彼とコーヒー粉の相関関係

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彼とコーヒー粉の相関関係

 冷蔵庫の残り物で作ったパスタを胃袋に収め、唇のケチャップをティッシュで拭う。食器を手にキッチンカウンターのスツールを下りると、ぐるりカウンター裏のシンクに向かう。1人分の皿とフォークなんて、あっという間に洗い終わり――いつもの癖で顔を上げれば、なんの変哲もない僕の部屋がある。すぐ目の前のダイニングテーブルも、その向こうのソファーにも、クッションが転がるラグの上にも、思い描く人の姿はない。胸の奥が疼く。金曜の夜なのに。カレンダーに付けた赤丸は、ここ3週連続で×印に潰されている。 『ちょっと厄介な案件が立て込んじゃってさ、悪い』  最後に会った先月の半ば、彼――圭一(けいいち)は困り顔で目を伏せた。会えないことを、気にしてくれている。それに、仕事なんだし。だから、責められなかった。 「あ。もう切れちゃう」  冷蔵庫から出したコーヒー粉の保存容器(キャニスター)を傾けて、底に残った粉をフィルターに入れる。  長い夜を持て余すから、つい彼の好きな香りを求めてしまう。グァテマラをベースにしたオリジナルブレンド。彼が職場に近いカフェで買って、うちに来る時の手土産にしている豆だ。ストックを僕1人で消費してしまうくらい、彼の足が遠退いている。こんな悲しい相関なんていらないのに。  大学を出て、6年。圭一は、同じ学部の同級生だった。取っている講義が共通したから、いつもつるむ仲間になった。やがて、取り分け親しい友達の1人……で収まるつもりが、幾つかのボタンを掛け違えた結果、ひと越えに恋人になってしまった。僕自身は同性愛に偏見はなかったけれど、いざ付き合いだしてみると、異性愛がノーマルだという考えが未だ世の中の主流だと気付かされた。だから、屋外では親友の距離感で振る舞って、心おきなく触れ合うのは互いの部屋の中だけと決めた。働き出してからは、職場が違うこともあって、思うように行き来出来なくなった。2人とも土日が休みなので、金曜日の夜はデートして、そのまま僕の部屋にお泊まり――これが、ここ3年くらいの定番だった。 『え、主任になったの?』 『まぁな。雑用が増えるだけで、なんにも変わらないけどな』  そんな会話を交わしたのが、今年の春。ひと月も経たない内に、彼が僕の部屋まで残業を持ち込むようになった。ダイニングテーブルでノートPCに向かう横顔は精悍で、大人しく読書する振りをしながら盗み見るのも、嫌いではなかった。 『ごめん、今週は行けない』  断りのLINEが来るようになったのは、夏が始まった頃。それでも、お盆休みの数日を一緒に過ごして、埋め合わせてくれた。だけど、秋になると多忙に拍車がかかり――連休に入れていたお出かけの予定が潰れた。郊外の温泉宿に泊まろうって、早割で予約していたのに。しかも、週末のデートも隔週になり、そして、今回の3週連続キャンセルだ。 「仕事だから……仕方ないじゃん」  誰に言うともなく呟いて、少し冷めたコーヒーを含む。好きな味が口一杯に広がり、香りが鼻から抜け――違う、今、気付いた。僕が好きなのは、この味と香りじゃない。この味と香りのする彼のキスが好きなんだ。どうしよう。温もりが恋しくて、寂しさに潰れそうだ。
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