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13.「誰か」からの言葉
華族の高遠が庶民の陸奥の厚意を無碍にしたという事件は、両者の対立をより深めて、教室の中の空気は以前にも増して険悪だった。
せめてもの救いのように時が経って、再びやってきた週末、史緒は小川活動研究所にいた。以前から頼まれていた撮影をこなす為だ。
いつものように有澤に完璧な化粧を施され、白鳥澪になる。
だがカメラが回っても、心は史緒のままだった。以前感じたような、別人になる開放感も今はない。
「……今日は気分が乗ってないみたいだな。少し休むか」
「すみません」
「いや、今日はやけに暑いしな。こっちも今新入りが多くて不慣れだから、やりにくいだろう」
自分側の落ち度にしてくれるのを申し訳なく思いながら、史緒は控え室に引っ込んだ。
テーブルの上には様々な菓子が置いてある。元々青孤の道楽でやっている会社だから、経費などの観念は稀薄らしく、みな舶来だ。
その中には美しいボンボンのポットもある。史緒が目をそらしたときだった。
「ごめんください!」
研究所の入り口で誰かが案内を請う声がする。
「なんだ? やけにでかい声のやつがいるな」
青孤が苦笑しながら対応に出ていく。史緒には、その声の主が誰なのかわかっていた。
陽光だ。
でも、どうして?
史緒は控え室からそっと様子をうかがった。
「あれ、君はこの間の……」
「突然すみません」
「スタヂオまで押しかけてくるとは、本当に君は白鳥のファンなんだね」
そうか、自分が手紙を預かってこなかったから。
それで自ら届けに来るなんて、随分積極的になったじゃないか。震える鬼瓦だったくせに。
どういうわけか、今その光景を思い浮かべてみても、ちっとも笑えない。
「いえ、高遠がこちらに来ていないかと思って。邸を訪ねたら留守だったので」
「だからそれが――」
ばか、青孤さん……!
世話になっている相手であることも忘れて心で罵りながら、必死でジェスチャーを送る。幸い、青孤はすぐに気がついて「史緒くん? いや、今日は来てないなあ」とすっとぼけた。
「――そうですか」
残念そうに顔を曇らせる陽光の様子に、青孤は興味をそそられたようだ。
「ここは金春館で訊いたの? わざわざ史緒くんを訪ねて? 学校で会えるだろうに」
「それは――」
「なに。喧嘩でもした?」
ああ、完全に楽しんでるな、青孤さんめ。
あれは喧嘩などというものではない。俺が一方的にあいつの厚意を無碍にしたんだ。
成金の父に似ず、実直な性格の陽光にはさぞ不条理に感じたことだろう。それにしても。
わざわざ探し回るほど怒ってるのか――
それも致し方ないと腹をきめたとき、陽光の力ない声が聞こえた。
「……自分がいけないんです、おそらく。自分は気の利かないところがあるから、あいつがなぜ怒っているのかも皆目見当がつかなくて」
「で、休み明けまで待てなくて訪ねて来ちゃうのか。いいねえ、青春だねえ」
「いいというようなものでは」
ため息と困惑混じりの応答は、完全に弱り切っている。そうだ。あいつの性格なら、思いもよらないだろう。
自分で自分にやきもちを焼いて、突っぱねるしかなかったなんて。
「――」
はっきりと自分の中で形になってしまった感情に自分で戸惑う。
襲ってくる感情は正体不明のくせに大きくて抱えきれず、史緒はその場にしゃがみ込んだ。
そうか。
〈誰か〉からの言葉じゃない。
俺は、こいつからの言葉が、欲しかった。
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