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「お母さんは?」 「お母さんは奈々子を迎えに行ってるのよ、慌てちゃって、台所もそのまま」 「ああ、悪かったなぁ、行き違いになっちゃった」  調理の途中で電話があったのだろう、まな板の上に鶏肉が置きっぱなしになっている。  洗ったレタスも水を張った鍋もうっちゃって、母は奈々子を迎えに行ってしまった。 「ああ、お腹空いた。今夜、唐揚げだといいな」  奈々子はのん気に冷蔵庫を覗いている。 「あんた、どこにいたの、なんで連絡もしてくれなかったの」  10年間も。 「さあ……。ずっと眠ってたの。そしたら急に明るくなって、目が覚めて」  家に帰らなきゃって思ったけど、覚えていたのは家の電話番号だけだった、と奈々子は説明した。 「街並みもすっかり変っちゃって、びっくりした。赤屋スーパーなくなっちゃったんだね」 「閉店して、マンションが建ったよ。中学校の前の溜池、埋め立てて保育園が出来たし、あんたが行ってた塾、今は吉野家になっちゃった」  奈々子がいない10年間で、街にはずいぶんお店が増えた。  同級生だった子たちは成人して、仕事に就き、なかには結婚して子供をもうけた人もいる。  奈々子を置いて、みんな大人になってしまった。  仲良しだった幼馴染の深雪ちゃんは、ときどき商店街で見かけることがあった。  ベビーカーを押しながら歩くその姿は、なんだか眩しくて私はどうしても声を掛けることができなかったのだった。      気が付くと、二階から物音がしていた。  奈々子が自分の部屋に上がったのだろう。   「どうしたの?」  覗いてみると、奈々子はクローゼットを開けて、中でゴソゴソしていた。 「ちょっと探し物」    奈々子の部屋は 母の手で、奈々子が失踪した日のままに保存されている。  この部屋に入るの、久しぶりだな。  薄緑色のカバーの掛ったベッドに腰を降ろし、茜色の夕陽が差し込む小さな部屋を見渡す。  私と違って、物を大切にする奈々子はクリスマスや誕生日に貰ったプレゼントや年賀状、雑誌の付録のレターセットなんかをきちんと整理してとってあった。  奈々子は少し変わった子供だった。  将来はキノコを研究する博士を目指していて、キノコに関する本や図鑑を飽かずに眺めているような子だった。  もっと幼い頃はこだわりが強すぎて、スーパーのキノコ売り場から動かなくなることもしばしばで、一緒に買い物に行った母と私を困らせた。  中学校に上がっても奈々子のキノコ好きは変わらなかった。  キノコに関する事ならどんな小さな記事やイラストでも切り抜いてノートに貼り付け、キャプションをつけて分類するのが至高の喜びらしかった。  壁際のハンガーラックに小さい頃、ふたりが好きだった黒猫のキャラクターのついたデニムバッグが掛かっている。  懐かしくて手に取った。 「これ、覚えてる? クロネコのモアちゃん お揃いのバッグ買ってもらったよね」  そのモアちゃんの首輪が赤いキノコの模様だったのが、奈々子のお気に入りの理由だった。 「まだとってあったんだね」  振り返った部屋は無人だった。  階下で玄関の引き戸が開く音がした。 「奈々子? 奈々子、どこ行くの?」  不安になって私は部屋を飛び出しながら名前を呼んだ。  玄関を出て行こうとしていた奈々子は私の必死な表情に驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。   「友達に会いに行ってくる。帰ったら唐揚げ食べたいってお母さんに言っておいて」 「友達って?」  答えないまま、奈々子は後ろ手で引き戸を閉めた。 「ま、待って、奈々子」  慌ててあとを追った外に、奈々子の姿はなかった。  
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