6.ミナギの過去

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***  夜を迎えた。  八月のこの季節、地中海は穏やかだ。大した揺れもなく、大時化(しけ)になることも滅多にない。  その波模様のためなのか、元々の体質なのか、例の少女も船酔いに悩まされることなく過ごせている。  少女はずっと個室で過ごし、夕食の際に再び食堂に現れた。少女の瞳は常に藍色の男の姿を探していたが、船長は結局姿を見せなかった。  悲しげにスカートの裾を握り締める少女の姿に、「なんて薄情な野郎だ」と非難が上がったことは言うまでもない――もっとも、船長に直接言える者はいなかったが。  いや、一人いた。  若い航海士は物怖じせずに仏頂面を睨み付けた。 「船長、大人げないですよ」 「……何がだ」 「言葉にしなくちゃわからないですか?」  青い目が逃げる。ミナギがつんと顎を上げると、眼鏡にキラリと光が走った。 「……船長」 「うるさい」  船長は黙って食事を口に運び続けた。  夕食時を逃し、すっかり食堂は閑散としている。居残っているのはワッチの当番を終えたばかりの数名と、気まずい空気を挟んで向かい合う二人だけである。  ミナギは呆れた様子を隠すことなくじっとりと船長を眺めた。  無言の眼差しは言葉よりも厳しく追及する。終いには船長もカトラリーを置き、倍の威圧感で以って対抗した。 「文句を言われる筋合いはない」 「俺は何も言ってませんよ」  またしても、沈黙。  船長は開き直ることに決めたらしく、塩漬け肉のローストを黙々と咀嚼する。  染み込んだ塩分が深部に行くに連れて肉の旨味と混じり合い、素朴ながら申し分ない食事であったが、二人とも味を感じているようには見えなかった。半ば業務的に進行する食事の途中、ミナギがやおら口を開く。 「――俺の身の上話、しましたよね」  船長は一瞬目を上げて肯定を示した。
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