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7.「にょ」
「そうと決まれば早速書けよ。明日青孤さんのところに持って行くから」
「今か?」
「次はいつ会えるかわからないから」
さすがに不自然かと思いながら告げると、陽光は「……そうだな、ちょうど予定があるというのなら、日延べしてもまた手間をかけるだけだし……」と言い訳がましく呟いた。
そうそう、と図書室の一角に座らせ、便箋を出してやる。従子のあの剣幕ではしばらく七生に直接会うのも難しそうだから、と用意していたものがちょうど役に立った。
「いいのか。こんな上等そうな」
「いいよ。まさかノートの切れ端に書くわけにもいかないだろ。それとも、今から日本橋の榛原にでも行って、女性好みの便箋を見繕ってくるか? 自分で」
自分で、のところに力を入れてやる。案の定陽光は、よほど不味い薬でも飲まされたかのように眉間に皺を刻み、唇を引き結んだ。
そのまま黙って万年筆を取り出し、便箋に向かう。じっと見つめたあと、筆を――
走らせ始めないな。
五分待っても、十分待っても、陽光は手紙を書き始めなかった。それどころか、そのまま石化でもしてしまったかのように、微動だにしない。さすがに心配になってきた。
「……陸奥? 大丈夫か」
「にょ」
「にょ?」
「女人に手紙など……初めてで……」
江戸か。
「女人って……なにも借金や結婚を申し込もうってわけじゃない。気楽なファン・レタァだろう。さらさらっと書けよ」
「そう簡単にいくか」
このままでは悪戯に時間だけ過ぎて、なにも弱みを引き出せそうにはない。 面倒になって「じゃあやめとくか。俺はどっちでもいいけど」と投げやりに言うと、陽光は「それは」と面を上げた。
「……書く」
そしてまた、便箋に向かう。ただし、まるでこれから切腹でもしようかという悲壮な面持ちだ。
それでも「書くのをやめる」とは言い出さないんだな。
――そんなに白鳥澪にご執心なのか。
「その意気その意気。さすが〈座学も学校一番〉」
なんだか面白くない気がして、皮肉を込めて言ってやると、陽光はうんざりとした様子でため息をついた。
「あれはあいつらが勝手に言っているだけだ。まあ、そうありたいとは思っているが」
おや、と思った。てっきり華族の子弟をぼんくらと見下して、文武で打ち負かすことに快感を覚えているのだと思っていたのに。
「……なぜおまえはそう、懸命になれるんだ?」
成金の生徒の中には、編入資格に若干足りない成績を財力でもって下駄を履かせてやってくる者もいる。
「華族様と机を並べた」という肩書を手に入れたあとは、必死に勉強する必要もない。そういう生徒が増えることで、全体の学力低下が懸念されてはいたが、とかく世知辛い世の中だ。当面学校側が金のある庶民の編入を断ることはないだろう。
そんな雰囲気の中で、ひとり熱心に勉強する陽光の姿は、異質ですらあった。
陽光は親の仇のように便箋を睨みつけたまま言った。
「元々は親父の思惑で入れられた学校だが、さすがに教師陣は一流がそろっているし、吸収できることはしないともったいないだろう」
至極もっともな言い分ではある。が、素直に称賛するのは面白くない。
「もったいない、か。いかにも商売人の息子らしい発想だな」
少し踏み込みすぎたか。憤るだろうかと思ったが、陽光はただ淡々と応じる。その表情は、どこか物憂げでさえあった。
「俺が家業を安定させないと、妹たちが可哀想なことになるからな」
「妹がいるのか」
「ああ、二人な。それぞれ母親が違って、俺には似ていない。愛嬌もあって、素直な、本当に可愛い奴らなんだ。……だが親父はあいつらを商売の手駒くらいにしか思っていなくて、年頃になったら、金や名誉のために親子どころか祖父ほど年の離れた華族様の妾に差し出す気でいる。今はまだ冗談で語られる程度だが、本当にやりかねない男なんだ、あいつは」
あいつ。実の親のことを語るにしては剣呑すぎる響き。だがそれは、史緒にも覚えのある感情だった。
もしかしてこいつも、家の為に窮屈な人生を強いられているんだろうか。自由な庶民。どんな生き方も選び放題の成金の息子かと思っていたのに。
こいつ、俺と少し――似ている?
史緒が押し黙っているのをどう受け取ったのか、陽光はきまり悪そうに苦笑した。
「家の恥をさらすようだが、俺の母も、妹たちのそれぞれの母親も、みんなあいつの女癖のせいで泣かされてきたんだ。妹たちが同じような男のところへ差し出されないないためには、俺が人一倍頑張らないと」
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