深い海の暗がりに

2/12
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ
 ガラスに映る両肩、両手首の蛍光の動きで、会話の相手が大げさに肩を竦めたのがわかる。蛍光のわずかな光でも相手がなんとなく呆れた顔をしているのがわかるのは、目が暗闇に慣れ過ぎているからだ。 「なるべく邪魔しないようにしてるんだから、大目に見てほしいね。風邪薬だってそう簡単に作れるわけじゃないんだからさ」 「感染症蔓延防止のために体調管理が重要っていうのも聞き飽きてる」 「それなら、そんな文句たっぷりの声を出さないでほしいね。毎回呼びに来る僕の身にもなってほしいよ。それに、服。また“印”を外してるのかい?」  言葉とは裏腹に、その声は楽しそうに弾んでいる。 「いや、毎度つけ外しするのが面倒だから、脱いで遮光袋にしまった。だから今は部屋の明かりをつけないでもらえるかな」 「ド変態」 「下着は着てる」 「やっぱりド変態じゃん。さあ服を着ろド変態。ご飯の時間だぞ」  キュルキュルという、イルカのホイッスル音に似た音階を持つ笑い声。潜水服越しでも聞こえるそれを室内で放たれては耳がやられる。 「うるさいうるさい、お前の笑い声は大きいんだから抑えろって」 「急かさないとご飯にありつけないからね。で、今日は何か見えた?」  私はもう一度黒いままのガラスを見た。いつもと同じ。私の望んでいる暗闇であるものの、私の探しているものは今日も現れなかった。 「なにも。今日も何も見つからなかったよ」 「ふぅん。飽きないの?」 「まさか。この時間が一番好きだ」  遮光袋から服を取り出して着る。胸元に蛍光糸で数字が縫い付けられた、私たちの規定服。暗闇でも相手がどんなポーズをしているかがわかるように、主要な関節の位置と指先に蛍光の印が施されている。そのポーズによって合図を送ることから、そのまま印と服をまとめて、『シグナル』とも呼んでいる。右手を左手の高さよりも上にあげて二度回すのは、肯定や軽い挨拶など、汎用性の高いシグナルだ。今私が送ればそれは、『着替えが終わった』という意味合いになる。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!