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14.炎の中で
火の回りが早い――
途方に暮れる間にも、煙は肺に入り込む。
慌てて口元を押さえるが、気休めにしかならなかった。熱は容赦なく攻めてくる。女性ものの洋服は薄くひらひらとしていて、すぐに火が燃えうつってしまいそうだ。
史緒は覚悟を決めると美しい袖を引きちぎった。鬘も脱ぎ捨てる。
非常事態なのに、は、と渇いた笑いが口の端から漏れた。
なんてざまだ。
このままここで焼け死んだら、酷い醜聞だな。伯爵家の嫡男、女装の死体で発見される―なんて、カストリ雑誌、カストリ新聞には格好のネタだ。
でも、自分に似合いの最後のような気もした。
生きたところでこの先にあるのは意に染まぬ結婚、ままならぬ人生だ。今ここで命が終わったとしても、地獄が早いか遅いかくらいの差でしかない――
「白鳥さん!」
そのとき、聞き覚えのある声が史緒を現実に引き戻した。
――陸奥?
炎に遮られていても、たくましい体ははっきりとわかった。柔道で負けたときには悔しいとしか思わなかったそのたくましさに、言いようのない安堵を覚える。
「白鳥さん! いますか? 返事して!」
「こ――」
いや待て。
ここで返事は出来ない。
俺は白鳥澪じゃない。いや、白鳥澪は俺だけど―あいつの求める女優じゃない。
炎の熱に揺らぎながら、陽光が「澪さん!」とくり返すのが聞こえる。その必死さが、史緒の耳には哀しく響いた。
好いた相手が、愛しい他の誰かの名前を叫ぶのを聞きながら死ぬなんて。
ついさっきまで、こんなところ、こんな格好で死ぬのが自分には似合いだと諦観さえ抱いていたのに、いまさら神様を恨む。ずいぶん酷い仕打ちじゃないか。
これも、ひとの真剣な気持ちをからかってやろうとした、罰か。
意識を繋ぎ止めておくのも億劫になり、抗いきれない気怠さに目を閉じようとしたときだった。
陽光は「くそ!」といらだたしげに吐き捨てると、燃えさかる炎さえ揺るがす声で叫んだ。
「高遠!」
――え?
「高遠、どこだ! いるんだろう! 返事をしろ!」
あいつが、俺の名前を呼んでる?
「高遠!」と何度もくり返されて、史緒は我に返った。と同時に、困惑が襲ってくる。
なぜだ。なんでだ。いつ気がついた。気がついていたのなら、なぜ今――
「高遠!」
陽光の声に怒りが乗った。と思ったときにはもう、炎に包まれた瓦礫の山を飛び越えて、こちらに駆け寄ってくる姿があった。頽れかけていた肩を抱きかかえられる。
「なぜすぐに返事をしないんだ!」
「だって、その……だましてたから」
まだ目の前に陽光がいるということが信じられず、言葉を取り繕うこともできなかった。と「このばか!」と罵られる。さすがにむっとした。
「ばかとはなんだ」
「ばかだろう。身の危険よりそんなことを気にするなんて。――ともかく、話はあとだ。おぶされ」
「え」
こんなときに不似合いな、間抜けな声が漏れる。
責めないのか?
「……俺を助けても、おまえになんの得もないだろう?」
「なにをごちゃごちゃ言ってる――」
「俺は、おまえをだまして、おまえの恋心を笑ってたんだぞ」
「……それに関して色々話すことはあるが、ともかく逃げるのが」
「俺はいい、おまえひとりでいけ!」
「高遠!」
恫喝する声に体はびくっと震え上がった。怒らせた、と思う間もなく引き寄せられる。
唇に、唇が押し当てられた。
え?
肩に食い込むほどの陽光の指が必死過ぎて、がむしゃらすぎて、なにをされているのか気がつくのに時間がかかった。
重ねられた唇の肉感的な感触にたじろぐ。少し前まで顔を見てもいつも気難しげに引き結ばれていた唇が、こんなに熱を持っていたなんて――
混乱の中に、かつて味わったことのない充足感があった。
これだ。これが足りなかった。
こんなにも「〈おまえが〉欲しい」と思われることが。
ごう、と熱風が襲う。お互いに我に返った。
「――逃げるぞ」
「お、おう……わ、」
我に返らなければあのまま燃え尽きていたかもしれない。
内側からも燃え上がるなにかに焼かれるようで立ち上がれない史緒の体を、陽光は軽々と抱き上げた。
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