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 コロナウイルスの出現により、わたしたちの日常は一変した。  マスク生活、人流抑制、ソーシャルディスタンス……。様々な制限が設けられストレスが増える中、わたしにとって良かったことがひとつ。  パート先のテレワーク導入。  夫と幼稚園の子供を持つわたしは、家から徒歩10分の会社で経理をしていた。それが、今回の一件でテレワーク導入に至ったのだ。  はじめてのことに不安を覚えたが、慣れてしまえば簡単だった。  慣れってスゴイ。今日もわたしは始業前の束の間のひと時をコーヒーと共に過ごす。  ピピピピピ  部屋中にスマホのアラームが響く。  わたしはコーヒー片手にパソコンの前に座る。  さあ、仕事をはじめよう。  途中、上司やパート仲間、新人の女の子と対面で会話をする。  もちろんパソコンの画面越し。  モニター越しに映るわたしは、光の当たる角度を調整したり、パソコンの設定をいじった成果が出ていた。 「それでは、そのように進めさせていただきたいと思います。失礼いたします。」  モニターの相手に丁寧に答えたわたしは、時間通りに仕事を終え、お供のマグカップを片手にキッチンへ向かう。  リビングの姿見に映るわたしは、上は制服、下はパジャマという自分のへんてこな姿を見ても特に何も感じなかった。ここでも、慣れってスゴイ。と実感しながら、下だけ履き替える。  と。  鏡に映る私の一部がキラリと光ったのを見逃さなかった。  慌てて鏡に近寄る。よーーく見なくても一瞬で分かる。  ヤツが復活している!  1本、ピョコンと主張している!!  先月美容院へ行ったのに!!!  アラサーになった頃から、自己主張をはじめたヤツ。ヤツだけは何度見ても慣れない。  自分の髪に初めてヤツを見つけたときの衝撃は今でも鮮明に思い出せる。  老いを感じるというか。抜きたい衝動に駆られるというか。  とてもありのままの自分を受け入れられる心境にはなれない。    はさみ!毛抜き!と心が騒ぎ出す。    ピピピピピ  鳴り響くアラームが、子どもの帰宅時間が近づいていることを知らせる。  はああ。  ため息をついたわたしは、格闘をやめ、とりあえず近くにあった帽子をおしゃれ風に被って、玄関へ向かった。  姿見にはちょっと肩を落としたわたしの後ろ姿。  ヤツが1本だけなんてあり得ない。 他にも思わぬところに潜んでいるんだろうな。  わたしとヤツとの戦いはしばらく終わりそうにない。                    
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