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冷凍睡眠科の医師が目の前の丸椅子に座る冷凍睡眠希望者の男のカルテを眺めながらヒアリングを行っていた。心療内科からの転科に疑問を持ちながらのヒアリングである。
「ええと、死ぬのが怖いから冷凍睡眠を?」
「はい、とにかく死にたくないし、ヨボヨボの爺さんになりたくないんです」
「冷凍睡眠は数百年、数千年、場合によっては数万年でも生き続けることが出来る技術です。単なる先延ばしで姑息的治療に近い手段で『死なない』わけでも『歳をとらない』わけではないんですよ」
男は医師の言う「姑息的治療」と聞いて「お前は卑怯者だ」と言われたような気がしたが、「姑息」の正しい意味である「一時しのぎ」と言うことを思い出してすぐに気分を直した。
「先延ばしでもいいんです。とにかく死が遠ければ遠い程これでいいんです」
医師はカルテの特記欄に赤線を引いた。そこには「患者は死と老いに対して激しい恐怖を感じる傾向にある」と記されていた。おそらくこの患者は心療内科にてこれに関しては数百回の通院で話しているだろう。それにも関わらずに改善が見られないことから冷凍睡眠科にて姑息的処置を丸投げしたのだろうと考えながら医師は口を開いた。
「そんなに死ぬのが怖いのですか? 確かに人間皆死は怖いものですが」
「あの、先生。人間死んだらどうなるかご存知ですか? 医者として答えて下さい」
医師は首を横に振った。冷凍睡眠が既存技術になるほどに発展した医学を誇る時代でも、死後は何一つ判明していない。魂が何かと言うことすらも解明されていないのである。
「何もわかりません」
「死んだら地獄に落ちるんですか? あの世ってあるんですか?」
「それこそわかりませんよ」
「虫一匹、花を一輪摘み取っただけでも地獄行きって近所の坊主が言っていました。信じてはいませんが…… 怖くないですか? こんなことやってたら生まれてすぐに死んだ赤ん坊ぐらいしか地獄行きを免れられないじゃないですか」
「死んだ後のことで不安を煽る人は下の下ですよ。死んだ後のことを気にするのはおやめになられた方が」
「別の坊主に聞いたら輪廻転生で生まれ変わると言っていました。何に生まれ変わるかは分からないって。血を吸いに来る蚊だって、ゴキブリホイホイで乾いて干からびたゴキブリだって前世は人間だったかもしれない! 生まれ変わったら虫けらかもしれないって! いや、家畜かもしれない! 人間に生まれ変われてもこの国みたいな先進国じゃなくて発展途上国かもしれない! だから生まれ変わりたくねえ! ずっとこのままでいたいんです!」
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