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第1話「神の味噌汁」
「……料理を教えて欲しい?」
7月の末、 部室内にて。彰人はガンプラの作業中の手を止め、急にどうした?と聞き返す。彼が疑問に思うのも無理はない。何しろ、料理とは無縁そうな二人が急に料理を作りたい、と酔狂な事を言い出したからである。
「そう、彰人が和食を作れるって聞いてさ。」
端正な顔立ち、だが性格は天然ボケ気味な男、
エリック・オースティンは無邪気な笑顔で答えた。
ガンプラバトルの時は優秀な男だが、平時は何を考えているのか友人の彰人ですら計りかねる時がある。しかし、全く根拠の無い行動はしない男だとは理解していた。
「……私からもお願い、彰人君。」
(むむむ……。)
エリックの後ろにいた文香が、申し訳なさそうに頼んできた。彰人は文香と付き合い始めてからというもの、彼女が神妙そうな表情で頼むとどうにも弱い。
「俺はいいよ。でもエリックはいいとして……沙雪、お前は料理出来なかったのか?」
「いや違う、私は出来ないのでは無い。経験が無いだけだ。」
ふふん、と胸を張り自信満々に答える。この女……やはり無駄に自信がある、と彰人は内心頭を抱えた。彼女は自信はある。だが、エリックとは違い根拠に基づいたものとは限らないのである。
「まぁ、断る理由も無いしな。俺も和食だけなら作れる。」
3人の顔を眺めた。肩を落としながら彰人は答える。後に、彼は軽率に安請け合いした事を後悔することになる。
数十分後。
料理同好会の机の上に並べられた料理を眺めて、彰人は頭を抱えていた。
「あのさ……料理出来ないのは知ってた。経験が無いのも分かる。」
「でもさ……これは無いだろ。」
「す、すごいね。」
テーブルの上には黒い物体と何かよくわからないブヨブヨしたスープ?のようなものが器に入っている。なんとも形容し難い悪臭が鼻をつき、思わず顔をしかめる。
「sorry!」
「sorryじゃない!」
「ふむ、少し間違えてしまったかな。」
「少しどころじゃない!」
そう、少しどころではない。通常料理とは得意不得意はあれど全く違うものが出来るのは稀である。しかしこの二人、失敗までもが規格外であった。
味噌汁を作る予定のエリックはなぜか茶色がかったぶよぶよの物体を錬成し、沙雪に関してはお吸い物としては出来ているものの切り方が雑。雑すぎるのである。豆腐はずたずたになりその舌触りを完全に殺しきっている。
失敗しようのない調理を失敗するこの二人はある意味で料理界のニュータイプとでも呼べるだろうか。しかし現実は非情である。
彰人は特に食べ物を粗末にされるのが嫌いな性分であった。しかも文香が何度かアドバイスをしてくれていたにも関わらず、である。これには温厚な彼も怒りを覚えた。
「あのなぁ二人共……途中までは出来てただろ。俺が手洗いに行った時、何してたか教えてくれないか。」
「あまり怒っちゃ駄目だよ。」
肩を振るわせつつ、怒りを必死で抑えながら尋ねた。文香が少し慌てた様子で彼をなだめる。
彼が普段見せない怒りの表情を前に、エリックは青ざめた顔をして慌てて答えた。
「ボクは彰人と文香さんのアドバイスを聞いて。」
「うんうん。」
「まず汁を作るから、出汁を取った後に味噌をといて」
「それで?」
「高温で一気に温めた!!」
「それだよ!?何で強火にしたんだよ。
味噌の風味飛ぶだろ!?」
「いや、前にテレビで職人が物凄い火力で焼いてたからさ、あれなのかなと思ってね。」
「それは中華料理だろ!これは和食!味噌汁!」
はぁ、と溜息をつき頭をかかえる。まさかこれほどまでとは……と落胆すると同時に、頭痛がした。
「いや、俺が目を離したのも悪いけどさ。」
「なら私はどうだ。中々の物だと思うが。」
何故そんな自信があるんだよ、と内心彰人は思った。気を取り直し、テーブルの上にある味噌汁を手に取る。
「沙雪のは味は良いよ。出汁も取れてるし、味噌の風味もある。でも具材の切り方がなぁ……。」
彼女が作った味噌汁を一口飲んだ後、答える。
「これは流石にな。総一郎は何か言わないのか?文香も、飲んでみてくれないか。」
彰人は、茶碗を文香に差し出した。
「いただきます……うん。味は美味しいとは思う。雪ちゃんのは出汁とお味噌の風味もあるし、飲めない事は無いと思う。だけど……。」
優しいのだろう。言い淀む文香を前に、沙雪は申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「確かに大雑把過ぎたかも知れないな……だが、総一郎は私が作る料理を美味いと言ってくれるぞ。」
あいつは優しいからな。一言と付け加えて沙雪は答える。彼女が少しだけ照れた表情を浮かべていたのは気にしない事にした。
「そうか……。」
彼女の料理を美味いと言える彼の懐の深さに、心の底から尊敬の念を覚えた。
「二人共、練習しよう……しよう!!」
「私も教えるから、2人ともがんばろ?」
大事なことなので二回言う。失敗は人生の母なのだ。だから練習させれば出来るはずだ。晴れやかな顔の二人を前に、彰人は決意を固めるのだった。
「そういえば、どうして二人は料理を習いたいだなんて思ったんだ?」
ふと、尋ねる。エリックにしても沙雪にしても、突然料理を習いたいのは何故だろう、と彰人は不思議に思ったからだ。沙雪は総一郎がいるからと予想は付くが、エリックは全く分からない。日本食が好きと言うわけでもあるまい。
「ボクは……いや、実を言うと椿のためかな。」
「椿さんが?どうして。」
「正直に言うよ。ボクは彼女に喜んでもらいたい。」
キッパリと彼は言い切る。椿とエリックの主従関係は彰人しか知らないことであるため、深くは追求しなかった。沙雪は何となく察したのか目を細め、無言で頷いている。
「エリック君、人に何かしたいというのは素晴らしい事だよ。」
沙雪がエリックの肩を叩こうとするが、手が届かないのか背中を軽く叩いた。彼女がどう解釈したのかは分からないが、エリックの動機は理解出来た。
「そっか……。分かった。沙雪は……って、言わなくても分かるよ。」
「そうか?」
「まあ、従兄弟同士だからな。家と総一郎、両方だろ?」
彰人は幼い頃、彼女が将来は父と同じ神職に就きたいと言っていた事を思い出した。高校を卒業したら、三重の國學院大に通いたいのだと。すると当然、一人暮らしになるだろう。自炊もしなければならない。だから従兄弟で、比較的頼みやすい彰人に料理を教えて欲しいのだと解釈していた。
「そうだ。たまには私も彼女らしい事もしたくてな。」
「そっか……。あいつも喜ぶと思うよ。その前に、色々覚えないと行けない事はあるけどな。」
「反復練習すれば上手になるから!頑張ろう、雪ちゃん!エリック君!」
2人は笑いながらそう言った。
数時間後。
「椿、ただいま。」
迎えの車から降り、玄関に入る。いつもと変わらない様子で椿が佇んでいた。
「エリック、今日は遅かったですね。叔父様が心配してましたよ。」
椿が夜の片付けを終えたのか、やや疲れた様子で答える。無理しすぎているな、とエリックは思った。
以前の彼ならば椿の体調になど気を遣わなかったが、これは技術情報部に入った影響だろうか。
「椿、今日はもう仕事は終わったのかい?」
「ええ、今日はもう終わりですね。」
椿は、きっぱりと答えた。その単純明快さは早く仕事を終わらせて休ませて欲しい、というサインなのか、それとも考えすぎか迷ったが、エリックは切り出すことに決めた。
「明日の朝は休みだろう?実は、椿に食べて欲しいものがあるんだ。」
「…………はい?」
突拍子も無いエリックの発言に、椿は目を丸くした。
彼が明日、椿に対し満足のいく料理が疲れたか否か、それは神のみぞ知る。
完
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