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「店長、そのハンガーであれば、隙間に入り込んだ鍵を取り出すことができると思いますが」
「任せろ、俺のハンガー神拳があれば、それくらい朝飯前だ!」
その拳法の創設者、誰。どういう流派。一秒も鍛錬してない拳法なのに、その自信はなに。
私はまた喉元まで出かかったツッコミをぐっと呑みこんだ。
そうだ、話が脱線するのはきっと、私が真面目にツッコミを入れてしまうせいだ。
店長と後輩は永遠にそれに乗っかってどこまでもマイワールドを展開してしまうのだ。
職場仲間の特性を、この日、私はようやく理解した。
ここはひとまず堪えて、再びうつ伏せに寝転がった店長の様子を、なにも言わずに見守ることが最良の選択だ。
店長がライトを当てながら、ハンガーを自動販売機の下に潜り込ませると、すぐにちりん、と鈴の音がした。
「ライオンさんのキーホルダーです!」
聞き覚えのある鈴の音に、後輩は手を鳴らして喜んだ。
店長がハンガーの肩先に鍵を引っかけて、隙間から掻きだすと、後輩はすぐにそばに駆け寄って、少し埃がついたライオンさんを握りしめた。
「私の鍵です! 店長、ありがとうございます!」
「地球の青さを知る漢、名探偵・店長のハンガー神拳の賜物だな!」
情報量、多すぎ。
「先輩も、励ましてくれて心強かったです!」
そして後輩、可愛すぎ。
「いいのよ。見つかって、私も安心したわ」
左手首の腕時計で時刻を確認すると、すでに22時をいくらか過ぎていた。
「もう信号機が終わっている時間ね。運転に気をつけて帰りましょう」
後輩が元気よく返事をして、パワフルに笑った。
「お二人共、明日も、よろしくお願いします!」
さんざん床と同化して埃にまみれた店長が笑い返した。
「こちらこそ頼むぜ、明日も予算達成するぞ!」
そんな二人の笑顔を見ると、一日の疲れなんて吹き飛んで、気がついたら自分も笑っているのだから不思議だ。
「今日以上の売り上げを目指しましょう」
「引き続きトップ独走しちまうか」
「できますよ、私たちなら!」
閉店後の館内で、私たちは笑い合った。
気持ちよく明日を迎えられそうな予感が、私の心を高揚させる。
鞄を背負い直した後輩が、元気良く手を振った。
「先輩、店長、今日は本当にありがとうございました!」
鈴の音を響かせて、彼女は時々振り返り、一度駆け足で戻ってきて、「お二人に買った飲み物を渡すのを忘れていました!」と少しぬるくなったスポーツドリンクと、パワフルな笑顔を残して、今度こそ帰っていった。
「店長、売り上げの入力を済ませたら、私も帰りますね」
バックヤードに戻る道すがら声をかけると、店長は頷いて言った。
「じゃあ、俺も帰るか」
「店長は終わってない仕事があるんですよね」
「なんだよ。いいだろ、一緒に帰っても! みんな帰ったら寂しいんだよ!」
本当に泣きそうだ、この人は。
しかしここで甘やかしてはお店のためにならないので、私は冷めた塩対応で切り返す。
「今日やるべき仕事は、しっかりと済ませてください」
「今日やることっつっても、ありすぎてごちゃごちゃしてるんだよなぁ」
「順序立てて仕事をしないからそうなるんですよ。まずは一日の計画を考えてみてはいかがですか。
仕事の優先順位を決めておけば、一日にこなさなければならないノルマも、おのずと見えてくるでしょう」
「前から思ってたけどよ、お前のほうが店長向いてね?」
私は足を止めた。店長の目が真剣なことに気がついたからだ。
「嫌ですよ、そんな大変な仕事。絶対したくありません」
そう言っても、店長の目は変わらず真剣だった。
長く息を吐きながら店長から視線を外すと、私は俯きがちに言った。
「……大変な仕事だからこそ、その道を選んで、お店のために、私たちスタッフのために尽力する店長のことを、私は尊敬しています。
情けない泣き言ならいくらでも聞きますから、店長は店長足りうるために、やるべきことをやってください」
「先輩くん……」
「この話、もう、いいですか」
外した視線をちらりと合わせると、嬉しい気持ちを少しも隠さない、気持ち悪いくらいに頬を緩めた店長がいたので、私は戸惑いながら「なんですか?」と聞いた。
「先輩くんは、ツンデレってやつなんだな」
にしし、と目を細めた店長に、私はかっと顔が熱くなった。
「俺への日頃の塩対応。あれがお前のツンなら、俺は受け入れよう。
いやぁ、今日は探しもののついでに、いい発見をしたわ」
早歩きで歩きだした私の後ろから、からかうように店長が言う。
そんな店長に振り返り、私は思いきり毒を吐いた。
「一生残業してろ!」
静まり返った館内で、再び、私と店長の不毛な掛け合いがはじまった。
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