ヨルノスイゾクカン

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ヨルノスイゾクカン。 昼間は水族館で人間を楽しませているいきものたちが、その責務から解放されて自分たちのために過ごす夜の世界。 まるでひとつの海のようなその世界では、彼らもまたヒトのようなすがたをして、思い思いの時間を楽しんでいた。 今宵は、イルカたちのパーティーがあった。 イルカたちは昼も夜も人気者だ。 そのパーティーとなれば当然人気のもよおしで、ほとんどのいきものたちがそちらへ出かけている。 しかしこの少年のすがたをしたペンギンは、ひとり水族館のはずれにいた。 パーティーへは行かない。 そういうものにあまり興味がなかった。 一度様子を見に行ったことがあるけれど、そのときもなにをするでもなかったものだ。 騒がしいのはそんなに好まない。 昼間、ペンギンのブースは──イルカには負けるかもしれないけれど──やはり人気があって、騒がしいのはそれで充分だった。 パーティーのときの水族館はそれ以外のところがうんと静かで、気に入っている。 誰もいない広い場所をひとりじめしているような気分になる。 ペンギンはひとり、空を飛びまわっていた。 この夜の世界では、ペンギンにも空を“飛ぶ”ことができた。 飛べない鳥、という不名誉な感じのする存在であることから解放されたような気になる。 そのことをそこまで気にしているわけではなかったけれど、やはり空を飛べるということはきもちがいい。 ひととおり思うままに飛んだのち、いちばん高いところに着陸して腰をおろした。 眼下には水族館のほとんどのところを見渡せて、にぎやかなパーティー会場も見えた。いつおどおり盛況だが、遠い世界だった。 そこへ、青年のすがたの人影がやってくる。 「パーティーやってるよ、ペンギンちゃん。行かないのー?」 と、小馬鹿にしたような調子で言った。 輝くようなグレーの髪の、すらりとした青年だ。 深い褐色の目を芝居がかった大げさな様子ですがめると、妙な威圧感がある。 彼はイルカ。 この水族館で一番の人気者の哺乳類。 ヒエラルキーの頂点に君臨する絶対的な王者。 しかし普段はそのぶ厚い外面の下に塗り込めた悪意を隠そうともしない高圧的な態度は、ここでだけ見るものだ。 夜だから、というのではなく。この静寂の中でだけのできごと。 「興味ねえって言ってるだろ」 「オレたちのパーティー、人気あるのに。傷つくなあ」 ペンギンのこたえに、彼はちっとも傷ついた様子などない調子で言う。 「じゃあ帰れよ、その自慢のパーティーに。なんでわざわざ僕に嫌味言いに来るんだよ」 「嫌味なんか言うわけないだろう。このオレが。誰からも愛されてる。なにも(そね)む必要がない。だから誰かに嫌味を言う必要もない」 「はいはいそうだろうな。おまえをチヤホヤしてくれるやつらのとこへ帰れ、腹黒イルカ」 青年は、その言葉を鼻で笑った。 軽やかに身をひるがえし、少年のとなりに腰をおろす。 「ペンギンにいじめられてんの、ユーリカ?」 「ねーよ」 「正直に言ってくれたら、オレが守ってあげられると思うよ」 「だからいじめられてねえんだよ」 「じゃあなんでこんなとこにひとりでいるの。ペンギンだって、イルカ(オレたち)の次くらいには人気者なのに。随分じゃない?」 「水族館(オモテ)ではちゃんとやってるからいいだろ」 「オモテ、ねえ。まあペンギンは、ただいるだけで人間にかわいがられるからいいよな」 「イルカは人間をからかっても喜ばれてるだろ」 「そういうのにも工夫がいるんだよ」 「僕たちだって別にノープランってわけじゃねえけど」 「へえ?」 「ペンギンは、へたするとおまえたちより人間と近い」 「そうだな。ちいさいやつらとか怖いだろう」 「知ったように」 「アクリル叩いてくるしなあいつら」 「──そうか」 「意外だったか?」 「どこでもいっしょなんだな」 「まあおおきいやつらなら絶対大丈夫ってわけでもないけど」 「ああ」 「まったく困ったものだよ」 そう言いながらイルカは再び立ち上がる。 ペンギンの後ろにまわり、彼を抱きかかえるように座り直した。 「おい」 「オレもひとりになりたいときくらいあるんだ、ユーリカ」 と、少年の黒髪にあごをのせる。 「僕はおまえのぬいぐるみじゃないぞ」 「ふわふわでこぢんまりしてるものな」 「うるせえハゲ」 イルカはのどを震わせて笑った。 密着しているためペンギンにもその振動が伝わってくる。 彼は、あたたかい。 海のいきもので、そう感じる相手はあまりいない。 水族館というところでは、ほんとうの海とくらべたならずっと数が多いのだろうけれど。 しかし、たとえばその筆頭である人間との間にも、ほとんどはなんらかの壁があった。 この夜においても稀有な体験だ。 彼の似かよった体温は、身になじんでしまう。 南極生まれというわけではないペンギンは、あたたかい方が好きだった。 「ひとりになりたいならよそへ行けよ」 「そうだな」 そう言いながらイルカは、ペンギンを抱く腕に力をこめる。 意外にもペンギンは無反応だった。応えるわけでもないが、抗うでもない。 「抵抗するのはやめたの?」 「やめてねえよ」 「でもおとなしい」 「おまえに力ずくじゃかなわないからな」 「そうだよ。ちいさなペンギンちゃん」 その居丈高な物言いに根拠があることは身に染みていた。 彼は大きく、力強く、体力もあって、泳ぎも速い。 そしてなによりかしこい。 真っ向勝負では敵う要素がない。 水族館でも、他の世界でも、おそらくペンギンにとって最高に有利なチート能力である“人間”もここでだけは使えない。 ここは人間だけがいない世界なのだ。 つまりは手詰まり。すくなくとも今のところは。 「あきらめたの?」 「あきらめてねーよ。考え中なだけだ」 「オレに勝つ方法を?」 「勝たなくてもいい」 「志が低くない?」 「そもそも勝負してねえ」 「ふうん? でも、その間このざまなのはいいわけ?」 「なにも喰われるわけじゃないからな。多少は」 「へえ。なーんで喰わないって思う?」 「喰わないだろ。イルカは。シャチじゃあるまいに」 「そうやって油断してると、ペロッといっちゃうかもしれないぜ」 低い声が耳元でささやく。 するどい歯で咬み千切られるのももちろん望まないが、丸呑みもゾッとするような気がした。 「おいしくないだろ」 「したことないからわかんないな」 「まあ、それはそうか」 「イルカ(オレ)をナメるなよ」 「ナメてはねえよ」 「ちいさい人間が見てたアニメでも、イルカはペンギンの宿敵だったろう?」 「世界征服でもするか?」 「それもいいかもな。なにせオレたちは、地球で2番目にかしこいいきものだ」 「そうかよ」 「ま、あのアニメでは、イルカはペンギンに負けるけど」 「4対1だけどな」 「エビ?カニ?もいるじゃん」 「アテにならんだろ」 「の連中は数に入れない?」 「そんな言い方はしてねえよ」 彼はただ、はは、と笑った。わざと意地悪な言い方をしたのはわかっていた。 「きみはあったかい」 「おい。変なとこさわるな」 「あったかいって、いいよな」 服の下に手を入れられ、ペンギンはどこか危機感をおぼえる。 「ソラタ」 「久々に名前呼んでくれた──ユーリカ」 たしなめるように名前を呼んでも、効果はなかった。 本格的に組み伏せられる。 服を乱され、なにかを確かめるようにあらゆるところを撫ぜられた。 元のすがたのときにはなにも着ていなくて平気なのに、ふしぎなもので、今この状態では服の中を触られるのはどこかはずかしめられているような気がした。 このヒトの身体の感覚は、ペンギンとは違った。 ほくろがある、と胸元に咬みつかれる。 焦燥感。しかしむこうの方が圧倒的に体格がよくて力も強く、うまく抵抗できない。 くちびるをあわせて、何度も吸い舐られる。 口の中はもっと熱い。 嫌がらせにしてはもどかしい。 痛みでもなく。侮辱でもなく。掻き立てられるものの正体はおぼろげで── 決定的な場所をさぐられて、これは交尾のまねごとなのだと気づく。 「なんでこんなことするんだよおまえ……」 「なんで、だって?」 ペンギンのその簡単な問いかけに、彼はひどく機嫌をそこねたように眉をしかめた。 「このトリ頭」 「おい」 「もうすこしかしこいと思ってたよ。なんでって、決まってるじゃないか。きみがからだよユーリカ」 と、まくしたてる。 意外な返答だった。 ペンギンにとってはしごく単純な疑問だったし、返答も当然もっと単純なものだと思っていた。 「────人間みたいな物言いをする。(さか)しいな」 「バカ言え。オレたちは人間よりかしこいんだぜ」 「そうだったな。で、やることがこれなのかよ」 「オレは歌もうたえるけど」 「世界征服に?」 「求愛だろ」 「イルカは求愛に歌わないだろ」 「だから?」 「ぃ、ん──ぅ」 「ペンギンって総排出腔なんだよな」 と、つぶやく。 そうだ。だからこんな風にしたこともされたこともなかった。するはずもなかった。 「僕、おまえの仲間でもねえし、子供産めるわけでもねえんだけど」 「だから──?」 それはいつものように皮肉げな言葉だったのに、彼はなんだかとても真剣な顔をしていたので、ペンギンにもなんとなく腑に落ちた。 ような気がした。 だから抵抗はやめた。もともと為すすべなどない無駄な抵抗ではあったが。 他人なのがよいだとか、孤独なのがよいだとか、彼の“はね”をのばせる条件としてそれらしい理屈をつけることは決して難しくなかったはずだ。 だけど彼は、なんて言い方をした。 なんて賢しいことだろう。 あわれに思った。きっとその優秀さこそが彼を彷徨わせることもあって、でも抗っている。 そういうとこ、たぶん嫌いじゃない。 「あきらめたの?」 「いや」 「じゃあなんで抵抗しないの。トリ頭でもわかるだろ、考えてる時間なんかねーよ?」 挑発的な言い方。彼のいらだちの理由もきっとわかっている。 きっと、同じことを感じているあかし。 「そりゃ──」 ペンギンは挑み返すように笑った。 「おまえがからだろ」 は空を飛んでいた。 夜の空を、ひとり。 自由に。すべらかに。のびやかに。しなやかに。高らかに。 彼は鳥だった。 そのすがたはあまりにうつくしくて。 見惚れずにはいられなかったのだ── 今日もペンギンは夜空を飛ぶ。 水族館をひとまわりして、とりあえず満足したので、降りようとあたりを見わたす。 と、いちばん高いところに座っている彼が見えた。 ペンギンが気がついたことに気づくと、腕をひろげ、 「おかえりユーリカ!」 と叫んだ。 嗚呼、なんて傲慢で、いい笑顔だ。 ペンギンは下降して、まるで彼に体あたりするように着地した。
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