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私は人の心が読める。なんてことを言ったらきっと大半の人は驚くだろう。嫌がる人もいるだろうし、それとは逆に羨ましいと思う人もいるかもしれない。でも、他人の心の声なんてものは大概が聞かない方がいいことばかりだし、知って得することなんてほとんどないのが現実だ。
例えば今、日直の私は四十冊にもなる数学のノートを職員室まで運んでいる。落とさないように慎重になりながら階段を降りていると、このノートを受け取る予定の先生が私の横へとやって来て爽やかに言った。
「おぉ。白石。ありがとな」
笑顔を向ける先生と無言で見つめ合う。三秒間、たった三秒見つめ合えば、内に秘めた相手の本音が私の元へと届く。———『持ってくるの早すぎ』と、先生は今そんなことを思っているらしい。
「いえ、ちょっと早すぎましたかね?」
嘘の笑みに応えるようにわざとらしく口角を上げた私を先生は少し怪訝そうに見てきた。だけどすぐに柔らかな笑顔を作り、再び私に感謝の意を述べて去っていった。
先生の背中を眺めながら大きなため息をつく。他人の心の声を無視することができなくなってしまった自分に毎度のことながら心底呆れる。あんな風に反応して対抗するようなことを相手にぶつけてしまっていては、いつか誰も寄り付かなくなってしまいそうだ。
たった三秒、相手と見つめ合えば聞こえてくる心の声。どういう訳かそんな不運な体質に生まれてしまった私も今年の春で高校三年生になった。慣れてしまったこの能力にもう抗うことなんてしないけれど、せめて何も気にせずに生きていたいと思う。それなのに現実はそう簡単にはいかないものだ。
そんな厄介な私の能力も中学時代だけは、あまりその効果を発揮しなかった。当時バスケ部に入っていた私は毎日部活に明け暮れていて、あまり他人の心なんて気にしていなかった。何かに打ち込んでいたから気にならなかったんだと、その頃はそう思っていた。
だけど多分それは違う。
視力が、落ちていた。中学校入学当初は1、5あった視力は卒業する頃には0、1まで下がっていた。そのせいで人の顔なんて常にぼやけていたし、その曖昧な風景が私の当たり前になっていた。そんな私が高校入学と同時にコンタクトデビューを果たすと、その能力は再び力を発揮し始めた。
ここからは全て私の憶測ではあるけれど、私の能力は条件付きなんだと思う。
まず第一に、相手と三秒間見つめ合うこと。そしてもう一つ、おそらくこれが大事な条件だと、私は思う。それは、見つめる先の視界が鮮明であること。ぼやけた視界で見つめ合っても心の声は聞こえてこない。
つまりは、この煩わしい能力を気にせず生きていくためにはコンタクトさえ外してしまえばいいのだ。
もしもの時は、そうやって逃げればいい。
だってきっと、視力0、1の私にはどんな魔法も通用しないのだから。
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