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第五章 VS相羽勝行
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冷めたブラックコーヒーを啜りながら、勝行は机上のスケジュール帳と押し花しおりを何度も見つめた。
晴樹が相羽家の契約護衛だという情報は噂でもなんでもなく、真実だった。夏休み頃から置鮎保と相羽家の間で秘密裏に交渉があったという。受験に備えて芸能活動を自粛、あるいは中止するよう要請していた相羽家に対し、活動継続条件として「今西光のソロ活動」を保の方から提案してきたらしい。何かにつけてトラブルを引き起こす光の面倒は、事務所の方でしっかり見る。別行動が増えると片岡は勝行につきっきりになることが増えるため、用心棒兼マネージャーとして、アメリカ帰りの晴樹を雇わないかと紹介したらしい。保提案のドキュメンタリー企画は苦言を零す相羽家対策でもあり、一族の圧力を跳ね退けることができない非力な自分に代わって、大人たちが尽力してくれていたことを今更に知る。
父親の口から直接それを告げられた後、勝行に家庭教師をつける話まで進んでいたことも知り、苛立ちは増す一方だった。
早く光の隣でギターをかき鳴らして心のままに歌いたい。だが今の自分にはその資格がなさすぎる。先日の模試の結果が思わしくなかったのだ。
親族一同の指定校・T大文科一類のレベルチェックはB判定。勝行の第一希望大学ならA判定で問題なかったのだが、父親や親族を説得できるような成績を得ることができなかった。B判定と言っても合格圏内なのだし、きっちり勉強していればよほどのことがない限り心配はいらない。それでも許されないのは、相羽家の望む進路から逃げようとしているわけではなく、あえて自分の選んだ道を進むと言いきれないからだ。決して天才でも奇才でもない。地道な学習の積み重ねとして、今の成績がある。この努力を一瞬でもやめてしまえば、あっさり崩れ落ちる砂山のようなもろい財宝。こんなものに価値を見出せない以上、大学進学なんて本当に必要なのかなとすら考えてしまう。
(……やめよう。雑念が入れば時間を無駄にロスするだけだ)
そう思って現代文の参考書に手を付け、苦手な漢字の復習に取り組むも、やはりちっとも頭に入ってこない。書いた時の音韻で覚えると言っていた光のアドバイスを思い出しつつ、ノートにつらつらと字を書いてみるものの、気づけばシャーペンの手は止まっていた。それから、今日は寝る前にキスをしようと約束していたことをふいに思い出す。
(でもあいつ、さっきは普通に部屋に戻っていった……よな……)
撮影隊が来ている間、わざとこんな個別の生活を続けていたせいだろうか、差し入れのコーヒーを渡すと光はあっさり自室に引き籠ってしまった。いつもの彼ならキスはまだか、眠いなどと言いながら、ずけずけとプライベートゾーンに入ってくるはずなのに。せっかく久しぶりに訪れた二人きりの夜が、どこか味気ないものに変わっていく。
(……村上晴樹になんか言われたのかな)
こっそり本人にも内緒でつけていたキスマークを見られていた。ピアスに埋めたGPS発信機にも気づかれている。危険人物として晴樹が光に警告していた可能性も否めない。そのせいで避けているとしたら――?
さっきの光の態度はとてもぎこちなかった。車の中でも終始おどおどしていたし、光の方も警戒し始めているのかもしれない。
そうこうしている間に光はいつの間にか他の男の隣に立っていて、自分のいない世界で笑って生きている。あんなにいがみ合って犬猿の仲だったプロデューサー・保ともあまり喧嘩しなくなったようだ。それも村上晴樹が全部クッション的存在になったのか、二人の間をうまくとりなしているらしい。
光を笑顔にさせるのも、有り余る魅力を引き出すのも、全部自分だけができることだと奢っていた。それらは全部ただの世迷いごとと気づいた時、すでに光の身体は勝行の腕からするりと抜けて、パタンと壁一枚隔たれる。
『あんま遅くまで無理すんなよ。じゃあな、おやすみ』
ありきたりで普通の挨拶。それが距離を置くような言葉に聴こえてしまったのは気のせいだろうか。
――否、あの子を最初に突き放したのは自分だ。これ以上光の近くにいれば、兄弟以上のことをしでかしてしまうだろう自分が怖くて――。撮影を理由に、あの子の願いを拒絶してしまった。本当は誰よりも人肌を求めて寂しがっているはずなのに。
「くそったれ……」
勝行は親指の爪を噛み、頭を抱えて何度も掻き毟った。コーヒーを無理やり流し込まれた胃も、キリキリと悲鳴を上げていた。それから参考書を全部放置して、自室から飛び出した。半分開いた扉の向こう側――光の部屋からは、嫌な予感のする激しい咳の音が聴こえていた。
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