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ぼくたちは京急上大岡駅近くの住宅地にいた。目の前には車窓に写っていた赤い屋根の家があった。ぼくの背後、イギリスに行く前に住んでいた家のあった場所には、京浜急行の赤い車輌が置かれている。
これが探し求めていた風景なのだろうか。ここに住んでいたころ、ぼくは入退院を繰り返していたから、家の外には出たことがない。たしかに見覚えはあるが、アラセの言う「心安らぐ場所」とは呼びづらかった。
「これは君の家か」
アラセが向かいの家の玄関を指さしながら、聞いてきた。ぼくは、「ちがいます」と答えて、電車を指さした。
「ぼくの家はこっち……、お向かいさんは、ぼくと同い年の子の家です」
たしか「飛花里」という名前で、両親と三人で住んでいたはずだ。もっとも、ぼくはその女の子とは、一度きりしか顔を合わせたことがなかった。ストレッチャーに乗せられて病院へ向かう際に、母親といっしょにいた彼女と短い会話を交わしただけだ。
「かわいい子だった?」
玄関先に寝そべった犬に手を伸ばしながら、ヒカルが聞いてきた。
「覚えている? 飛花里ちゃんていう、女の子のこと」
ぼくは女の子の顔を思い出せなかった。ヒカルは返事を待たず、「おじいちゃんワンコ〜」と言いながら、犬の頭をなで始めた。ぼくの胸が、ちくりと痛んだ。
アラセは腰をかがめると、ぼくを見上げるようにして尋ねてきた。
「この家の子は、『ヒカリ』という名前だったのかな」
質問の意味が分かって、ぼくは驚き、言葉を失った。まだ彼女の名前も、女の子だということさえも口にしていなかったのだ。
「いい子だね、ジロー。よーし、よし、よし」
ヒカルは指を曲げて、首輪の下をかき始めた。犬のジローは、うっとりとした目で彼女を見返している。
アラセは背を伸ばし、目を細めてぼくを見た。
「この犬はただの背景、ゲームに例えるならばNPCだ、無視して構わない。問題は、どうしてヒカルがヒカリちゃんのことを知っていたかだ」
ぼくの顔から血の気が引いていく。胸がなぜだか、しきりと疼いた。
「ヒカリちゃんのこと、ついさっきまで忘れてました。何年も会ってなかったから。ぼくは犬の名前も知らなかった」
アラセは眉をよせた。一所懸命になにかを思い出そうとしているようだった。手で髪の毛をなで上げると、「ヒカル」と声をかけた。
「ヒカリちゃんに何があったか、映してくれ」
「いいのかな。ぼく君につらい思いをさせるけど」
「仕方ないだろ。ここまで来てしまったんだから」
アラサーの言葉に、胸の奥のなにかが、「探しものはそこにある」と、告げてきた。好奇心よりも切実な思いの、あまりの強さに声が震えた。
「見せてください。ぼくは知らなくちゃいけないんだ」
ヒカルが手のひらを天にかざすと、家の中から6歳くらいの子どもが飛び出してきた。女の子だった。ヒカリはいちど振り向いて――呼び止められて、返事でもしたのだろう――勢いよく道路へ飛び出した。
あっという間だった。ヒカリの体が横っ飛びに宙を舞って、数メートル先のアスファルトへ落ちた。彼女は動かなくなった。
家の中から、お腹を抱えた女の人が飛び出してきて、ヒカリの元へ駆け寄った。
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