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15.星の有り処
「おまえのここに黒子がある。ごく小さな」
その夜、なぜ自分が白鳥澪だと気づいたのか訊ねると、陽光は自分のまぶたの際を指さした。
「全然知らなかった……」
「目を閉じて、よほど近づかないとわからないから、自分ではな」
金春館の前で澪とぶつかったとき、写真ではわからないその小さな黒子を目にして「実際にいる女性なんだなと思った」らしい。
銀幕の中の存在が急に生々しく思え、話を聞いてみれば病気の弟のために女優をしているという。
「活動なんてくだらないと決めつけていたが、様々な事情を持つ人が関わっているという当たり前のことに気づかせてもらった。……自分が成金の息子と蔑まれるのは不快なくせにな」
陽光は苦笑して続ける。
「だから、初めはその礼を伝えられればという気持ちだった。それでおまえに手紙を習って……おまえが、うたた寝した日があったろう。魘されていたから起こしてやろうと思って近づいて、気がついた。まぶたの際に、白鳥嬢と同じ黒子があると」
「あの日……」
なんだか奇妙なものを見るような顔をしていたのは、そのせいだったのか。
「ごく小さなものだし、偶然かとも思った。だが、病気の弟がいるという嘘も、無意識のうちに真実に近いものを口にしたのかもしれないと思って、いろいろ考え合せていくと―ぶつかった日も、妙な既視感があるとは思っていたんだ。今思えば、柔道で組んだときの感覚と似ていたんだな」
「じゃあ、なんで俺が白鳥澪だと気がついてからも、素知らぬふりで手紙を見せに来たんだ?」
そこは「どういうつもりだ」と詰め寄るのが普通の反応というものだろう。
訊ねると、陽光は偏屈そうに口元を引き結んだ。見慣れた顔だ。だが不思議なことに、今はその顔にもバリエーションがあることがわかってきた。
今、この顔は、言いにくいことを言わなければならなくて当惑している顔、だ。
「まだ半信半疑だったから、反応を見ようという気持ちもあったが……あれは、おまえ宛だ」
「え?」
「人に詩心がないだのなんだの言ってたが、おまえだって、随分鈍いんじゃないのか」
ごにょごにょと語尾が不満げに小さくなる。
いや、だって、俺宛? ――史緒は改めてあの日の手紙を思い返してみた。
『初めは荒唐無稽なと思いましたが、次第にあなた自身に目が行くようになりました』
『先日、二度目を観に行って、確信しました。言葉とは裏腹の仕草、眼差しのひとつひとつに気がつくと、なんとも言えない気持ちが胸のうちに芽生えるのです』
――こいつを詩人にしたのが、俺?
「嫌な奴だという印象が覆る度、おまえのことが気になって……他の奴がおまえに触れるのを見ると、酷く嫌な気持ちになった。本当はボンボンもあの日の夜にでも部屋に持って行って、ゆっくり話をするつもりだったんだ」
そこまで言うと、陽光は再び口をつぐんだ。再びその唇から漏れ出たのは、半ば呻きのような声。
「さ」
「さ?」
「さっきは、その――突然すまない。とにかく落ち着かせないとと、咄嗟に」
さっき。
「ああ、キ」
最後まで言い終わらないうちに陽光の様子がおかしくなった。
初めて白鳥澪として出会ったあの日のようにかちかちに硬直して、耳まで真っ赤に染めている。
なんだよ。
こっちまで照れてしまってうつむく。自分からあんなに乱暴に求めておいてその反応は―ずるいだろう。いろいろと。
「……とにかく、おまえが無事でよかった」
静かな部屋の中に、安堵のため息と飾り気のない呟きが落ちる。
火事は新入りの煙草の不始末が原因だった。元々活動のフィルムは可燃性が高いのに加え、気温が高かったのも相まって、あっという間に燃え広がってしまったらしい。
幸い、スタヂオとして使用していた棟を焼いただけで収まっていたが、当然消防や警察の対応もあり、諸々の処理が落ち着く頃には夜も更けていた。
青孤の采配でスタッフや役者は邸に泊まることになっていたが、元々ここは別邸だ。客室の数がわずかに足りず、当然のようにふたり一緒の部屋をあてがわれてしまったわけだが――気まずい。
黙り込んでしまったら気まずさが余計増してしまう気がして、史緒は言葉を探した。
「……俺はいつも心細かった。自分が何者なのか、わからなくて。望まれている俺はいつも、俺自身ではなくて……伯爵家には政略結婚の駒のために引き取られたようなもので……だから白鳥澪を演じることも出来た。――なにを言っているんだろうな俺は。喉が渇かないか? なにかもらって」
急に恥ずかしくなって自らさえぎると、陽光は腕を強く掴んで引き留めた。
「いい。続けろ。俺が聞きたい」
体は確かにここにありながら、この男が放つ言葉のせいで、気持ちはこんなに乱高下しているなんて、本人は思いも寄らないんだろう。
それが悔しくて――嬉しくて、なんだか泣きそうになる。
「……だから、おまえのように、脇目もふらずに勉強して商売を大きくするんだと、自分で決めている奴が羨ましかった。憎たらしかったんだ。それでつい、からかってやりたくなって……手紙の件、本当にすまない」
「俺が勉強に打ち込んだのは、親父に対する反発心のようなものだ。……自分で自分のために手に入れたいと思ったのは、おまえが初めてだ」
この男、一体何度俺の心臓を止めたら気が済むんだろう。
「……朴念仁だと思ってたのに」
「先生がいいから、だろう」
どちらからともなく身を寄せ合うと、離れていることのほうが不自然に思えるほどの安堵感が広がっていく。絡め合わせた指がしっとりと汗ばんで、お互いにこの先を望んでいるのがわかった。
陽光の胸に頭を預けたまま訊ねる。
「……わかるのか?」
「?」
「その……男同士の作法が」
「学校で下級生からちょくちょく粉をかけられるからな。親切な級友が頼んでもいないのにいろいろ教えてくれる。迷惑な話だ」
迷惑、という言葉に我知らずのうち体が強ばる。それを悟ったのか、陸奥は史緒の指に自分の指をからめると、そっと口づけた。
「……おまえは特別だ」
まなざしだけは真っ直ぐにこちらを見つめて、囁かれる言葉。
「――、」
突然目眩のような感覚に襲われて、史緒は声を詰まらせた。まるで風か猛禽類にでもさらわれて、高い空に連れ去られたような感覚。
さらったのは風ではなく、ほんの少し前まで対立していた男だ。
うなじに指を回すと、陽光はひとつ瞬いたあと、そっと体を重ねてきた。
唇がゆっくりと重なる。炎の中ではあんなに力強かったのに、今はまるで巣から取り落とされたひな鳥にでも触れるかのようにたどたどしい。
それでも、唇を開いて誘うと、舌が入り込んできた。陸奥の舌は予想通りに肉厚で、予想外に繊細だった。
ほんの少し絡ませればもう勘所を覚えて、貪欲に貪ってくる。すぐにも頭の中をいっぱいに満たす濃厚な水音で、溺れてしまいそうになる。
「……つ、む……陸奥! くるし……」
どうにか引きはがすと、陽光は初めて我に返ったようだった。
「――すまん」
寝台の上で申し訳なさそうに呟いて、濡れた唇を手の甲で拭う。
そんなふうに濡れるほど自分たちがなにをしたのか考えると、史緒の頬も熱くなる。すまん、と言いながら陽光の瞳は相変わらず欲情に黒く濡れていて、史緒はぶるりと身震いした。
欲しがられている。俺を。一片の偽りもない、俺自身を。
「…………」
飢えた獣のような眼差しを見つめ返した。急なことで、お互い寝間着に借りた浴衣姿だ。史緒は陽光の瞳を見つめたまま、襟の袷を開いた。口づけだけで感じた紅い密やかな果実が、もうぷっくりと立ち上がっていた。陽光が息を呑む気配がする。
「――むつ、」
ねだるように名前を呼べば、しおらしく控えていた体が再びのしかかってくる。誘うまま果実を口に含まれて、嬌声が漏れた。
「あ……っ!」
おあずけを解かれた大型犬のように、陽光はそこを舐めしゃぶる。初めは痛むほどがむしゃらでしかなかった愛撫はやがて、舌先を小刻みに使ったものに変わる。
「あ、あ、あ、んっ!」
やさしい愛撫に陶然としていると、乳暈の裾野をきゅっとつままれた。さらに舌先で先端をくすぐられる。
「は……っ」
半脱げになったもう片方の突起を、浴衣の生地の上から指先でこね回された。一度に襲いかかってくる快感で身悶えると、裾が乱れる。陽光の中心が押しつけられた。
「……っ!」
わずかに触れ合っているだけなのに、怯むほどの圧。
どくどくと波打つ血潮を感じると、全身総毛立つ気がした。自身の血も一ヶ所に運ばれて、束の間気が遠くなる。
さっきまで空の上に引き上げられた気がしていたのに、今度は海の上で溺れている。当然、陽光も史緒の昂ぶりが芯を持っていることには気がついているのだろう。乳首の愛撫を休むこともないまま、腰を淫らに合わせてくる。
お互いかろうじてまとっている浴衣越しの、もどかしい刺激。もどかしいけれどもそれと口にすることも出来ず、史緒はただ快感に振り回されるまま喘いだ。
体中の力を司る感覚がすべて下肢に集まって、されるがままになっていると、不意に体をひっくり返された。
うなじに、首の付け根に、口づけを落とされる。ぐっと衣紋を暴かれて肩甲骨の間に舌を這わされる。そのくすぐったさに体は反射で逃げようとするが、絡まる浴衣が戒めになって、思うように動けない。
小川家の寝具はさすがすべて絹で仕立ててあって、もがくたび、しゅる、しゅると音を立てた。
腹の下に陽光の腕が滑り込んできて、高く腰を上げさせられる。布越しに尻の双丘をまるく撫でられた。
「……っ!」
いつの間に、こんなにも全身が感じるように仕立てあげられていたのだろう。かろうじてまとった浴衣の生地にまで感覚が宿ったように、陽光のてのひらの熱を伝えてくる。
くり返しまるく尻の丘を撫でていた陽光が、浴衣をめくり上げた。あらわになった双丘をぐっと割られる。
――ひあ、
情けない悲鳴をぎりぎりのところで飲み込んだ。
「な、なにす」
「ここをほぐさないことには、この先が出来ないんだろう?」
「そ、そうだけど……」
かろうじて応じる間も、陽光の眼差しはじっとそこに注がれている。あの真っ直ぐで、すべてを白日の下にさらしてしまいそうな熱い視線で凝視されている。そう考えるだけで震えてしまう。陽光は様子を確かめるようにその秘めやかなすぼまりを両手の親指で押し広げたあと、おもむろに舌を這わせた。
「ひゃ――!?」
今度の悲鳴は、抑えきれなかった。
「嫌か?」
あられもない場所から届く気遣わしげな声。そのことにさえ感じてしまう。
「いや……じゃ、ない……」
枕に顔を埋め、かろうじてそう絞り出すと、陽光のてのひらがもう一度確かめるように白い丘を撫でた。無愛想な顔からは想像も出来ないやさしい手つきに安らぎのようなものを覚えたのも束の間、ぐっと大胆に押し広げられる。
同時に、中まで舌が入り込んで来た。
「あ……ッ!?」
くちくちと濃密な水音を奏でながら、隘路を犯される。それは生れて初めて味わう衝撃だった。
「む、陸奥、陸奥!」
「なんだ?」
「その……い、嫌じゃ……ないのか?」
初めてといえば陽光だって初めてのはずだ。いくら教わったことを素直に試す性格とはいえ――これは。
「――嫌ではないな」
一瞬の間のあと、陽光は言った。まるで自分でも不思議でたまらないと思っているような響きで。
「むしろ好きだ。おまえのそんな声が聞けるのがとてもいい」
「――」
言葉を失っているうちに、陽光は行為を再開する。舌先で、まるで固く閉じた蕾をほぐすように襞をなぞった。
「これは? 嫌か?」
「いや……じゃない」
「じゃあ、これは?」
ほころび始めた蕾のすぼまりを、たっぷりの唾液をからませてくすぐる。
「や……じゃない……」
史緒は呻いた。顔を枕に埋めて腰を高くつきだした己の格好を想像すると、逃げ出したい衝動にかられる。けれどもしも顔が見えていたなら、こんな恥ずかしい問答には堪えられなかっただろう。
「これは?」
愛撫ですっかり敏感に濡れた内部。今までとは比べものにならないくらい一層奥深く舌が穿って、史緒は高く鳴いた。
「あ、ああッ……!」
握りしめた指が枕に食い込む。柔らかな羽の枕は頼りなく、強すぎる快感を逃がしきるにはとても足りない。ふわふわと雲のような快感が全身を包む。だがそれに酔う間も陽光は与えてくれはしない。
じゅぶり、と淫らな音をさせ、さらに中を行き来する。
「あ……! あっ、ああ……ッ」
うそだろう。
まるでそれ自体なにか別の生き物のように猛々しい舌が、容赦なく中を侵し、犯す。
反った背筋を快感の波が滑り落ちていき、ぞわりと肌が粟立つ。
もう衝動を抑えることもかなわなくて、腰が淫らに震えるのに任せた。こんな淫らな情動をあからさまにしているというのに、陽光の指は一層きつく史緒の尻に食い込んで押し広げ、舌は、怯むどころかより奔放に隘路を分け入ってくる。
「あ、あ、あ、あ――」
かつてない程の大波のような快感が、まっさらに、何もかもをさらっていった。
涙と汗とでぐちゃぐちゃになりながら、史緒は絞り出す
「い……や、だ……」
「高遠?」
「もっと、くれなきゃ、いやだ――」
淫らな要求に、陽光が息を呑む気配がした。それさえ快楽のぬらつく膜の向こうにあるようだった。願望を抑えきれない。
高遠の家に引き取られたときも、使用人一家がいなくなったときも、けして人前では流さなかった涙。それがぽろぽろとこぼれ落ちるのをどうにも出来なかった。
今、こいつが、どうしようもなく欲しい。
心の叫びが聞こえでもしたように、陽光が低く呻く。荒々しく体を返された。大きく足を開いて押し上げられる。対面している分、恥ずかしさはまさるはずなのに、かまってはいられなかった。
すっかり乱れた浴衣の裾から、陽光自身が覗いている。
陽光はそこに手を添えると、淫らに濡れてひくつく史緒のすぼまりにあてがう。ひた、と触れただけで脳味噌が焼き切れるほど気持ちいい。
「――挿入れるぞ」
言葉を発することも出来ずに、ただこくこくと頷いた。頷いた拍子に目尻から伝わり落ちた快感の涙を陽光がそっと吸う。
さっきまで獣のような気配を発していたくせに、触れた唇はやさしくて、きゅっと胸の辺りが苦しくなった。そっとまぶたを押し上げると、陽光の深く黒い瞳がすぐ近くにある。
ああ、この目だ。
自分の目指す先をまっすぐ見据える、この目。
こんな目に、おまえだけが欲しいと見つめられたかった。
陽光は、真っ直ぐに、無遠慮なほど史緒と目を合わせたまま、あてがっていた昂ぶりの先端をゆっくりと穿った。
ほぐされたとはいえ、慣れない史緒の蕾は陽光の侵入を拒む。つるり、と滑るその感触さえ感じて、ふたり同時に息を詰めた。
陽光はなにか短く罵るような言葉を吐くと、何度か入り口を滑らせる。陽光の張り詰めたそれはすでに先走りの蜜をこぼしていて、すべるたび、淫猥な音を立てた。
淫猥な――そう思うのに、同時に、なにか神聖な儀式めいたものさえ感じて、快感とは別の涙がこぼれそうになる。
不思議だ。
立場はどうにもならなくとも、肉体はいつも自分の意思で動かせるものだと思っていた。
だがそれは不快ではない裏切りだった。胸をいっぱいにふさぐなにか苦しいような感情は、同時にひどく甘くもある。
「あ――」
注意深く様子をうかがっていた陽光が、ぐっと腰を進めた。
やっと先端を飲み込んだかと思えばまた押し返す隘路は、くちっと濡れた音を奏でる。
くち、くち、と進退をくり返しながら少しずつ進んだ熱を持つ肉塊がすっかり腹の中に収まったとき、陽光は深くため息をつき、史緒の胸に覆い被さるように顔を埋めた。
その心地の良い重み。こんなにも他人の体がぴったりと、まるで初めから一つのものだったように重なる不思議。
「「大丈夫か?」」
思わず訊ねた声が重なった。
お互い顔を見合わせて苦笑する。あんなに正反対だと思っていた男と、同じとき、同じことを考えているのがおかしかった。
「……高遠」
苦笑を真摯な眼差しに変えて、陽光が囁く。眼差しだけで頷いて、よく鍛えられた背に腕を回した。
「んっ、……!」
ぴったりと食み合った肉がずるりと蠢くと、なんとも言えない違和感に怯む。意思に関係なく逃げようとする腰を陽光に悟られまいと足をからめた。陽光が抱きしめてくる腕も力を増す。
わずかな隙間でお互いを気遣いながらのたどたどしい注挿が様子を変えたのは、突然のことだった。
「――ッ」
稲妻のように鋭く走った快感。すでに陽光によって施された愛撫でどこもかしこも感じていたはずの体に、それはまったく新しく、大きく、逃れようのないものだった。
「高遠?」
「な、なんでもな――」
得体の知れない大きすぎる快感は、そんな言葉を紡がせる。
陽光は口をつぐみ、次の瞬間、一旦引いた腰を強く突き上げた。
「ああ……ッ!!!」
未知の快感に息さえ出来ない。
陽光はさらにきつく史緒を抱き寄せ、速いピッチで腰を使い始めた。
「あっ、あっ、あっ、や、や、あっ、むつ」
ひかがみの裏に手を入れてさらに足を開かせると、陽光は再び艶めかしく腰を使う。
「あっ、ばか、そんな、あっ、」
まるで獰猛な動物に内臓をえぐられているような恐怖さえあるのに、一方で躯は悦びに震える。逃げたいと思うのに、隘路の肉はいやらしく蠕動して陽光をもっともっとと奥へ誘い込み、離そうとはしなかった。
「高遠――」
陽光の精悍な顔が歪む。それが苦痛故ではないのだと、初めての行為なのにわかるのが不思議だった。きっと自分も、同じ顔を陽光の前にさらけだしているのだろう。
言葉にした訳でもないのにどちらからともなく近づけた唇が重なる。奪い合うように何度も重ねたあと、まぶたに触れる。
「……これを知ってるのは、きっと俺だけだな」
掠れた声で囁かれて、ふたり同時に上り詰めた。
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