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「そういや、祥太郎って神戸だっけ?」
不意に沙希から話を振られて、何のことか分からず首を傾げる。
「何でピンと来ないかなー? 自分の進路でしょ?」
呆れたように沙希が目を細める。
「ああ、進路ね。専門、神戸の学校行くよ」
「ほんっと、祥太郎はのんびり屋というか。そんなんで海外留学とか大丈夫なの?」
「……それなんだけど」
『こんな不便な島から早く出て都会に行きたい』
そう言って島を出て行く先輩達の背中を見送って。いよいよ、僕たちの番がやってくる。
肌に潮風が触れて、溶けてしまいそうな夏の日差しが、僕たちの肌を容赦なくジリジリと焦がす。
「僕さ、留学やめて島に戻ろうと思って」
口に出した言葉に、後悔は無かった。
ずっと憧れていた海外での製菓実習。
腕を磨いて、有名店で修行を重ねて、いつか大きな街で自分の店を持って、あの夏雲みたいなパンを作るのが夢だった。
けれど、その憧れはきっと。
何かで刷り込まれた成功するためのレシピと同じようなもので。誰かが作った安全な道を模倣することで、失敗する確率を下げたいだけのような気もした。
僕の目指すところは、結局、パンが作りたいのだ。
かつて僕が幼い頃、おばあちゃんが大好きだと言った、柔らかくて真っ白で溶けてしまいそうな、あの夏雲のようなパンが。
「ふーん。そっか。いいね」
予想に反して、沙希は取り乱す様子も無く、僕にいつも通りの大人っぽい笑顔を向けた。
「へー、良いんじゃねーの。島に戻るのも。俺もそのつもりだし」
そしてあろうことか、東京の大学卒業後は親戚の建築設計事務所での就職が決まっているはずの誠司が、意味不明なことを言い出した。
「だね。誠司に同感。私も島に戻ろうと思って」
「え、え? なんで? 二人とも島から出るんじゃないの? どういうこと?」
沙希も北海道の大学で、獣医を目指すのだと小さな頃から勉強に人一倍勤しんでいたはず。
「別に、夢はどこでだって叶えられるんじゃないかってさ」
誠司の言葉に、沙希が意気込むように腕をグルグルと回す。
「そうそう。要は叶えるか、叶えないかは、私たちの努力次第でしょ? それなら、やっぱり好きな場所でその夢を続けていきたいじゃない」
そうだ。
僕たちはやっぱり、この島が好きだから。
「それじゃあ、気合い入れるためにもさ、最後くらい本気で走ってやろうじゃないの。でしょ、お二人さん?」
沙希の声に、誠司がポケットから手を出す。
「だなー。この三人でここ走れんのも、これが最後だしなー。ビリはジュース」
僕は少しだけ照れ臭いような、嬉しいような。上手く言葉に出来ない感情を胸いっぱいに吸い込んで、夏雲に向かって声を張り上げた。
「じゃあ、いくよ。よーい!」
「あ、祥太郎、靴紐解けてる」
「え、え?」
「隙アリ!」
「ちょっ! うわ、やられたっ!」
それは、溶けてしまいそうなほど暑くて、久々に全力疾走した一日だった。
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