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9.却下
「返事をもらってきてやった」
すぐにでも部屋に怒鳴り込んで「これが手紙といえるか!」と叩きつけてやりたい衝動を抑えて翌日の晩まで待ち、史緒は陽光を呼び出した。
陽光にくれてやったものとは別の便箋をわざわざ用意して、文香まで入れた手紙には「こちらこそとても楽しいひとときでした。よろしければまたお便りを頂けたら嬉しいです」とだけ書いた。……嘘は一分も書いてない。
それを受け取って読んだ陸奥は、はじめ尊いものを拝むような表情をした。が、目線が下に行くにつれ、目に見えて青ざめていく。
……そんな顔をするようなことを書いた覚えはないぞ俺は。
「また……便りを……?」
そこか。
「良かったじゃないか。今度はもうちょっと内容のある手紙を書けよ」
「ん?」
「いやなんでも。せっかくむこうからまたって言っているんだから、お言葉に甘えておまえの思いのたけをぶつけろよ。もうその便箋は全部やるから」
「それは有難いが……なにを書いたらいいのか皆目見当もつかん……」
「じゃあまずノートに要点を下書きをしてみたらどうだ?」
あまりに悲壮に思いつめた顔をするから、史緒はついそう提案していた。「そうか、下書きか」
陽光は律義に言われた通り講義用のノートを取り出すと、後ろ側から開いて何事かを書きつける。勉学と同じ手順を提案したのが良かったのかもしれない。だが史緒が己の指導力を自画自賛できたのも、ほんの数秒にすぎなかった。
「…………」
陽光の手はぴたりと止まり、数日前のパーラーのときのように、自身が椅子であるかのようなかくかくとした姿勢のまま固まってしまった。そっとノートを覗き込んでみる。
時候の挨拶と手紙の礼
健康を気遣いながら礼
再度礼
重ねて礼
――礼、多過ぎ。
「おまえね……」
深いため息が出てしまう。
今日も英語の授業では本場の英吉利人講師に完璧な発音を「エクセレント!」と褒められていたというのに、日本語がこんなに不自由って、どういうことだ。
「な、なにか悪いか」
「いや悪くはないが」
礼儀を重んじるということは伝わる。むしろ腹いっぱい。
「ご婦人、しかも女優だぞ? もっと感激で胸いっぱいになるようなことを書いて、ファンであることを伝えるべきだろう」
「そういう、赤裸々な部分を書いてくれなければ俺の出歯亀根性が満たされないだろう」を幾重にも薄紗で包んで史緒は告げる。
「そうは言っても……」
――ああもう、煮え切らないな。
「たとえば美しさを花にたとえる。百合のように気高いとか、野菊のように可憐だとかだよ」
「わかった。その辺りにしてくれ」
「なんだ、俺がせっかく――」
「いや、わかっている。だが俺の知っている花の種類など限られている。全部おまえに語られてしまっては、俺の言葉がなくなる」
ついさっきまで「怪奇! 真夜中に震える鬼瓦」という風情だった陽光は、不意に真剣な眼差しを見せてそう言った。
そんな顔をすると、精悍さが際立つ。商人より軍人のほうがよほど似合いの。
「未熟でも、自分の言葉でなければ意味がないだろう」
ああ、まただ。
女性客に囲まれて、びくびくおどおどしてたくせに「貴方は特別なんです」と告げたあのときのように、突然静かな情熱をにじませるから、それ以上はなにも言えなくなる。この朴念仁にここまで言わせる白鳥澪が羨ましいとさえ思う。
――いやだから、それは俺だよ。
いや、俺であって俺でない、のか。
そう考えると、なんだか不意に胸が塞いだ。
塞ぐ? なんでだ。
「――高遠?」
自分で自分の気持ちがなにに起因するのかわからないまま、思いに沈んでいたらしい。陽光に問いかけられて史緒は我に返った。
「ああ、悪い。書けたのか?」
「ああ、本当に下書きだが……」
「見せてみろ」
渋る陽光を「便箋まで供出してやったのは誰だ」と黙らせる。自分であって自分でない澪に今度こそちゃんと向けられたであろう好意を見るのは怖いような気もし、どうしても見たい気もした。
ノートを奪って、やはりあの不器用で生真面目な性格がにじみ出たような文字を目で追う。
「なになに、白鳥澪様、あなたは竹のような人です。まっすぐで、伸びやかで、花は滅多に咲かないが、それゆえに貴重な……」
高遠家の広い敷地内には竹林もあるから、史緒は知っている。それは不吉な前兆なのだと。
気が遠くなるのをかろうじてこらえ、ばっさりと伐った。
「却下」
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