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「何で……?」
彼女は驚きに目を見開きながら、宙吊りの状態で俺を見上げていた。彼女を吊り上げているのは他でもない、この俺だ。彼女の左腕を両手で掴み、全身めいっぱい使って落下を阻止していた。
自分でも何でこんなことをしているのかわからない。ただ、ごちゃごちゃと理由付けする余裕はなかった。彼女の頭の向こうに見える、ざあざあ音を立てる真っ暗闇から彼女を掬い上げる、その一心だった。
「放して!余計なことをしないで!」
「うるせえよ……。あんたも、這い上がる努力をしろ!」
「どうしてよ……!あなたも死にたいんでしょう?」
「ああ。でもあんた、死にたくないんだろ?」
俺は死ぬ気だ。ただ、本当は死にたくない人間を見殺しにしてはあと腐れなく死ねない、そんな気持ちがふつふつと湧いて来た。
俺はさらに踏ん張った。地に足をつけず、ただ重力に引っ張られるのみの人間がこんなに重いとは思わなかった。それでも彼女の身体を少しずつ引き上げていく。
腕が猛烈な勢いでしびれてきた。
顔面蒼白の彼女が掴まれていない方の片腕を伸ばし、橋のへりに指を引っ掛けた。ほんの少しだけ負担が軽くなったが、俺の腕は声にならない悲鳴を上げている。俺はラストスパートとばかりに片足を欄干にひっかけて身を乗り出し、片方の手で素早く彼女の肩の付け根を掴み、一気に引っ張り上げようとした。
――その結果。我ながら好判断だったと思った。ただし、彼女を助けることに関してのみ、だ。彼女はベランダに干された布団のように、身体をお腹のあたりで追って欄干に引っ掛かった。
その姿を、俺はふわっとした感覚の中で見送った。というより、彼女の信じられないものを見るような目に見送られた。前のめりになった俺は自分を自分で支えきれなくなった。今度は俺が橋の下へと引っ張って行かれる番だった。
眼下の闇が、俺を飲み込もうとしている。せめて月でも見上げながら落ちようと思っていたが……。最期まで他人に巻き込まれっぱなしの人生だった、くそ!
俺は、静かに目を瞑った。
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