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父と息子
「最期に、思い残すことはありませんか?」
「ありません。本当に、もう何も」
「では、最期に残しておきたい言葉などは?」
「では、あの子が生きる世界が少しでも良い世界になりますように」
そう残して、彼は読み終えた小説を閉じるように永い永い眠りについた。
「父さん!」
大君が目覚めて最初に聞いたのは中年男性の声だった。声の主が泣いていることは解ったが、その声はまた聞こえなくなった。
次に意識が戻った時、もう眠気はなかった。周りを見渡せばそこが病院のベッドの上であることが解った。
「父さん、大君父さん」
すぐ隣で中年男性が涙を堪えながら微笑みかけていた。
「誰、ですか?」
「昴流です。あなたの息子の喜屋武昴流ですよ、父さん」
「昴流?昴流はまだ子供ですよ。それに貴方は私よりも年上に見える」
昴流と名乗った中年男性の皺くちゃになった笑顔に一筋の涙が流れ、彼はそれをすぐに袖で拭った。
「それはそうだよ。だってあれから、もう35年も経ったんだから」
「待って下さい。一体何の話を……?」
「起こしてあげるのが遅くなってゴメン。頑張ったんだよ、僕、本当に頑張ったんだ」
昴流の目から大粒の涙がいくつも流れた。
「父さん、ここは20XX年。僕はもう、48歳になったんだ。父さんより、もう10コも年上になっちゃったよ」
大君の表情は一気に強張った。
「昴流、なんだな? 本当に……」
大君は昴流の手を取ろうとしたが、身体が上手く動かなかった。
「無理しないで父さん。まだ目覚めて間もないんだ。暫く入院して様子を見るって先生が仰っていたよ。そりゃそうさ、だって35年もコールドスリープ状態だったんだから」
「コールドスリープ……? 嘘だ」
「嘘じゃないよ。父さんはそのつもりじゃなかったかも知れないけれど。でも、そのお陰でこうしてまた会うことができた。僕にとって、こんなに嬉しい事はないよ」
「ちょっと待て、ちょっと待て、俺は……」
「焦らないで、今はまだ何も考えなくて良いよ。ゆっくりで良いんだ」
「すまない、ちょっと落ち着いて考えたい。何がどうしてこうなった」
「解った。解ったよ父さん。今日はここまでにしよう。また、明日来るよ」
「ああ、すまない。ありがとう。父さん少し混乱しているみたいだ」
「無理もないよ。それじゃあ父さん、またね」
昴流はそう言って病室を出て行った。大君は完全に一人になったことを確認してから大きく深呼吸をした。
「俺は今、自分で父さんと言ったな」
落ち着いてから、眠りに就く前のことをゆっくりと思い出してみる。大君にとってそれは昨日のことのように鮮明に思い出すことができた。
大君は眠る前、自ら安楽死を選択したのだった。
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