序:発生〜ビギニング〜

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 河上(かわかみ)(いらつめ)は、すぅすぅと静かに寝息を立てている。  山の子リス(・・・)を思わせる、あどけなく愛らしい表情だ。時おり頬を緩ませるのは、幸せな夢でも見ているのか。  駒の経験上、美人というのは常に周囲の目を気にしていて、外見をとりつくろうことに余念がない。しかし、当然ながら寝ている時ばかりは自然体でいるしかなく、ともすればみっともない醜態までさらけ出してしまう。  それがどうだろう、この女は寝姿さえも美しい。  その事実が男としての、駒の情動に火をつけた。  少女に迫って布団(ふとん)をはぎ取り、細い体にのしかかる。麻の寝巻(ねまき)をはだけさせると、薄暗い部屋の中にあっても淡く輝いているかのような、白い(はだ)があらわになった。  駒は思わず息をのみ、手を止める。 (おれは何をしている?  これからこの子に、何をしようっていうんだ?)  河上の娘が覚醒して、垂れがちの目で駒を見上げた。首を傾げて、肩にかかる長さの髪を弾むように揺らす。 「あら、どなた?」  たずねる口調は穏やかで、ゆえに不自然だった。  今まさに侵入者にのしかかられているという状況で、驚いてはいるようだが、怯えがいっさい感じられない。 「暗くてお顔がよく見えないわ。  もっと近くにきてくださる?」 「うわわわっ」  予想外の反応を受けて、駒は大いに混乱する。あろうことか河上の娘は駒の首に腕をからめて、引き寄せた。一拍おいて彼女は「まあっ」と声を上げたかと思うと、 「河上、かんげきっ!」  などと言って華が咲くように笑う。  これもまた、尋常(じんじょう)の反応ではない。 「なに笑ってんだ? あんた、おかしいぞ!」 「おかしいですか? 笑っては」 「おれが何しに来たか、わからんわけがあるまい!?」 「さァ? わかりません。というか、大きな声を出してよいのですか? 誰か聞きつけて、来ちゃいますよ?」  少女が涼しい顔で言い、駒は失態に気付く。  そうだ、さるぐつわか何かでコイツの口を封じておくべきだった。もし誰か呼ばれたら、終わりじゃないか。 「で、わたしは何をされるのでしょう?」  河上の娘が、さらにとぼけて、身を寄せてくる。  その瞳は鏡のように、戸惑う駒の顔を映し込む。このままでは心までも、吸い込まれてしまうのではないか。そんな不安にかられている自分自身にどうしようもない情けなさと怒りを覚えた時、彼は弾かれるように動く。 「そんなに知りたきゃ! 教えてやる!」  勢いのまま、眼前の柔肌(やわはだ)に食らいつく。  ただそれは攻撃というより、なけなしの意地によって選択した、防衛行動のひとつであったのかもしれない。  1時間後、駒は装束の(そで)に腕を通しながら後悔した。  自分が小さな存在になったようで、無性に泣きたい。初めて話す女に人間としての格の違いを見せつけられ、かなわないと知ったから暴力に頼って、負けを認めた。きっと今のは誰が見ても、そんな結果にしか映らない。  みじめさのあまり人生最長のタメ息をついていると、背後から伸びてきた小さな手にポンっと肩を叩かれた。 「落ち込まないでください。河上、しんぱい」  振り向けば、寝巻を着直した河上の娘がそこにいる。ちょこんと床に座って、やけに優しげに微笑んでいた。 「お上手(じょーず)でしたよ? ちゃんとキモチ良かったですし」 「やめてくれ(はげ)ますな死にたくなる。  なんなんだ? ホント……あんた……」 「わたしですか? わたしは河上の娘(仮)(かっこかり)でーすっ。あっ、これ本名じゃなくて、通り名なんですけどね?」  えっへんと誇らしげに胸を張って自己紹介する女に、駒は今度こそ心を折られそうになり、髪をかきむしる。 「そうじゃなくて、そうじゃなくてよ。おれはあんたを犯したんだぞ? なんで、なんで声を上げなかった?」 「うそっ。あんあん言ってたの聞こえませんでした? あちゃー! わたしもまだまだだなー。殿方(とのがた)自尊心(じそんしん)を満足させてあげられないとは、不徳(ふとく)のいたすところっ」 「なんで助けを呼ばなかったって聞いてんだよバカぁ」  駒はもうほとんど涙目だった。  彼が詰め寄ると河上の娘は少しうつむき、ささやく。 「……うれしかったんです……じゃ、だめですかっ?」  一瞬だけ前髪で隠した顔を勢いよく跳ね起こす。  そこには先程と変わらない、脳天気な笑みがあった。 「なーんてね? うっかり忘れてたんですよ。駒さまがそんな怖い人にも悪い人にも見えなかったので、つい」 「どう考えても悪い人だろ。あーもーいいわ。あんたと話してると頭が痛くなってくる。おれ、もう行くわっ」 「あーらら、ヤり逃げですか?」  ギクリとして立ち止まる駒を、河上の娘はいつの間にやらイタズラっぽい目つきになって、覗き込んでいた。 「それはないでしょ。オトコなら責任とらなきゃ」  駒はいよいよ頭を抱えてうずくまる他ない。なるほど確かに馬子の娘だけあって、人を操るのに長けている。 「はいはい、(ひめ)さん……なんなりとお申し付けを……」 「逃げるなら、わたしをさらって(・・・・)逃げてください」 「……はいは……はぁっ?」 「あー、乱暴にされて怖かったなー」  断る道などない。あったら、教えてほしかった。
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