「ねえ、お兄さん何探してるの?」

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「ねえ、お兄さん何探してるの?」

 雨上がりの湿度の高い大通り、ショーウインドウに飾られた革靴を眺める俺に話しかけてきたのは、その店の店員でもなければ俺の腰ほどの身長しかない、小さな子供だった。 「は?誰だきみ」 「靴見てんの?靴買うの?」 「……親のとこに帰りなオジョーチャン」 「お兄さんいい靴履いてんのに、もったいないよ」  まるで話の噛み合わないその女の子は、前髪を赤いビー玉のついたゴムでくくり上げていた赤色のワンピースに赤いサンダル。赤づくしの女の子は頬まで赤くしながら、熱心に俺を見上げていた。  両手でボールを持っているところを見ると、近所の公園から出てきたらしい。ボールが転がって、通りに飛び出してきたのだろうか。車がきたらどうするんだとか、親は何してるんだとか、そんなことは思わなくもなかったが、今は別にいい。それより、こんな小さい子相手に話しかけられたりなんかすることで、不審者として通報されやしないかが心配だ。 「ねえ!靴買うの?」 「あー……そうだな、そのうち買うかもな」 「今のもいい靴なのになー」 「アリガトウ。さ、オジョーチャンは公園から来たんだろ?戻りな」 「お兄さん、なんで靴買うの?」 「……人と話をするときは、会話のキャッチボールが大事なんだよオジョーチャン」 「オジョーチャンじゃない、私ミオ。お兄さん、私が子供だからって、どうせお話する気もないんでしょ。早く帰んなさいって、言ってばかりじゃない」 「……」  確信を突かれて思わずうっと言葉に詰まる。ぐうの音もでないとはこのことだ。子供に言い負かされてうろたえるなんて、馬鹿らしい。  子供だからではなく、見知らぬ他人に話すつもりはない、とか、なんとなくそれっぽい理由を思いついて話を続けようとすると、ミオと名乗る少女は俺から目を離し、代わりに俺がさっきまで見ていた靴のディスプレイをじっと見ていた。 「うーん」 「どうした」 「いい靴だと思うけど、お兄さんに似合わなそう」 「……そうかい」 「今の靴がいいよ、なんでこっちがいいの?」 「きみは靴屋の娘さんだったりするの?」 「きみじゃなくてミオ。ねえ、どうして?」 「……いい靴を履けば、いい人になれるような気がしたんだよ」 「ふうん」  しつこく聞いてきた割に興味のなさそうな、あっさりとした返事になんとなく恥ずかしくなる。子供に何を期待してんだと、まだショーウインドウを眺める彼女を置いてコンビニに向かう。  コンビニから出ると、また少女がいた。さっきのボールはどこにやったのか、今度は明らかに男物の革靴を片方ずつ持って、にっこりと俺に笑いかける。 「お父さんの靴!一番高いやつ借りてきたから、履いてみてよ!」 「ええ……何考えてんの」 「いいから!」  靴を無理矢理俺に持たせて、さっきの公園に連れて行かれる。これでも端から見れば不審者は俺なのだから世の中は冷たい。  ベンチに腰掛け、彼女の持ってきた誰かの靴を履かされる。彼女の父親のものとは言っているものの、事情なんて話していないに違いない。見知らぬ他人にこんな上等なものを持ってくるなんて、どうかしている。もしかすると、今に親が探して飛び出してくるかもしれない。 「……満足か?」 「うん、やっぱり似合わない。お兄さんはどう思う?」 「……まあ、いい靴だとは思うけどさ。お前の言うように」 「ミオ!」  いい加減名前を呼べと、目の前の少女が吠えた瞬間、よく似た声が覆い被さった。 「お父さんの靴を勝手に持って行って、何してるの?」 「お兄さんに貸してあげてたの!」 「お兄さん?」 「……あ、えっと」  彼女の母親らしく女性は、俺の予想通りエプロンをしたまま、慌てて飛び出してきたらしい。暑そうに手で顔を仰ぎながら少女に問いかけると、少女は俺がぎくりとするような返答をする。顔を上げると案の定、嫌悪を示す細められた目と視線が合う。 「……あの、失礼ですけど」 「や、あのぉ……申し訳ないんですが、この靴はそちらの娘さんが、「そうよ!私が持ってきてあげたの!」 「どうしてお父さんの靴を?」 「お兄さんがパパのみたいな靴を欲しそうにしてたから、似合わないよって教えてあげたの」   はあ?と心底不思議そうな彼女の返答に、胸に痛いものが刺さる。そっと革靴を脱ぎながら、自分は何をしているんだと、訳のわからない惨めさに鼻の奥がつんとする。 「すみませんでした。娘さんが勝手に持ち出したとは予想しながら、自分も勝手に履かせてもらって」 「……そうですね」 「……」 「ママ、怒らないで」 「あんたも勝手なことしないの、いいわね」 「はあい」  借り物の靴を持って、女性は少女の手を引いて公園を後にする。残ったのは、ベンチに腰掛けて自分の靴を踏んでいる、鼻の赤くなった俺だけだ。  なんでこんな目に遭うんだろう、俺はただ、まともな人間になりたくて、せめて見た目からでも取り繕えないかと靴を眺めていただけだったのではないか。それなのに、子供に馬鹿にされ、からかわれて惨めになって、こんなところにいる。どうして。 「……やめよう。惨めなだけだ。あの靴のデザインも本当は、そんなに好きじゃないかもしれない」 「子供に馬鹿にされてまで履くものじゃない」 「もっといいのがないか探すのもいい」  滲んだ視界に、潰れた俺の靴が見える。お前も悪くないって、俺によく似合うってよ。  俺に踏みにじられている汚れたスニーカー。気に入って買った青いラインは、くすんで少し剥げてもいる。すぐに履けて動きやすくて、雨が降ると靴下まで染みるくらい靴底はすり減った。そんなのが、似合いなんだってよ。よくわかってるなあ、あの子。 「……」 「……あのさあ」 「……」 「お兄さんの言ういい人って、どんな人なのか聞いてもいい?」 「……例えば、お前みたいな子供にからかわれても平気でいられるような、器のでかいやつだよ」 「私、からかったつもりなんてないよ」 「そうだな……じゃあ例えば、知らない人とでも仲良くなれる、コミュ力があるやつ」 「私とおしゃべりしてるじゃない」 「そうじゃない。……人に優しかったり、頼られたりするやつ」 「昨日もお兄さん、花壇に入ったボールをとってあげたの、私知ってるよ」 「そんなんじゃなくてさ」 「わからないよ。何が違うの」 「……何もかもだよ」  話しているうちに、自分でわかってしまう。ないものねだりの子供のわがままでしかないこれは、理想を話すのが難しい。どれだけ素晴らしいものを手に入れたって、俺が俺である限りダメなんだ。俺は、こんな風にしかなれなかったのだから。  公園の奥のベンチで、優しいそうなサラリーマンが電話越しにへこへこと頭を下げている。たぶんああいうのが、真面目でしっかりしている理想なのかもしれない。 「あの人、どう見える?あのサラリーマン」 「お兄さんにとってはどう?」 「優しそうに見えるんじゃないか?」 「ふうん」 「お前……じゃなかった、ミオちゃんは?」 「ミオでいいよ。んっとね、あの人、前にあっちのゴミ箱を蹴飛ばしてたから、やだ」 「……へえ」 「お兄さんの言ういい人って、私の思ういい人とは違うみたいだね。大人だから?」 「いや、たぶん、ミオが正しいよ」  ミオはもう、ボールも父親の靴も持っていない。俺の靴には何も触れないまま、ただ隣で話をしていた。話が途切れてぼんやりしていると、電話を終えたサラリーマンが、ミオの言った通りゴミ箱を蹴り飛ばした。 「なあミオ」 「うん?」 「ミオから見た俺はなんだ?なんで話しかけてきたんだ?」 「……それ、お兄さんが怒るかもしれない」 「いいよ、怒んない」 「ほんと?」 「いや、わかんない。けど最後までちゃんと聞く」 「わかった……あのね、ミオ、好きな絵本があってね」  ミオのいう絵本は、親切を繰り返す主人公が、神様に褒められてお金持ちになるストーリーだという。その本を読んだ後、公園で俺を見つけて、俺を見ていれば神様に会うところを見れると思ったんだそうだ。 「俺はそんなに親切してないぞ」 「してるよ?ゴミ箱の周りのゴミをちゃんと片付けたり、落とし物を拾ってあげたり」 「それはたまたまで……」 「でもミオはたくさん見てたの!傘貸してあげてた所も見たのに!」 「あれも見てたのか、でも結局、不審者扱いで逃げられたけどな!」  ミオは公園にいる人をよく観察しているらしかった。特に俺のことをよく見ていて、俺の情けないところもつまらないところも、親切の一言で片付けられる。とどのつまり、神様というのは。 「靴、似合わないって言ってごめんなさい」 「いいよ」 「でもね、神様に褒められて、タロウはお金持ちになるから、今買っちゃダメって、思って」 「買わせないために言ってたのか?」 「ううん、本当に似合わないと思ったの」 「そっか……」 「うん」  小さな神様は真剣な目で俺の汚れたスニーカーを見る。そこまで言われたら、次も似たのを買うしかない。ちょうど金欠で、あの靴を買うには財布のなかが寂しいところだったから。 「神様が見れなくて、残念だったか?」 「それはいいの。私がちゃんと、お兄さんのこと優しいって知ってるから」 「そっか」 「でも、お兄さんはそうじゃないんだよね」 「もういいんだ、大丈夫だよ」 「そうなの?」 「ん、ありがとう」 「神様いた?」 「いたいた」 「そっか!」  よくわからないまま、それでも満足げな小さい神様と小さい俺の、小さいご縁に自販機のジュースで乾杯でもしよう。そうしたら、近所の店に行って、新しいスニーカーを買おうと思う。
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