落としもの

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【落としもの】  「えーと、ですね。『僕自身』を落としてきちゃった、みたいです」  その青年は少し困った様に、恥ずかしそうに笑った。  対応した係員はさすがに面食らった。  そんなの、聞いたこともない。私が未熟なだけだろうか。『自分』を落っことしてくるなんてどんな間抜けだ。そもそもここへ来る魂自体が少ないのに。  そろりと周囲を見回すと、世界広しと言えどそんな生物はそうそういなかったらしい。近くにいた同僚兼友人がぱかっと口を開けて、そ〜っと手で押さえて、ゆーっくりバレないように後ろを向いたのが見えた。思わず目つきがキツくなる。あんたベテランでしょ何してるの。  係員は気を取り直して青年に向き直った。驚いている場合ではない、仕事はしなければ。  お決まりの言葉を唇にのせる。  「そう、ですか。じゃあ、探さないとですね」    青年は少し不安そうに目を瞬く。  あの世への門のすぐ脇にある小さな受付。  そこは、とある条件を満たせなかった魂がやってくるところ。  魂はあの世で生き様を裁かれる。裁きに必要なのは今生の記録と記憶。記録は台帳に自動で記されているが、記憶は魂が持っている。持っている、ハズなのだが。  極々極たまに、どこかへ落っことしてくる魂がいる。  憶えてもないことをどう悔い改めろと言うのか。  だから、記憶を──心残りを現世に遺した魂はあの世へ行けず、この受付にやってくるのだ。  『心残りですか? 恨みですか? それとも何かを忘れて来られましたか? あぁそこは憶えていらっしゃるようで。  では、探しに参りましょうか。お手伝いさせていただきます』  そして、対応した係員はその探しものを手伝うのが仕事であった。  「──わたくし、十万とんで一二三番が担当いたします。ウタカネとお呼びくださいませ」  そう言って頭を下げると、青年はほっと安心したように笑った。  「はい、よろしくお願いします」 ✻✻✻  「ご自分のことを憶えていらっしゃらない、ということでしたが、何かしら当てはおありなのですか?」  落とし物に関してある程度なら検索が掛けられる。そう申し出たウタカネに対して、青年は首をそっと横に振った。  ウタカネはおや、と目を丸くする。  「落としてきたのは、自分に関する記憶だけなんです。それ以外なら」  「心当たりはおありなのですね。では、まずは足を運んでみましょうか。どちらへ?」  ウタカネはホッと胸を撫で下ろした。  当てもなく現世に降りるのは無謀でしかない。検索をかけてヒットしたとしても、当人がきれいサッパリ忘れてしまっている場合は箸にも棒にも掛からぬことがある。  ふと、自分すら忘れてしまったこの青年が憶えていることとは、一体どんなことなのだろうと。優しい表情の横顔をそっと盗み見てウタカネは思った。  「ウタカネさん。今日って何月何日にあたるんでしょう?」  「今日は、6月27日ですね。日曜日です」  「ありがとうございます。なら、たぶんですけど、行くのは1か所だけで大丈夫だと思います」  神社とかでも僕らは入れますか? という問いにウタカネは頷いた。魂の扱いに関してウタカネの部署はそこそこ上の地位にある。現世で入れない場所は基本的に存在しない。  「では、──神社へ」  「かしこまりました」  二人が降り立った神社は、田舎と都会の中間地点にあるような街の神社だった。  住宅街の中にこんもりと盛り上がる小山の上に、朱色の鳥居が佇んでいる。  普段なら人気もなさそうなこじんまりとした神社だったが、今日はなんだか様子が違うようだ。  小山を中心に連なる提灯と、スピーカーから流れる祭囃子の響き。サンダルで子どもたちが駆け回り、年頃の娘達は華やかな浴衣をまとってカラコロと下駄を鳴らす。  お天気は今にも泣き出しそうなくもり空だが、薄暮の中、神社のある小山の周りは立ち並ぶ出店で柔らかく浮かぶ上がって見えた。  「華やかですね。お祭り、です?」  「6月末の日曜日に、ここは毎年祭りをするんです。梅雨時なので雨が降っても基本強行で。あ、ですから皆さん傘を持ってるでしょう? ほら」  青年が指を差した方を見ると、確かに傘を手にした浴衣の娘達がいた。  よく見ると子どもたちはマントのように合羽の裾をなびかせて走っている。  屋台と屋台の隙間には食べ歩き用の雨宿りスペースも作られているようだ。  「今日はいつ降り出してもおかしくない空模様なので、皆さん対策はばっちりみたいですね」  雨の季節のお祭り。  あちこち見回している内に音もなくこぬか雨が降り始めた。屋台を冷やかしていた人々が空を見上げ、傘を差し始める。夕闇の中に花が咲いていく。  水の匂いが立ち込めていた。  「あぁ、この状態だと濡れないんですね」  「一応霊体ですからね。人にも見えないはずです」  便利ですね、と青年は笑った。  「ウタカネさんは、こういうお祭りはお好きですか? 僕は憶えていないのでよく分からなくて。一緒に来ていた人は好きだったみたいなんですが」  記憶を無くしても、本質的な感性が変わるわけではない。  ぼんやりとした声を聞いて、思い出すきっかけになるかとウタカネは口を開いた。  「私もこの仕事についてから現世の記憶は無いのですが、好き……だと思います。普段と違う空気は新鮮です」  それを聞いて、青年は嬉しそうに微笑んだ。  自分のことはきれいサッパリ忘れているハズの青年は、自分の探し物を見つけられる確信があるようだった。焦るでもなく、ウタカネをあっちの屋台こっちの屋台と柔らかい声で連れて回る。穏やかな顔でここは──と話す内容は、きっと一緒に訪れた誰かが青年に話したのだろう。  金魚掬いの屋台で自室に連れて帰りたいな、と思ってしまったのは内緒である。    そうこうしているうちに、一通りの屋台を見て回り、山頂の鳥居近くまでやってきた。  鳥居の中、神社の境内にも屋台があり、外より落ち着いた様子のそれらは神社に縁のある品を並べているようだ。  「本当はここが目的地だったんです。付き合わせてしまってすみません」  「いえ」  そっと頭を下げると、こぬか雨をしっとりと纏って青年は歩いていく。  向かった先は、傘売りの屋台だった。  売られているのは色とりどりの和傘。屋台を冷やかしていた人の手にあった気もする。  無地から花の描かれた様なものまで品揃えは豊富だ。  「ここの傘って少し変わってまして、誰かに選んで貰ったものを買うんだそうです。理由は、忘れてしまったんですけど」  どれがいいと思いますか?  尋ねられるままに、ウタカネは1本の傘を指差した。優しい縹色の傘だった。  今日、こぬか雨を纏って笑う青年には、その色が似合うと思ったのだ。  「やっぱり………………」  青年は唇を引き結んで、言葉を飲んだ。  そして、歩を進めて屋台の店主に近づいた。  「あの……?」  人には見えない。声をかけても無駄である。ウタカネは遠慮がちに青年へ声をかける。  「──すみません、金魚の傘はありますか?」  尋ねられた店主ははっと顔を上げた。驚いた顔は意外と若い。  「驚いたなぁ……いやいやそうじゃないな。いらっしゃい。うん、ちゃんと取ってあるよ」  そう言って、店主は奥の方から傘を1張り持ってきた。無骨な手がゆっくりと傘を開く。  薄闇の中で、明るい涼やかな朱色が光った。  「これでいいかい?」  「はい、これです。いつもありがとうございます。ウタカネさん」  「は、はい!」  呆気に取られていたウタカネに、青年は傘を差し出す。  「今日は雨の中歩かせてしまってすみませんでした。今更ですが、これをどうぞ」  「ありがとう、ございます……」  そっと手を伸ばして傘を受け取る。  その瞬間、ウタカネの脳裏に過る光景があった。  『はい、どうぞ』  『いいの? ありがとう!』  『どういたしまして。でも、だいぶ濡れちゃったね、ごめん』  『いいの。……いいの。来年も来ようね』  少女と少年の声が響く。  今よりずっと幼い姿。  長い髪。  まとった和服。  やや不釣り合いな大きさの縹色の和傘と、差し出される────  『ね、那由多』  『うん、そうだね』  縹色の傘と、差し出される金魚の傘。  ────貴方を、私は知っている。  「那由多………?」  「はい」  何かを考えるより先に、唇からこぼれ落ちるほうが早かった。  忘れていたのは、何かを落としていたのは、彼だけじゃなくて───  昔と同じ笑顔で、目の前の青年が安心したように笑った。  「ありがとう、ございます」  青年は──那由多は花がほころぶように笑った。  「思い出せました」  震える手で口元を覆い、何も返せないウタカネに傘を差しながら那由多は言葉を重ねる。  「僕の名前を呼んでくれてありがとう、千歳」  1張りの傘の中、 「やっぱり君がいて初めて、僕は『僕』でいられるんだ」  ふわりと二人の身体が浮き上がっていく。  探しものは見つかったので、自動的に送りかえされるのだ。  ふと、那由多が店主へ頭を下げる。  「店主さん、いつも取り置いて下さって、ありがとうございます」  「いやいや、こちらこそ長いことご贔屓にしてもらって。先代から聞いてたより大きくなってて驚いたけどね。またのご来店をお待ちしておりますよ」  「はい、お世話になりました」  ふっと、二人の姿が傘ごと中空に消える。  仙台への土産話が出来たなぁと雨降りの空を見上げて傘屋の店主──神主は笑った。 ✻✻✻  「相変わらず、ずいぶんと人が悪いですよね」  青年は目を眇めて微笑んだ。並の人間なら怯みそうな意志の篭った眼光を閻魔はハッと一笑に伏した。  「だって俺は人間じゃねぇもんよ」  「そういうのを屁理屈と言うんですよ」  「……………………んっとに面倒なやつだなお前さんは」  「褒め言葉として受け取っておきますね」  「いや褒めてねぇんだわ」  呆れ返った顔で閻魔は長々と溜息をついた。  そして、ふと真顔に戻る。仕事に顔だ。青年も倣って真面目な顔になった。  「分かってると思うが、俺は情を掛けるつもりはねぇ。今までも、これからもだ」  「別に期待してません。自分でどうにかするつもりなんで」  では、と青年は頭を下げて部屋を出ていった。  入れ替わるように、補佐官が隅の暗がりから滑り出てくる。  「閻魔様、今の男……」  「あぁそうだ、今回もきっちり思い出して戻って来やがった」  「何故でしょうね。処理はきちんとされているはずなのに」  「染み付いてんだろうな、魂に」  百年ぱかし前にこの場所で床に頭を擦りつけていた男を思う。さっき出ていった青年と同じ顔をした男を。大人になれない運命にあった筈が、何度も繰り返すせいであんなに可愛げがなくなってしまった。  青年が受付に来たとき、ベテランの者が大口を開けていたのは何のことはない、驚いていただけだ。同じ男がやって来るなんてことは有り得ないのだから。  「アイツも、うちの部下も」  何度忘れさせても思い出して帰ってくる。金魚の柄の傘を差して。両の瞳から大雨を降らせながら。『忘れさせてください』と。  その泣き顔を何度見たことか。  「畏れながら、許してやるつもりはないので?」  「そうだなァ、仕組みを変えられるのも、面倒かもなァ」  ハッと補佐官は閻魔の顔を見上げた。笑っていた。  もういない穏やかに笑っていた青年を思う。あの青年はまたここへ同じ顔をしてくるだろうか。鐘のように答えがかえる。 来るだろう。彼は。魂に染み付いた大切なものを探して、ここへたどり着くに違いない。  (次は、おそらく)  ずっと見つけても手に入れられなかった探し物を、彼は、手に入れられるだろう。  毎度自分を丸ごと落っことしてまで、後生大事に自分の唯一を抱えて戻ってくる大馬鹿野郎に免じて。  「こんなご時世だしなぁ、めでたしめでたしがあったってバチは当たらねぇよ。たぶんな」  そう言って閻魔は若者の様に笑った。 おしまい
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