下段の香に力あり

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 探し物をしている時っていうのは、不思議とその物自体は見つからず、思わぬものに出会えることがある。  見つけた瞬間に、ピリッと来る。  今、俺の手の中にある、とある将棋の駒もそんな出会いのひとつと言えるだろう。  きっかけは俺の古い友人である高橋が将棋をさそうと言い出したことだ。  そんな始まりから話をさせてもらおう。  俺と将棋との付き合いは長い。幼稚園児の頃に祖父から習ってから、あっという間にそこらの大人に軽く勝てる腕前に上達した。高校時代に将棋大会で全国優勝した。  というと、「お、すごい」なんて言われることもあるけど、なんにもすごくない。  大学に入ってからは、特別な理由もなく徐々に将棋から遠ざかり、今では家のどこかにあるはずの将棋セットすらみつけられないありさまだ。 「あったあった」  探し始めて30分。家の中で唯一の俺の聖域とすることを許されている机の下から埃まみれの将棋盤をようやく引きずりだす。その様子を見ていた高橋は、思いっきり顔をしかめた。 「きったねー」 「お前がやりたがったんだろーが」 「言ったけどさぁ」  うへぇー、と情けない声を出しながら、高橋は駒が入っているはずの箱をひっくり返す。  高橋は高校時代の将棋部で一緒だった好敵手。団体戦では全国も一緒に戦った。大学も同じだったが、社会人になってすっかり会う頻度も減っていた。が、近所のカフェで偶然遭遇した。聞けば驚くほどの近所住まい。近況報告がおわったあとは自然と懐かしい過去へと話が戻っていき、将棋さそーぜっ! と、謎のテンションで盛り上がって我が家に帰ってきたというわけだ。 「おい、これ駒足りなくないか?」  高橋が盤上に駒を並べながら首をかしげる。 「・・・金が一つないな」 「それだけかぁ? 他も足りなさそうだけど」 「待て待て。今、探してやるから」  そう言いおいて、俺は机の下に潜り込む。その場所には、宇宙のように未知の世界が広がっている。つまり、埃と謎の物体の巣窟。 「うへぇ。なんでそこだけそんな汚いんだよぉ」 「この机の上と下は俺の聖域なの」 「なんだよ聖域って?」 「ここにあるものは捨てるなって言ったら、『じゃあ、そんなわけのわからないものがある場所掃除したくないから自分でやって』だってさ。そういうわけでこうなった」 「しろよー、掃除くらい自分でさぁー。あ、奥さん元気?」 「あー。元気元気。今日は子供連れて友達に会いに行ってる」  最近の妻とのギスギスしたやりとりを思い返すと溜息しか出てこない。 「奥さんの将棋強かったよなぁ」  高橋の呑気な声から離れるようにさらに机の奥に潜り込む。 「そうだっけ?」 「強かったよ。感心したよ。<下段の香に力あり>を地でいってた」  懐かしそうに笑う高橋に、俺はあいまいな返事しかできない。  妻とは大学の将棋サークルで出会ったけど、俺はいつのまにかサークルには通わなくなってしまった。その頃のことは、正直あまりおぼえていない。  甘やかな時代はとっくにさり、今ではガミガミと俺を叱るあいつの顔しか思い出せないのだ。さて、机の下のどの地層に行方不明の将棋の駒は潜り込んでいるのだろうか。
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