本能寺心中

1/10
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
「何事か!?」  俄に起こる鬨の声と  朝靄を割る陣太鼓が、  此処で聞く筈がない音声に、跳ね起きた信長の肝が刹那に冷える。  枕元の太刀を摑み、急ぎ手を掛けた襖の向こうから、駆け付ける近習達の足音と声が響いた。 「殿、敵襲でございます!」 「敵は誰ぞ。毛利か、本願寺の残党か」  襖を開け放ち、誰何する信長にしかし、膝を付いた蘭丸は低い声で告げる。 「水色の旗に桔梗の紋、あれなるは惟任日向守、明智光秀の軍にございます」 「なに……?」  太刀を持つ信長の手が、震えた。  いま、なんと言った?  開け放った戸板、塀の上に見ゆるは、確かに蘭丸の言う通りの桔梗の旗印。信長は切れ長の目を眇めた。 「明智、が」  それは、考えられるうち最も起こり得ない事ではなかったか。  信長の脳裏に、()の男の凛とした背中が浮かんだ。  しんと透き通る朝を裂く、土塀や柱を揺らす戦場の音、馬の嘶き、人いきれ。寺の其処此処から上がる、慌てふためく喧噪と怒号。  薄ら白い闇に、信長の凍えた貌がぽっかりと、  天正十年六月二日未明、明智光秀の軍は主君織田信長の宿所、本能寺を囲んだ。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!