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ちょうど今日から春が始まった、というような、ぬるく穏やかな風が吹く日だった。
ヘンリーは、午後の時間を日が落ちるまで図書館でつぶし、アパートへ戻ると、空ろな脱け殻のようになっているはずのダイニングのドアを開けた。
ところが彼の目に入ったのは、うつむき加減で、まだ椅子にちょこんと座っているイザベラだった。
途端にヘンリーは、カッとなって大声を出した。
「まだ、居やがったのか! とっくに出てってるはずだろう!」
イザベラは困ったような顔になり、肩までの栗色の髪と黄色の花柄のワンピースを一度ふわりとゆらして立ち上がった。「今日はいろいろ立て込んでいるのかも。迎えが来たら、そしたら必ず、出て行くわ」
「ふざけやがって!」
ヘンリーは乱暴にダイニングのドアを閉めると、どかどかと廊下を横切り、バタンと勢いをつけて寝室のドアを閉めた。ベッドに仰向けになり、沸騰したお湯を冷ますように、息をふう、ふううと吸っては、吐いた。それがぬるま湯ほどに治まると、噴き上げたスチームのぶん喉はからからになった。
やがて時計の短針がひとつ数字を増やす頃には、すっかり水っぽくなった頭に、黄色の花柄が浮いては沈んだ。
喉の渇きをダイニングへ戻る言い訳にして、意を決してヘンリーはベッドから、がばりとからだを起こした。その目に、少し開いたクローゼットにかかる、滑らかなベルベットの服が映った。
深い赤のイブニングドレス。イザベラの一張羅。
彼はしばらくその赤をじっと見つめていたが、ゆっくり立ち上がってそのドレスをハンガーからするりと抜き取った。そして、顔をうずめた。
そのからだから、また水滴がぽとりぽとりと失われてゆく。
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