深い海の暗がりに

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 人が太陽の光を感知できるのは、水深200mほどが限界と言われている。夜ともなればなおさら、光を見ることはできない。現に、私が触れているこのガラスは真っ黒で、ただひたすらに冷たいだけだった。部屋の構造を知っているから、真っ暗な部屋の中でただ窓際に座っているだけだということがわかる。目はとっくに慣れているが、輪郭がわかるものは何一つない。自分の体すら見えなくて、瞼が開いているか閉じているかの判断すら――筋肉の感覚を除いた話――目が外気に触れて冷たいか、瞼の中で温かく潤んでいるかでしかわからない。脳が見せる、鮮烈な蛍光色の幻影が、おぼろげに闇を彩っている。  冷たく暗い室内で、真っ黒な窓の向こうを見続ける。そのうち窓が私の体温と吐息で結露してくるのを、指先の感覚で知り、拭う。暗闇の中で、意識がガラスの向こうの水と同化する。時間を忘れ、息をするのを忘れる。  海底は静かだと誰が言ったのだろう。私たちがここでの生活を始めるよりも昔から、海の音は研究されている。海の生き物が発する命の音のほかに、いまだに人類が研究しきれない謎の音が海底には満ちている。クジラの鳴き声のような、地響きのような、判別不明の音がいつも、私たちの住むこの施設を微かに揺らしている。そして。 「風邪引くよ」  電子油圧式のドアが開く音と、ガラスに反射する青緑のはっきりした蛍光が、私を暗い水の底から引き揚げた。思わず吸った大きな息が溜息まじりの声に変わる。 「……もう、そんな時間か?」
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