ある登山口の夜話

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【ある登山口の夜話】 その日は長い梅雨が開けた週の土曜日だった。 今まで何度も登っているに山に車中泊して翌朝に登るつもりで登山口に来た。 明日の朝は早く出るつもりとはいえ流石に夕方6時に到着するというのは少し早すぎたかな。 ともあれ、晩飯の支度を始めると女性に声をかけられた。 「あのー、すみません。登山バスというのは今日はもう来ないでしょうか?」 「登山バス?僕は自家用車で来ているのでちょっとわからないですね」 そういえばここにはバスで登山口まで来れるんだっけ。 「そうですか…」 しょんぼりと引き返す女性。 「どうしたの?バスに乗り遅れたの?」 「そうみたいです」 バスの時刻表を見ると最終は5時頃に出ているらしい。 今は6時すぎだから、さすがにもう来ないだろう。 「もし、今から帰るのでしたら麓まで乗せていってもらえませんか?」 「僕は今から泊まって明日の朝登るつもりだから…」 「それにビール飲んじゃった。」 「そうですか」 「麓まではどのくらい距離あるんでしょうか?」 「たしか40kmくらいかな」 「40km…」 歩いていったら一晩かかるよなぁ… 「タクシーでも呼ぶ?」 「タクシー…いくらくらい掛かるんでしょうか?」 「ここまで迎えに来てもらって麓までだから2−3万かかるんじゃないかな」 「そんなお金ないです…」 そんな話をしていると彼女はクションッとクシャミを一つ。 よくみると見ると服は濡れ鼠、ブルブル震えている 「寒いの?」 「はい、途中で雨に降られてしまって」 「着替えは持っている?」 「持ってきてないです」 「それじゃ、よければなんだけど」 「これは?」 「帰りに温泉入っていこうと思って持ってきた着替え。大丈夫洗ってあるから」 「そんな!悪いです」 「そのままじゃ風邪引くよ」 「じゃあ、お借りします」 「着替えるのは、そこの車の中使っていいよ。」 「ありがとうございます。」 彼女は車の中に入り、しばらくすると出てきた。 髪はまだ湿っていて、少し寒そうだ。 「大丈夫?寒くない?」 「はい、大丈夫です。」 「とりあえず明日の朝のバスまで待つしかないね。」 「そうですね」 「まぁ、車の中なら二人くらい寝れるだろ。」 「いいんですか」 「あぁ、いいよ」 「すみません、色々と…」 言っている途中で「ぐぅぅぅぅ」とお腹が鳴る。 「えーと、お腹空いてる?」 「はぃ…」 赤面しつつ申し訳なさそうに彼女は答えた。 「なにか食べる?カップ麺とアルファ米くらいしかないのけれど」 「アルファ米?」 「インスタントのご飯だね。あんまり美味しくはないよ」 「じゃあ、カップ麺もらっていいですか」 「わかった」 シングルバーナーでお湯を沸かして、カップ麺に注いで3分出来上がる。 蓋をあけるとカレー味のいい香りが広がる。 「いただきます!」 ハフハフ…ズズー… 「はぁ、ごちそうさまでしたっ!」 「お粗末様でした」 「やっと落ち着きました。ありがとうございました」 ここでやっと笑みがこぼれる。 「いえいえ、大したことはしてないから」 「まだ何か食べる?後は酒のツマミみたいなものしかないけど」 「いえ、そんな」 「じゃ、ビールでも?」 「…いただきます」 カシュッ、ゴクゴクゴク… おお、思ったよりも良い飲みっぷり。 「ぷはー!生き返りますね!」 若い娘だと思ってたけど飲みっぷりはオッサンだった。 「ところで、こんな時間に降りてくるなんて何かトラブルでもあったの?」 「いえ、初めて山登りしてみたんですけど、結構しんどくて時間かかっちゃいました。」 「ならよかったけど」 「初心者向けのルートだったはずなのになぁ」 「どこのルートから登ったんですか?」 「たしか水森荘登山口ってところから」 「あぁ、そういうことか」 「どういうことですか」 「この金方山は登山ルートが2つあって、そちらのルートは中級者向けなんですよ。 で、こちらの大地峠ルートから往復するほうが初心者向けなんです」 「そんなぁ…どおりでシンドイと思いました。」 「無事に降りて来られたし、後は帰るだけなんだからいいじゃないですか」 「よかったんでしょうかねぇ」 思わず苦笑いが出る。 「山登りは初めて?」 「そうです。たまたまTVで登山がブームって聞いて、なんとなく来ちゃったんですよ」 「そうなんだ?」 「そしたら途中で雨に降られるし、疲れるし、バスに乗り遅れるし…」 「オッサンとビール飲むことになるし?」 「あ、いや、ごちそうさまです!」 「景色が良いって楽しみにしてたのに霧で全然見えなかったし」 「今日の予報は良くなかったからねぇ」 「あ、でも、山頂で一瞬だけ景色が見えたんですよ」 「良かったじゃないですか」 「でも!その一瞬だけでしたからね!」 ビールを一口飲む。 「本当に私、なんで山になんて来ちゃったんでしょうかねぇ」 「ひょっとしたら山に呼ばれたのかもしれないね」 「山に呼ばれる?」 「日本の山岳信仰だかなにかでは、山には神様が居ることになっているんだってさ」 「そうなんですか?」 「そんで、人生に迷っている人を呼びよせるなんてことがあるらしい」 「へぇ〜」 「何かお悩みごとでも?」 「えーと、まぁ、無いこともないですけれど…」 「まぁ、いいけどね。」 「でも、神様から呼んでおいて景色が何も見えない霧の中って酷くないですか?」 「神様のやることだから人間にはわからないこともあるさ」 「そういうもんでしょうかねぇ」 「たぶんね」 「それに…」 と言葉を続ける 「案外、歓迎はされていると思うけどね」 「そうですか?」 「すこし、明かりを消してみて良いかな?」 「え?はい」 辺りを照らしていたランタンの明かりを消す。 山の中で、周りには一切の明かりがない。 「空を見てごらん」 「うわぁ!」 そこには満天の星空。 「こんなに沢山の星を見たの初めてかも!」 「なかなかの歓迎っぷりだとは思わない?」 「そうですね…これは大歓迎です!」 そういった後、彼女は指差す。 「でも。あのあたり少し曇ってますね」 「ん?」 「やっぱり私、運がよくないんですかね?」 「あれは天の川だよ」 「天の川!初めて見ました!」 「こんなにハッキリ見えるのはかなり運が良いと思うよ」 「そうなんですね…」 「そろそろ明かりをつける?」 「もう少し見ていたいです…」 「わかった。」 星空を眺めながら、またビールを一口。 「じゃ、そろそろ明かりをつけていい?」 「おーい?」 返事がないので明かりを点けてみる。 昼間歩きまわって疲れたところにビールを飲んだせいか彼女は眠っていた。 声をかけても揺すってみても起きない。 仕方ない車の中に寝かせてあげるか 車のスライドドアをあけると顔に何かがあたった。 少し濡れている?なんだこれ? と明かりを点けてみると下着が干してあった。 あちゃー、下着まで濡れちゃってたのね。 なんとなく見ちゃ悪い気がして、なるべく見ないようにして車内に寝かせてやる。 そして、車の外に出していた椅子や明かりを軽く片付けて運転席側で寝ることにした。 車中泊ってのはいくら快適に寝れるようにしておいても、そんなに熟睡できるもんじゃない。 すこし早めに目が冷めてしまったのでコーヒーを沸かして飲んでみる。 初夏とはいえ山の朝の空気は冷たくて心地いい。 駐車場には、すでに何台かの車が停まっていた。 日の出を目当てに夜のうちに登っていった登山客だろう。 しばらくして車の中から 「きゃぁ!」 という声が聞こえる。 少しだけドアが開いて 「…おはようございます。」 と彼女は顔を出した。 「おはよう」 「…あのぉ…見ました?」 「なにを?」 「…下着…とか」 「…えーと、なるべく見ないようにはした。」 「…そうですか…」 彼女は耳まで顔を真っ赤にして車内に引っ込んでしまった。 彼女は車から出てきて 「あらためて…おはようございます。」 といって こちらも 「…おはよう」 と返した。 なんとなく気まずいのでコーヒーを勧めて バスの時間までは、まだかなりあるので朝食を作ることにする。 缶詰の具を挟んで焼いただけのホットサンドだが、こんなものでも山で食べると美味い。 「これ!すごく美味しいです!」 「そりゃどうも」 「来てよかったです。」 「そりゃ何よりです」 「それで…あのー…」 「ん?」 「この服借りて帰ってもいいですか?服がまだ乾いてなくて…」 「ああ、いいよ」 「すみません、後日必ず返しますのでっ!」 そんなわけで連絡先を交換した。 その後、しばらく話をしているうちに始発のバスが到着した。 何度もお礼を言われた後、バスに乗る彼女を見送り 今日の登山に出発するのであった。
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