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七月のある日。
中央部に大きな水溜りを二、三点作る程の雨がグラウンドを支配していた。
ここ二日程乾ききった地面を拝むことが無く、冷え込む連日に夏の温かさが恋しくなっていた頃。四階にある美術部部室ではリズム感のある高音が鳴り響いていた。
それにしても、だ。
この陰鬱な湿っぽさに、決して慣れる事が無いのは何故だろう?
「文。知っている?今日、人が死んだそうだ」
描かれた線を辿る様に、音を響かせ友人は続ける。
白石が削れていく度、魔法のように凛とした顔が出来上がるのを見ながら、その腕と集中力に畏敬の念を抱く。
男はこの学校でも著名な石工であり、将来を期待された天才と言われている。
名を将(まさる)。苗字を翁島と呼び、美術部の副部長を務める若き天才だ。写生の類にも優れた才能を発揮し、文句なしの美術部きっての逸材。
比較的真面目な彼の言葉に、深く考える事も無く次のように吐いた。
「随分と大々的というか、意味的に広義だな」
何処かの新聞で、何かしらの事故や事件が報道されたのか。少なくとも名もないそれで365日は埋まっているのは間違いない。
場所、名前、理由が完全に其処にはないのだから。
「二重の意味で広いからね。何処で、何があり、誰がって考えれば三重か」
「センシティブチャレンジでもしてるのか?」
「そんな事じゃないさ。文」
天才を理解する事は出来ない。
少なくとも、広義の上で非凡である俺はそう思う。
「人の民意は、得てして善意ではないって話だよ。”情けは人の為ならず”は、果たしてどちらを指しているのだろうね?」
濁り激流となる小川を横目に、そんな他愛の無い話を続けていると部員の一人が聲をかけてきた。
一学年唯一の新入部員である彼は、懸命に石を割る副部長様では無く俺の方へと顔を向け、扉の方へと指を指す。見覚えのある。というか、学内の中でも著名である顔がそこにはあった。
「文先輩。お客さんだぞ?」
「俺?」
「絵が上手い人をご所望だそうです」
隣にいる副部長を指すと、彼は首を振る。
その隣で先進的な絵を描いている友人を指すと、彼はまたしても首を振った。
前衛的な作品が認められる日は遠いと思いながら待ち人の元へと脚を進める。
待ち人は、凛とした表情と共に笑顔を向けた。
「はい、二年Ⅽ組の寺田西(てらだにし)ですが?」
「文君。後で肖像権請求するぞ?」
「あ? 西(にし)。お前にある訳ないだろ?」
「おいおい、人権だけは機能させてくれよ? 世の中センシティブなんだぜ?」
待ち人は、演劇部に所属する同学生。世剣(よつるぎ)品(しな)。
栗毛が特徴的な彼女は、その声音と高い演技力で人気を博しているスターのような存在だ。冗談を好み、演じる事を好み、悪戯の類を好む。
完璧超人と噂されている彼女だが、そのような事は決してない。誰よりも子供っぽい純情な人間だ。
「で、何か用か?品(しな)」
「__長田文さん?」
「間違いはない」
「美術部の平部員の、長田文さん?」
ああ、こういう訳だ。
人の肩書をさも嬉しそうに繰り返したり、明確に神経を逆なでしたりと加虐心に富んでいる。演技とも本心とも取れる言葉の暴力は、一部のコアなファンを定着させている。
ちなみに、美術部員で長田文と呼ばれる名前は俺しかいない。
それは彼女なりのジョークであり、悪戯であり、趣味の反中だ。どうにもならなず、性格の改変を願う他に方法はない。
「如何にも、平部員の方の長田文さんだが?」
「平部員である長田文さんは、絵が得意だと聞きました」
「人並みには」
「並み以上では?」
「ああ。小数点を乗せれる程度には自信過剰だ」
「それは困りました。困ったものです。絵が得意な人を探しているのですが_」
さすがに、芝居がかった口調に嫌気がさす。
「__そろそろ芝居を止めてくれないか、品(しな)」
「__いえいえ、全て限りない本心ですよ?芝居などではありません。文」
芝居がかった口調で、芝居かかった所作で。
近代のスターは言葉を続ける。
「貴方の実力を、謙遜を、心情を、努力をすべて含めての本心です」
「お前は本当に言葉が上手いよ」
言葉を選んで応える。
嫌味ともとらえず、彼女は頭を下げる。
「良心的解釈をありがとうございます」
「良心的解釈かはさておきだが。__で?描いてほしい絵というのは?」
「ええ。私を描いてください。__何時ものように」
一応断っておくが、俺と彼女の関係性は顧客と絵師だ。
それ以上でもなくそれ以下でもない。
唯一つ、彼女が提供する報酬というのは。
「何時ものように、面白い話を見つけましたので」
某探偵が喜ぶ謎、という事だ。
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