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「何事か!?」
俄に起こる鬨の声と
朝靄を割る陣太鼓が、
此処で聞く筈がない音声に、跳ね起きた信長の肝が刹那に冷える。
枕元の太刀を摑み、急ぎ手を掛けた襖の向こうから、駆け付ける近習達の足音と声が響いた。
「殿、敵襲でございます!」
「敵は誰ぞ。毛利か、本願寺の残党か」
襖を開け放ち、誰何する信長にしかし、膝を付いた蘭丸は低い声で告げる。
「水色の旗に桔梗の紋、あれなるは惟任日向守、明智光秀の軍にございます」
「なに……?」
太刀を持つ信長の手が、震えた。
いま、なんと言った?
開け放った戸板、塀の上に見ゆるは、確かに蘭丸の言う通りの桔梗の旗印。信長は切れ長の目を眇めた。
「明智、が」
それは、考えられるうち最も起こり得ない事ではなかったか。
信長の脳裏に、彼の男の凛とした背中が浮かんだ。
しんと透き通る朝を裂く、土塀や柱を揺らす戦場の音、馬の嘶き、人いきれ。寺の其処此処から上がる、慌てふためく喧噪と怒号。
薄ら白い闇に、信長の凍えた貌がぽっかりと、
天正十年六月二日未明、明智光秀の軍は主君織田信長の宿所、本能寺を囲んだ。
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