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良からぬこと
例えようのない不安の中、僕は君達より早く先に未来を見ている。イヤな予感がするんだ。耳の片隅に囁く声がする。
僕は一人で生きていない。何かの共同体に属し、その中で生かされている。
人生の中で、自分の必要なものは音楽なんかではない。誰かの小説に、ただ読むだけではなく、それに対して素直に読むだけの読者ではなく、僕はそれに対して、オカシさを感じて異議を呈している。全てにおいて完璧なヤツなど、この世に存在しなくて。僕は、こうやって物書きをするのが、好きなだけだ。だからといって、これがオレの承認欲求ではない。誰かの為の音楽や文学は同時に、自身にとっての文学ではないのと、同じ様に。誰かを想って書いている時点で、それはもう、僕の望む音楽ではないんだ。ほら、また心の声がする。描かなくていいよ、そう認めてもらう事を、鼻から放棄した、愚かな僕がいる。小説を書けないスランプに陥っていた。世界に対して何かを思っているのではなく、寧ろ、何も思っていない。そんな無感動な人間に成り下がってしまった、自分が枯れた老木の様に、虚しく吠えている。誰にも、良い人であり、誰の意見も真摯に付き合う。そうやって、上り詰めた先に自分の意志がない事に虚しさを覚えずにはいられなかった。僕は、いつしか争うことを避け、嫌われることを怯える様になった。昔からそんなところがあった。虐められっ子で、弱いもの虐めする、陰気なクソ野郎だった。僕は、耳にイヤホンを刺して尾崎豊とか、聴いている間だけ、強気になれたりしていた。年下にバカにされて、ブチギレて、怖い人だと言われた。僕はその人に、啖呵を切られ、なんでこんな怖い思いをしなければならないんだ?と怖くて、母の前で大粒の涙を溢した。僕は、舐められていた。人間は、自分がイヤなことをされていた時に、耐えられる様には出来ていないんだな。長く生きてきて、キレた方が、後々良かった事が多かった。人は怒らなくなったら、大人と呼ばれるのかもしれない。けれど、それは甘えているから嫌われたくないから、従っているだけのイエスマンだ。僕は、嘘の自分で表を歩いている。何かに属する様になったら、ましてやプロになんかなったら、色々な人の場に出る上で、礼儀作法は守らなければならないが、こうやって我慢して良い人を演じると、きっとまた、自分の魅力が人に伝わらなくなる。オレって人が、この人なに考えてんの?って、理解できないって思われて、凄い人なのかどうなのか、他人に良く理解されないまま、人生を閉じたくはない。何かに甘えているんだろう。そうやって行き着いた先は、堕落でしかない。先なんて見えないだろう。振り返った時に、悔いない人生を終えたい。僕は、誰かに認められているから、そこに甘えて依存していた。自分のやりたい事も忘れてしまっていた。それは、きっと、安定していたからだろうけれど、何処かで、つまらないと思っていたんだ。この先、人生はまだまだ長い。志のない、覇気のない朝は凄く嫌いだ。夢は高く、いつだってマジで、真剣にやりたい。それを近頃、無くしていた。誰かの為の自分ではなく、自分の為の夢を夢見ていたい。それを叶えたいものだ。
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