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最初の印象は「綺麗な人」だった。
ぼく、尾上真咲が部活の先輩に連れられたのは夏限定、海の家のバイトだった。
そこで出会ったのが凪さんだ。色素の薄くなったふわっふわの髪をパイナップルのようにしばって細い腕で豪快に焼きそばを焼いている。
一度も染めたことのない黒い髪にふとぶちの眼鏡。
地味な見た目と人見知りのせいで目立たないぼくとは正反対のそのまぶしさに「ああ、こんな綺麗な人がいるんだ」と驚いてしまった。
そして、関わり合いになれそうな人種じゃないな、と少しだけひるむ。
「おー。バイトかあ」
だけど予想に反して彼は真っ白な歯を見せてぼく達に笑いかけた。屈託のない笑顔だった。
その瞬間、卑屈めいた気持ちとは裏腹に恋に落ちたといっても過言ではない。不自然なくらいドキンと心臓が大きな音を立てた。
筋肉隆々で色黒な海の男たちの中でその白さは際立って、整った顔立ちが場違いな印象を与える。
どちらかといえば「日焼けはしたくないから」と屋内にこもっていそうな雰囲気なのに、この凪さんこそがこれからお世話になる海の家のオーナーなのだった。
「なあに、そんなにヒョロッヒョロな体で大丈夫なわけえ?」と自分の細さを棚に上げぼくの腕をきゅっとつまみあげた。
「ナンパとかはバイト終わってからにしてよねえ」
ニヒヒと笑ったその笑顔が真夏の太陽よりまぶしい。
夏、という浮かれた空気がよく似合う人だった。
「ナンパなんかしませんよ」
「ひえ~ワカモノが禁欲的なこといってる」
茶色ががった大き目な瞳をいたずらっ子のようにクルリとさせ、ムダ口を叩きながらも凪さんは手際よく焼きそばを焼き上げていく。濃厚でおいしそうなソースのにおいがあたりに漂っていて、おなかがグウっと音をたててしまった。
「お、いい音。腹減った? 働けばご飯はうまいぞ」
自らが率先して働きながらもあたりに視線を送り、みんなを盛り上げてくれる。動きの鈍いぼくたち新人に対しても親切で的確な指示を与えてくれるからみんなすぐに凪さんのファンになった。
儚げな美人の見た目に反してなかなかのやり手らしいとのうわさ通りの人だった。
この海の家はわりと有名な海岸にあって夏の間はひっきりなしに忙しい。
一緒に来た仲間の中にはひと夏の恋が目的で来てるヤツも多いけど、実際のところそんな余裕はなく終わったころにはグッタリしてしまうのが常だった。
それでも毎日仕事をこなしていれば内容も覚えて慣れてもくる。
初心者じみた動きをすることも減り、いっちょ前にあたまに白いタオルを巻きながら、それぞれの夏を楽しみ始めていた。
海に落ちていく夕日が姿を消して群青が広がっていくころぼくたちの仕事は終わりを迎える。
人があふれごった返すほど賑やかだった砂浜もその頃にはしっとりとした気配をまとい、波うちぎわは寄り添い愛を囁きあうカップルが数組いるくらいになる。
そんなまったりとした時間にビールを片手に砂浜に座ってぼんやりと波の音を聞いているのがこのバイトの一番の楽しみといってもいいくらいだった。
「おつかれさん」と凪さんがぼくの隣に腰かけた。
瞬間ふわりと甘い香りが鼻を掠めてなんとなくムズムズとさせる。
「お疲れ様です」
「うん。今日も疲れたねえ」
凪さんのフワフワの髪が潮風に揺られてぼくの頬に触れた。見た目通り柔らかくて気持ちが良さそうだ。
つい凪さんの髪に気持ちを持っていかれていると、ヒョコっと首を傾げた凪さんがぼくの顔をのぞき込んだ。
「尾上ってなんのお勉強してるひと?」
「ひえっ」
ものすごく近い距離で見つめられて慣れないぼくは変な声をあげてしまった。直視できない美貌を無頓着に扱いすぎだ。
凪さんもびっくりしたように目を見開いている。こぼれそうに大きな瞳だ。舐めたら甘いんだろうかと考える。
「ごめん驚かせて」
謝るように両手を合わせるしぐさがあざとくてしんどい。
バクバクと跳ねた鼓動をごまかすようにぼくは何度も眼鏡を上げなおした。
「や、あの、勉強ですね。普通に経済です」
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