生活してるだけでいいから」 「俺、学校じゃ居眠りばっかしてるのに」 「そういうとこは勝行も撮影して、二面分割で並べて晒すわ」 「撮影はいつから……なんですか?」 「そうね、学校の許可さえ下りれば今すぐにでも」 急展開過ぎる保の提案を聞いて、勝行と光は「はやっ」とハモッた。「やっぱり仲いいね」と笑う晴樹は、保の後ろに立って光を見つめながらにんまり笑った。 「学校の撮影許可は、僕がもらってきたよ~。評定平均も出たし、十月になれば自由登校になるからいつでもいいってさ」
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