第1話:見知らぬ国と人々について

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第1話:見知らぬ国と人々について

「あーあ。将来の夢、か……」  将来の夢――。そのフレーズを耳にするだけで、自然と喉の奥から溜息がもれる。先生から渡された真っ白な原稿用紙の入ったランドセルが、やたらと重く感じられる。  今日の国語の授業の最後に、『将来の夢』というテーマで、作文を書くよう宿題を出された。将来の夢、なんて。作文のテーマとして、定番中の定番。特に今年が五年生で、十歳――、大人である二十歳の丁度半分の年齢に達する僕等には、うってつけのテーマだそうだ。  だけど、大人達は誤解している。子どもなら誰もが夢を抱いていると。そうに決まっていると信じて疑わないのだ。 「なんだよ、エイゾーってば。辛気臭い顔して」  僕の隣を歩いていた翼が、ばんっ! と僕の背中を強く叩く。 「そんなの、適当に書いちゃえばいいんだよ」 「適当って、翼にはちゃんと夢があるから、そんなこと言えるんだろう?」 「ああ。俺はもちろん警察官!」  翼は腕を横に伸ばし、ひじから先を額の方向に曲げて、敬礼のポーズを取る。  翼のお父さんも警察官で。だからだろう、翼の夢は、幼稚園の頃から警察官になると決まっている。 「僕は普通にサラリーマンかなあ」  僕等の前を歩いていた拓は、真っ青な空を眺めながら呟く。すると翼はまたしても八の字を寄せ、 「拓も夢がねえなあ」 「だって。僕にはなんの特技もないもん」 「なんだよ、拓は勉強ができるじゃんか。それに、そのかわいい顔だって。この間も六年生の姉ちゃん達が騒いでたぞ。『拓くん、かわいい!』って」 「もう! 顔のことは言わないでって、いつも言ってるじゃん。それにね、僕くらい勉強ができる子なんて。全国にはごろごろいるよ」 「もう。そうやってすぐ自己否定するの、拓の悪いくせよ」  拓の隣を歩いていた芳子も、桜色の唇をつんととがらせて翼を援護する。そして、くるりと肩上で切り揃えられた、毛先が外側にはねがちな髪の毛を揺らしながら振り返り、 「アタシはそうだなあ。やっぱり医者かな。一人娘だもの、家の病院を継がないとね。  それで、エリちゃんと莉裕也は?」 「私はもちろん莉裕也様のお嫁さんですわ」 「エリちゃんはぶれないわね。でも、そんな夢、先生に怒られない?」 「あら、どうしてですの? 夢は夢ですわ」  たっぷりのフリルがあしらわれた黒いワンピースに身を包んでいるエリちゃんは、宝石みたいな目を丸くさせ、こてんと首を傾げさせる。  その光景に、芳子は一つ乾いた息を吐き出させる。 「エリちゃんの家、お金持ちだもんね。わざわざエリちゃんが働かなくても、ゆうゆうと生活できるだろうし」 「で。問題の莉裕也様の、将来の夢はなにかなあ。莉裕也様もパパの跡を継いで、政治家ですかー?」 「うるさいっ! 汚いバカ面を近付けるな」 「ああっ!? 誰がバカ面だ!」 「もう! 翼も莉裕也もケンカは止めなさい!」  取っ組み合いを始めようとする翼と莉裕也を、芳子がとっさに止めに入る。  二人は馬が合わないのか、ささいなことでいつもケンカを始める。まあ、短気で冗談の通じない莉裕也のことを、翼が一々からかうのが原因なんだけど。 「全く、いつもケンカして。アンタ達は本当にあきないわね」 「仕方がないよ、翼と莉裕也だもん。それで、エイゾーは? 将来の夢」 「拓ってば、なに言ってんだよ。エイゾーは発明家になるに決まってるだろう。  なっ、エイゾー」 「うーん、それは無理かなあ」 「えっ、どうしてだよ?」  ぐいと身を乗り出す翼に、僕は、 「お母さんに、そろそろ止めなさいって言われてるんだ。そんなガラクタばかり作っている暇があるなら、もっとちゃんと勉強しなさいってさ」  昨日の夜も言われたばかりだしなあ。  つい鬼のお面をつけたお母さんを思い返していると、翼が僕の方へさらに身を乗り出し、 「なんだよ、母ちゃんに言われたくらいであきらめるなんて。男なら言い返せよな」 と言った。 「みんな翼みたいに単純じゃないんだよ。  そう言えばエイゾー、またなにか作ってなかったっけ?」 「ああ。それなら昨日、丁度完成したんだ。ほら、立体映像複製機だよ」  僕はズボンのポケットの中から懐中電灯のような筒状の機械を取り出して見せる。 「ライトを改造して作ったんだ。始めにコピーしたい対象に機械を向けて、赤のボタンを押してデータを読み込ませるんだ。それから青いボタンを押せば、機械に読み込んだ対象物のコピーを出すことができるんだよ」 「へえ、おもしろそうだな。ちょっと貸してくれよ」  拓のことを押しのけて手を出してきた翼に、僕は複製機を渡す。 「このボタンを押せばいいのか? どれ、どれ……。  ……ん? おい、エイゾー。なにも起こらないぞ。壊れてるんじゃないか?」 「えっ、本当? あれ、おかしいな。昨日はちゃんと動いたのに」  翼から複製機を返してもらい、僕も何度かボタンを押した。けど、動作不良か、一向に動かなかった。配線が切れちゃったのかな、家に帰ったら直さないと。  壊れた複製機をポケットにしまっていると、不意に芳子が、 「あっ、そうだ」 と、一つ、ぱんと手を叩き、 「ねえ、これからみんなで秘密基地に行って、宿題の作文を書いちゃおうよ」 と言い出した。 「おっ。それ、いいな。ナイス、芳子!  よーし。そしたら秘密基地まで競争だー! 最下位だったやつが、みんなの分もアイスおごりな」  翼は一人勝手に決めると、続けて、「よーい、どん!」と、かけ声を上げる。それを合図に、みんなは一斉に日和山(ひよりやま)を目指して走り出した。  日和山とは名前に山がついているけど、本当は山ではなく公園で。だけど、山とついているだけあって、園内には小高い山がある。町内では一番大きくて広く、近所に住む僕等にとっては昔からの格好の遊び場だ。  そんな公園の山中には古い小屋があり。そこにみんなでゲームやマンガ、お菓子なんかを持ち寄って秘密基地に改造していた。  小さな田舎町の近所の子供――、つまりは僕等以外にはお年寄りぐらいしか、めったに訪れない場所だ。しかも、この小屋があるのは勾配が高い山の頂上付近なので、公園に来るお年寄りですら余程足腰に自信がある人しか登っては来ない。  それにしても、翼ってば。僕が運動は苦手なこと、知ってるくせに。  気付けば僕は、あっという間にみんなから離れていってしまう。それでもどうにか手足を動かし、追いついた。  けれど。 「どうしたの、みんな立ち止まって。中に入らないの?」 「入らないのって……」  みんなの視線の先をたどっていくと、僕等の秘密基地である小屋の周囲に、黄色と黒のしましま模様のテープがぐるぐると巻き付けられていた。刑事ドラマでよく見かけるものだ。テープをよく見ると、『危険! 立ち入り禁止』という文字が書かれていた。 「なんだよ、これ。どうして俺達の秘密基地が立ち入り禁止になってるんだよ!?」  やはりここで、翼がいの一番に叫んだ。  そんな翼に続いて、拓も、「あっ!」と声を上げる。 「そう言えば、前にうわさで聞いたことがある。この山になにかの研究施設が作られるって」 「なんだよ、それ!? 誰が決めたんだよ、そんなこと」 「僕に言われても。そういうことは大人が勝手に決めちゃうもの」 「だから、どうして大人だけで決めるんだよ。俺達にも関係あることなのにさ」 「いくらここでわめいたって仕方がないよ。状況はなにも変わらない。  あっ。だめだよ、翼。勝手に中に入ったりしたら。ばれたら怒られちゃうよ」  拓が今にも小屋の中へ飛び込みそうな翼を羽交いじめにし、必死に押さえ込む。 「くっそう、俺達の秘密基地だったのにぃー!」  翼は悔しげに大声を上げ、その場で大きく地団駄を踏んだ。だけど、翼だけじゃない。翼みたいに公に態度には出さなかったけど、突然僕等の憩いの場が奪われたのだ。僕だって、みんなだって同じ思いだ。  翼は思う存分怒りを地面にぶつけ終えると、肩を上下に激しく動かし息を整える。そして。 「よし。こうなったら……」 「こうなったら?」 「代わりの場所を探そうぜ!」 「代わりの場所って言ったって……」  みんなはお互いの顔を――、眉尻を下げた顔を突き合わせた。
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