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檜山隼(ひやましゅん) 茶髪で猫毛な髪が特徴的な彼が私の前に現れたのは二週間前のこと。新学期を迎えたこの時期に突如現れた転校生。それが檜山隼だった。 そして私は今、そんなクラスメイトのことが気になっている。少女漫画みたいに席が偶然隣同士になったからとか、そういう運命的なことでは一切ない。ただ私が一方的に彼を意識してしまっているだけだ。 というのも、彼は転校初日から机の脚に引っかかって転倒したりだとか、前に出て発表を頼まれるとチョークを探すのに相当な時間がかかったりだとか、挙句の果てには二週間経った今でも自分のロッカーすら覚えられていない。一見おっちょこちょいな転校生にも見えるけれど、私が注目しているのは彼の視力だ。 どう考えても彼の視力は悪い。机の脚に気づかないのも、チョークを探せないのも、ロッカーを覚えられないのも、きっと全部がその視力のせいだと思う。だからといって本当に彼の視力が悪いのかどうかも分からないし、実際に彼の視力が悪かったとして特に何か私にメリットがある訳でもない。ただ、本当になんとなく、彼が同志なのではないかと思っているだけ。私と同じ厄介な能力を持って生まれたのではないかと、そんなことを思ってしまっているのだ。 きっかけは昨日の放課後のこと。 帰宅部の私は親友の愛美(まなみ)に連れられてバスケ部の練習を覗きに行った。学年一かっこいいと騒がれている小宮山仁平(こみやまじんぺい)を拝みに行くだのと訳の分からないことを言う彼女についていくと、学年一のモテ男と一緒に練習する転校生を見つけた。 「ねぇ、あれって転校生?」 「うん。うちのクラスの檜山隼君」 「へぇ、彼もなかなかイケメンだねぇ」 そんなやり取りをしながら結局最後まで練習を見届けた。そして帰り道、愛美と別れた私の前を歩く檜山隼に気づき、そのマイペースなスピードに追いつかないように歩いていると、彼のポケットから何かが落ちた。 気づく様子のない彼を目で追いながらそれを拾った私は、小さくなっていく後ろ姿に声をかけた。 「これ、落としたよ」 彼の落とした鍵をぶら下げると、五メートルほど先の彼が目を細めながらこちらに近づいてきた。手を伸ばせば届きそうな距離まで来ると、「俺の鍵!」と大きな声を出し、眉間に皺を寄せていた表情が太陽のように明るい笑顔に変わった。 お礼を言うためにこちらを向いた彼と無意識に三秒間見つめ合ってしまっていた私にだけ届いた声。 『あー全然表情が分からん』 目悪いのかな、とその時初めて思った。それと同時に、この距離にいても私の表情が分からないのであれば、どう考えても矯正すべきだと思った。 「あ、鍵!ありがとう!助かった」 「どういたしまして」 「あの、同じ学校?だよね?」 彼は私の制服と自分の制服を見比べると、それが同じことくらいはその視力でも分かるようで、驚きながらもどこか少し安堵と喜びに満ちた表情を浮かべた。そんな彼を見て私の口元も自然と緩んでいった。 「うん。ちなみに同じクラスね」 驚いた彼が顔を向けた。無言でこちらを見るその視線に抗えないまま、三秒後に心の声は当たり前のようにやって来たのだ。 『同じクラス?!顔、よく見えないなぁ。もうちょっと近づいてみる?いや、女子だし、それはまずいか・・・けど明日会って覚えてなかったら失礼だよな、どうしよう』 驚くほど早口で話される彼の本音に私は思わず吹き出した。え?とういう表情を浮かべた彼が困った表情を浮かべ始めたので、 「私、白石みなみ。教卓から見て右から二番目の列の一番前の席。よろしくね」 それだけ伝えて逃げるように家に帰った。あれ以上時間を共に過ごすことは不可能だと感じたから。視力の悪い彼からの視線に抗えない自分がいたし、彼の本音に反応しそうになる自分がいて、このままではまずいと判断した。 それから私の頭の中は檜山隼という人間のことでいっぱいになった。彼の視力は推定0、1程度だろう。確実に生活に支障をきたしているはずだ。例えば、運転免許を取得するために必要な視力は0、7以上とされている。また、視力0、2以下である場合は眼鏡やコンタクトを常用することが推奨されている。そんなことくらい誰だって知ることのできる情報なのに、どうして彼はそれでも裸眼で生活しているのだろう。 これはきっと単なる好奇心で、私はその答えが知りたいと思った。
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