0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
これは一週間前に自殺した友達とのある日の会話である。といっても表面上はそこまで重い話でもないのでどうぞ気楽に受け止めてくれればと思う。
内容として僕とその友人の共通の趣味であるアニメに関することだ。その会話は友人のこんな一言から始まった。
「それにしてもいい時代になったよな」
そんなことを皮肉気に言ったのだった。
「どうしたんだ?そんなおっさんみたいなセリフを言って」
「だってそうだろ?こんな名作をいつでもどこでも、好きなとき好きなだけ観られる時代になったんだから」
僕の部屋に集まり、二人でとあるアニメを一気観をし、その作品が思いのほか良作で、見終わった後の感傷に浸っていたときのことである。
友人が言っているのは近年流行りのサブスクリプションサービス(サブスク)のことだろう。月額1000円前後の金額で様々なコンテンツを視聴できるサービス。僕たちが先程まで視聴していた作品もそのサブスクを利用したものだ。
サブスクができる以前のアニメ鑑賞というものは不自由なものであった。深夜アニメというものが浸透しきった昨今において、録画機能の持たない家にとっては、アニメを視聴するには自分の生活習慣を崩すことを余儀なくされた。
録画機能を持つ家であろうと容量という壁がある。録画できる量も無限ではない。次の作品を観るためには今ある作品を急いで観て削除しなくてはならない。そうなるとゆとりのある視聴ができなくなる。ゆとりのないアニメ視聴は、観賞後の満足度を下げる。かといって観なければその不十分な満足すら得ることができない。
そんなアニメ視聴におけるもどかしさから解放してくれたのがサブスクである。月額の金額は決して学生の身としては安いものではないが、そこにさえ目を瞑れば案外悪くないものである。好きな作品を好きなとき好きなだけ楽しむことができる。見逃しという概念はもちろん存在しない。僕たち視聴者はサブスクによって鑑賞の不自由から解放されたのであった。
「確かにいい時代にはなったな。で、何が気に入らないんだい?」
「おいおい、俺は別にそんな事一言も言ってないだろ」
「じゃあ君は本当に今の時代に何の不満もないのかい?」
「いや、そういうわけではない」
「ならもったいぶらず言えばいいだろ?」
「いや、そうしたいところなんだが、この不満の正体、いやこの感覚を不満といっていいのかもそもそも疑問なんだが、とにかく不満ということにしておこう。その不満の正体なんだが、これが一体何に対する不満なのか、どういった不満なのか、それが俺自身にも皆目検討がつかないんだよ」
「なんだそりゃ」
友人はこういった曖昧な表現をするのが好きであった。当然理解に苦しむのは聞く側だ。
「例えば、サブスクによって、深夜起きていたり、録画をしたりと、そういったアニメを観るための努力っていうのが必要なくなっただろ?それはいいことだとは思うんだけど、それによってアニメを観るための努力が必要なくなったのが不満というか」
「おいおい。例えを用いたくせにさらによくわかんないことを言ってどうする」
「だから俺にもよくわからないんだよ」
「察するに、深夜視聴や録画の必要がなくなったのも喜ばしいと思うと同時に不満にも思っているってことか?」
「そんなところだ」
「なら余計よくわからないな。深夜視聴や録画なんてものはなくなった方がいいとしか僕には思えない。もちろんサブスクのある今でもその方法に拘りを見せる奇特な奴がいるにはいるが、君はその類の人なのか?」
「いいやそれも違う。俺だってなくなった方がいいと思っている側だ」
「なんだよ。本当に何が言いたいんだよ」
「例えばな…」
と、また友人は例え話を持ち出す。きっとまたわかりずらい話なのだろうなと予感しながら話を聞く。
「得ることは失うことなんてよく言うだろ。例えば、自動車を作って素早く移動できるようになったが、運動する機会が減ったみたいな。そういった類の喪失を俺は感じているんだと思うんだよ」
「君、例え話の中に”例えば”を使うって、少しは正しい日本語を意識して話せないのか?」
「うるさいな。それでも言いたいことは伝わっただろ?」
「要するに、サブスクを利用したことで失ったものもあるってことか?」
「そうだ。それが言いたかったんだよ」
と、やっと友人は要領を得たようである。「その話し方だと僕以外の人ならまともに取り合ってくれないぞ」、とは言わないでおいてやった。
「それで、そのサブスクによって失ったものってのは具体的に何なんだ?」
「うーん、例えば……」
「またそれか。今度はわかりやすくしてくれよ」
「うるさい。今頭の中を整理しているんだよ」
正直その一言でこいつの話を聞くのはやめようかなと思ったが、乗り掛かった舟といこともあり最後まで真面目に聞くことにした。
「例えばな、子供のときの方もっと夢中にアニメを観ていた感覚ってないか?週に一回流れる放送を常に心待ちしているような感覚。見終わった後に、『ああ、また一週間待たなくちゃ』っていう感覚。そういった感覚って今思うとめちゃくちゃ大事な気がするんだよ。アニメってその感覚があるからこそドキドキワクワクしてみれていたような気がする。だけど、今ではそういった感覚を感じる機会はほとんどない。サブスクが一週間に一度というペースをなくしてしまったから」
「それがサブスクによって失ったもの?」
「多分な」
「わかるような気もするけど、それって本当にサブスクのせいなのか?」
「違うのか?」
「だって新作の場合は一週間に一度の更新っていうのは変わってないだろ?」
「それはそうだけど……。でも絶対観なきゃって感覚はないだろ?」
「それはどういうことだ?」
「例えば、録画の場合だと、録画しといて結局観ないなんてことが起きるだろ?サブスクってそれをより助長していると思うんだよ。更新されたけど結局観ないみたいな」
「でも、焦って観なきゃっ、てなるよりはそっちの方がよくないか?」
「そうかもしれないけど……。でもその焦りがあるからこそ観れたといか……」
「焦ると視聴の質を下げないか?それだと録画よりサブスクの方がマシのような気がするけど」
「そういう意見もあるかもだけれど……、ああもう止めだ止めだ」
と、ついに友人は自身の論を通すことをあきらめた。
「そう矛盾を突くようなことを言わないでくれよ。俺だってよくわかってないんだから」
と言って友人はふてくされてしまった。
「悪かったよ。少しいじめ過ぎたようだ。まあ君の言うことにも一理あると思うよ」
と譲歩の言葉をかけるも、それで納得はしていない様子であった。
「とにかくサブスクもいいことばかりじゃないんだからな」
と、友人は最後に投げ捨てるようなセリフを吐いた。
これが僕と友人の、とある日の会話である。
この会話をしているときには、まさか彼が自殺をするなんて思いもしなかった。
一体何が彼を自殺へと追い込んだのか。それは僕には分からない。
少なくとも、この程度のからかいで傷つくような繊細な心とは思えなかったし、仮にそのような心であったとしても、この会話が彼の自殺に起因していたとは到底思えない。
まあ、これは僕にとって都合の良い解釈なだけかもしれないけれど。
彼が自殺した理由について勝手な推測をするならば、彼はきっと自分の価値観を変えることに疲れたのだと思う。
昔は通じた価値観が現代では使えない。そういったことは往々に起きるもので、そうなると人は変わる社会に合わせて価値観を変える。でもそういったことは一回や二回のことではなく、何回も何回もあって、そうやって変え続けていく内に何が正しくて何が正しくないのかが分からなくなって。
駄目だな。僕も彼みたいにうまく説明できないものである。
きっと何を言いたいのか僕自身よくわかっていないのだろう。
あのときの彼と同じだ。
得ることで失ったものもある。
そう友人は言っていた。
彼の自殺の理由、それのもう一つの解釈としは、友人はその失ったものを探そうとしてしまったのかもしれない。
失ったものはもう無いというのに。
それを探して、見つからなくて、疲れてしまい、ついにはあきらめて、最後に絶望した。
もちろんこれも僕の勝手な推測だけど。
とにかく友人は死んだ。
彼の命はもうどこにもない。探したところで意味がない。
結局は諦めるしかない。
諦めが肝心とはよくいったものだ。
人が生きていく上で一番重要なことなのかもしれない。
僕はそのことを友人に伝えておけば良かったのかなと、意味のない後悔をするのであった。
最初のコメントを投稿しよう!