…… 挿し絵

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** 勝行は光の眠るベッドを背もたれにして、深夜遅くまでノートパソコンのキーボードを叩いていた。 予備校の案内。模擬試験の日程一覧。大学共通一次試験の受験案内。差し迫ってくる受験対策も、そろそろ自学自習のみでは限界を感じているところだ。情報を収集しつつ、勝行は事前に申し込みしておいた週末の模試の受験案内を確認していた。 (予備校も行きたいけど……そんな暇、ないだろうなあ。家庭教師を呼べる状態でもない。……撮影隊が家に入る話も、光は随分嫌そうだったしな……) 光は泣き疲れたのか、毛布に包まり丸まった姿勢で眠っていた。発作が出たらすぐに対応できるよう、最近は小さなちゃぶ台と座椅子を床にセットして光のベッドサイドで勉強する日が増えた。病院に居た時のように、同じベッドで寝るのが一番喜ぶのかもしれないけれど、あいにく勝行のベッドは背もたれが動かない固定タイプ。光のパイプベッドはシングルで、病院のそれ以上に狭い。 (うーん。寒くなってくると床で勉強は厳しいな。光のベッド買い換えようか) ふと思い立ち、ネットショップの寝具コーナーを検索すると、商品一覧をスクロールする。 今年の光の誕生日は、復活ライブの準備に明け暮れていて何もできなかった。本人もしゃかりきに働いていて、お祝いのケーキだけで充分だと笑っていたので気にしていなかったが、あれもこれも一気に仕事環境が変わってキャパオーバー気味になっているようだ。ぼんやりと平和に過ごしていた入院時の無邪気な笑顔も消えた。自宅でこそ、あの笑顔を見て癒されたいというのに――。 これから予備校に通うことになれば、別行動の時間がさらに増えるだろう。撮影隊は光を追いかけるだろうから、彼らが信用できる人間なのであれば今しばらく光が一人きりになる心配はない。それでも不安が拭いきれず、決断できないままずるずると時間は過ぎていく。秋の連休も駆け足で終わり、休日に再開したライブも大盛況。だが自分の受験勉強は遅々として進まない。 (ひとまず模試だけは。これ受けたらちょっとは自分の学力もわかるだろうし) 「お待たせしました。コーヒー買ってきました」 コンコンとドアをノックし、勝行の返答を待つ片岡に入室の許可を出すと、開いた扉の隙間からふんわりとコーヒーの香りが漂ってくる。 「晩御飯、何かお食べになりましたか」 「今はいいんだ。光が元気になったら何か作ってもらうから」 「ですが」 「片岡さん、今日の光は本当に体調が悪かっただけですか。保健室で何かありましたか」 「……いえ……何もありませんでした」 「そうですか」 コーヒーだけ受け取ると、これ以上は無駄口も要らないと言わんばかりに視線を逸らし、再びパソコンの画面を追う。ちょうどメールの通知音が鳴った。受験案内に混じって、ドキュメンタリー撮影クルー全員の身辺調査結果がずらりと添付されている。一件ずつクリックしては、丁寧に書類をチェックしていく。 片岡はそれ以上何も言わず、かといって退出することもなく、その場で仁王立ちしたまま勝行の手元を見つめていた。それから思い出したとばかりに、ぽつりと呟く。 「私が伺った時は、村上先生が付き添っておられました」 「……」 「それ以外には何も」 その名を聞いて、勝行の手がぴくりと止まる。 (まさか。今日の情緒不安定の原因って) 何かにつれ、彼は光に絡んできては自分をからかってくる。きっと保やリンから二人の関係について面白おかしく伝え聞いたのだろう。何の根拠もないのに「彼氏」呼ばわりしてきたり、可愛い猫だと言ってどの生徒相手でも気軽に身体を触ってきたり。教師とは思えない言動をする彼が勝行は苦手だった。セクハラではと責めたこともあるが、住んでいた地域ではこれが当たり前のコミュニケーションだったと弁明されると、学生たちはみんな「面白い先生だな」の一言で受け入れてしまう。 それどころか、国語だけでなく英語も堪能なことから教員たちのウケがよく、外国人講師との通訳や生徒とのゼロ距離交流のおかげで、彼はあっという間に人気者になってしまった。こんな天性の陽キャ属性は、どこかで見たことある。 (そうだ。あの人、源次に似てる。光が可愛がってた弟。だからか? 光も随分親し気で……) 光があの教師と絡んでいる時、毎回胸がもやもやして息苦しくなる。誰かと仲良くしている様子なんて、今までに何度も見てきたというのに。 思わずパソコンもコーヒーも放置し、眠る光の布団を剥いだ。シルバーカフスのピアスがついた耳と、色白の首筋がすぐに目についた。覚えのないキスマークが一つでもついていれば、襲われている可能性も否めない。 勝行は念入りに光の身体を目視し、ピアスに着けたマイクロGPS発信機の状態も確認する。 (妙な水垢がついてる……舐められた?) ここにチップを埋め込んでいること、気づかれたかもしれない。あるいはいたずらで、耳舐めやキスをしていたかもしれない。無防備に眠る光は、そういう攻撃に弱いのだ。晴樹の仕業かどうかは分からないが、離れていたタイミングと把握できていない時間帯から割り出し、確信する。 「片岡さん」 「はい」 「今度から、村上先生が絶対光に接触しないよう、監視を強化してもらえませんか」 「……畏まりました。しかしそれには少々問題があるのですが、勝行さんはまだご存知ないですか?」 「問題……? なんですか。まどろっこしい言い訳はいらない、説明しろ」 煮え切らない片岡の回答に苛立ち、勝行は声を荒げた。片岡は終始落ち着いた表情のまま、勝行からの視線を外さずに告げる。 「村上晴樹は光さんの護衛として新たに派遣されてきた男です。雇い主は旦那様――勝行さんのお父様」 「なっ……」 「勝行さんの今後の受験に支障が出ないよう、トラブルの絶えない光さんには専属護衛をつけることにしたそうです。私は今まで通りお二人の身辺警護を担当しておりますが、有事の際は勝行さんの元を離れるわけにはいきませんので」 「そんなの、初耳だ。なぜ黙っていた」 「光さんと勝行さんには言わなくていいと。……通達が出ておりました。理由は存じ上げません」 最近あの父がやたらと勉強の進捗を聞いてくる理由がわかった気がして、勝行は脱力した。予備校の案内も、模試の情報も、全部父からの横流しだ。つまりは遠巻きに、光から離れて独り立ちしろと言っているようなもの。何があってもT大に進ませるために。 「まだ片岡さんの方がマシだったな……」 「何のことでしょう?」 「いや……。なんでもない」 護衛相手にすら嫉妬で狂いそうになる自分をどうにかして律さねばならない。勝行は腰掛けたまま、光の耳に手を当てる。小さな子どものように温いその肌も、火照る唇も、誰にも見せたくない。けれど。 「ならば保さんに連絡をとって、とにかくあの人が暴走しないよう、きっちり監視しておいてもらわないと困りますね」 「承知致しました。それではすぐにお繋ぎします」
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