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数日後。
〈アヒブドゥニア〉号の船長は頭痛を覚えながら受話器を置いた。〈サンタ・ディ・ルーチェ〉は営業しているが閑古鳥が鳴いていて、彼が長い長い電話をしている間も来店はなかった。
無意識にこめかみを揉みながら客間へ向かう。そこではルチアとオリヴィエ、それに航海士のミナギが待っていた。
「お疲れさまでした、船長。上手くいったんですか?」
ミナギが問う。船長は溜息を吐きながらカウチに身を預けた。ルチアがパタパタと駆け寄って隣に収まる。
「……ああ」
全く同じ質問をつい先程彼自身も発していた。
その相手は電話の向こう、遥か彼方。山麓の田舎町で書類に溺れているはずの青年だ。
『あったり前でしょ? 僕を誰だと思ってるわけ?』
男性にしては甲高い声で捲し立てるのは、茨野商会のエアロンである。彼はいつもながら恩着せがましく、いつもながら不平不満愚痴小言に溢れていた。
『ちゃんと親権は移したよ。ルチアはこれからリベラトーレ・フォンダートという人の娘です』
「その男は何者なんだ?」
エアロンは軽い調子で答えた。
『知らない。でも、本物はもう死んでるから安心して』
「死んでいる?」
『そう。つまり、死亡届を出してない戸籍なんだよ。ちょうどタイミングよくお馴染みの詐欺師が売り込んできてね。買い取ってあげたの』
きっと薄ら暗い取引に次ぐ取引の末にここに辿り着いたのだろう。故人の冥福を祈りながら複雑な気持ちになってしまう。
エアロンはそんな感傷もないようで、いかに金がかかったか、いかに手続きが面倒だったかを滔々と述べ続けている。船長は耳から受話器を離して聞き流していたが、それでも十分頭に響いていた。
「追加で頼んだ書類も用意してもらえたのか」
『し、ま、し、たー』
厭味ったらしく一音ずつ区切っているのが腹立たしい。ついでにエアロンの自信満々な顔が脳裏に浮かび、船長はげんなりと目頭に手をやった。
『他の書類と一緒に送ったよ。ルチアにサインしてもらったら、あんたの方でももう一度ちゃんと確認してみて。まっ、僕が直々に用意してやったんだから、抜け洩れとかはないと思うけどね』
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