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七月の折。
静寂を吹き飛ばす程、様々な音に溢れた廊下を渡り例の場所へと向かう。
そこは幽霊沙汰で著名になり、七不思議の一角に属した理科室。
茹だれるような暑さに嫌みを垂れながら、その扉に手をかけた。
その扉は予想通り鍵がなく、大した手ごたえも無く其れは開く。
スケッチブックに力を籠め、その場所へと足を踏み入れた。
第二理科室内は空調が利いていないにもかかわらず、夏の暑さとしつこさを感じさせなかった。
左端に寄せたように纏められた水槽には、理学部の研究材料でもあるピラニアが数匹。一つの水槽にまとめられたそれ以外の水槽には、特に何がいる訳でもない。
時刻は七時を回り、薄暗い周囲が雰囲気を醸す。
静まり返った教室に、扉の開閉音だけが反響した。
外側から掛けられるはずのカギは無く、中にはカバンの一つも見えない。鍵をかけたの追忘れたにしては、その教室の整備は行き届いている。元々、第二理科室を使用している部活は無い。ここを管理する教員は生真面目な男で、環境整備に余念がない。
待ち人は居た。
同じ七日高校の制服で着飾った彼女は、此方を見定めると声を掛けた。
「やあ、文の上。奇遇だね」
彼女は、水称探偵。
水称探偵は、いわゆる名称だ。
名前として個を示さないその名前は、五年前から続いている。
彼女自身が五年前から水称探偵なのか。それとも別な誰かから受け継いだものか。それを知る事は出来ないが、少なくとも彼女が水称探偵である事は間違いない。
理科室の幽霊として名を馳せている探偵は、紛れも無い彼女だ。
理科室の探偵は意気揚々とスケッチブックを受け取る。それを横目に、自由となった腕で首元を緩めた。だらしないと笑う彼女が、続けて言葉を選ぶ。
「夏の暑さってのは、どうしてこうも変わらないんだろうね。陰湿で怠惰って言うか」
「どんな季節でも文句は途切れんだろ。お前は特にな」
水称探偵はその依頼料として、気に入った作品を所望する。
それが報酬であり対価だ。大抵の場合それは著名な作品ではない。彼女は依頼人の作品を所望する。彼女にとって価値は重要ではない。
だがそれは俺には当てはまらないらしい。
手渡したスケッチブックには十九番目の文字と、達筆に書かれた晴天の二文字。
「”青天”が作成した作品だ。資料集みたいなものだがな」
「あ、ありがとう。でも君、依頼をしに来たように見えないけど?」
そう吐くと、彼女は大層にそれを抱きしめる。
晴天は六年前から活動している、この学校出身の画家だ。名を朝霧(あさぎり) 毬(まり)と言い、五年前に自殺した理科室の亡霊だ。彼女が何を以て自殺をした有名と広がり、絵師ではなく探偵として秘色待ったのかは知らないが、少なくとも当時朝霧(あさぎり) 毬(まり)が絵師として著名だったのは郊外構内含めての事だった。
その上で、水晶探偵という尾ひれがついたのかは何時かは知らない。
それは最近の事にも思えるし、遠い話とも思える。
少なくとも、幽霊という看板を背負ったのは水称探偵である事に変わりはない。
幽霊であり探偵である。
名前を失った彼女は、その性質で存在している。
そして、水晶探偵はその推理の対価として絵を所望する。
「報酬を払わなかった奴がいたと聞いた。代わりの報酬だ、御遠慮せずに受け取り給え」
水称探偵は、机を椅子に見立てて腰を下ろす。
「これは義務で別に払わなくてもいいのだが……。君は嫌に律儀だな」
彼女は何時ものように定例文を吐く。
「けど、君の善意も受け取らなきゃいけない。これは私の義務だからね」
その時だ。
空気の読めスマホが手元を揺らした。舌打ち交じりに取り出すと件名は友人。碌でもない件名を連ねて早く来るように伝える。
「おい。__大人しく待て。駄犬」
直前に毒を吐きながら、彼女の方へと振り返った。
「今日は予定が込んでてな。お前と違って暇じゃないんだ」
「そうかな?私は、君が暇で暇でしょうがないと思っていたけど」
「ボッチのお前とは違うんだよ。探偵。じゃあ、明日な」
「ああ、そういえば人嫌いで有名だったね。今度からは気を付けるよ。文の上」
理科室から出ると、薄暗い中庭で手を振る友人の姿が見えた。
暇な男はスマホ片手に何かをほざいている。それを横目に、スマホの着信拒否を押す。連ねられた駄文に対しては、流行りの煽り文句を連ねる事で対処した。
これで大人しくなるだろうと、楽観的に息を吐く。
肌寒くなった廊下を歩きながら、うるさいスマホの電源を落とした。
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