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罪悪感よりも驚きが先行した。
彼はなんと答えていいかもわからず、ただただ目を見張る。
発した声は擦れていた。
「……どうして」
「わからないんですか? まったく……」
怒りを通り越して呆れた表情を見せる。ミナギは蔑むように彼を見た。
「もういいです。今からでも遅くありません。仕事は明日に回して、この子を寝かしてきてください」
「なん――」
「いいから!」
それ以上逡巡の隙を与えず、ミナギは少女を抱き上げて船長の腕に押し付けた。
咄嗟に受け取ってしまった体は驚く程小さくて、柔らかくて、ほんのり温かかった。
「いいですか。今度こそ、ちゃんと、彼女のことを見てあげてくださいね」
ミナギは船長に言い返す間を与えず、そのまま背を向けて甲板に出て行ってしまった。
呆然と立ち尽くす一人と、腕の中のもう一人。
ふいに、彼はここが非常に威圧的だと思った。
延々と続くペンキで塗られた白い廊下。窓も無い。どこからともなくエンジンの音が響いており、それは穴倉に潜む獣の唸り声のようだった。
心臓の鼓動が速くなる。
左右の壁が意思を持って彼に迫っていた。
「……ぁ」
どっと汗が噴き出した。
マズい、と思ったその瞬間――頬に触れた小さな温もりが、彼を閉所への発作的な恐慌から立ち直らせた。
少女が彼の頬に手を当て、その目を覗き込んでいた。
「……大丈夫?」
初めて耳にする幼い声。
健気な視線は先程の酷い仕打ちを恨む様子すら見せない。
〈アヒブドゥニア〉号の船長は丸く大きな少女の瞳に魅せられた。
彼は気付く。
なんて青い瞳だろう。
自分と同じ、海の色。
「……ああ」
絞り出すように溜息を吐く。すると、少女の手が労わるようにこめかみを撫でた。
「すまない、もう大丈夫だ」
脈拍が正常なリズムを取り戻していく。
取り乱した顔をこれ以上見られたくなくて、彼は無意識に少女の頭を抱き寄せた。顎に触れた白金の髪は柔らかく、実体を疑いたくなる程に滑らかだ。
船長はぽつりと呟いた。
「なぜ、部屋に戻らなかった」
少女は答えを一瞬躊躇った。
「……あのね。船長さんのお傍に、いたかったの」
二人の目が合う。
感情の窺えぬ男の双眸に、少女の顔が見る見るうちに歪み始めた。
「……さい」
消え入りそうなか細い声。少女の瞳は涙を湛え、唇は微かに震えているのが見て取れた。その手は縋るように、彼のシャツを握りしめて。
「……ごめんなさい」
涙が頬を伝った。
「お仕事の邪魔して、ごめんなさい……」
そして、金の髪で泣き顔を隠すように、船長から顔を背けた。
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